劉茂 (楽浪太守)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

劉 茂(りゅう も/りゅう ぼう、生没年不詳)は、三国時代の政治家・武将。の元王の劉交の後裔とされ、東晋侍中劉隗の祖である[1]。一族に帯方太守劉夏など[1]

生涯[編集]

彭城郡彭城県(現在の江蘇省徐州市)の人[1]正始年間楽浪太守となった。

正始6年(245年)帯方太守弓遵とともに高句麗の支配下に入ったを討伐した。間もなく濊の首長不耐侯らは配下の邑落を挙げて、劉茂に降伏した。

正始8年(247年)に不耐侯は魏に朝貢して、勅命で不耐濊王に封じられた。

脚註[編集]

  1. ^ a b c 唐長孺の『魏晋南北朝史論拾遺』の王敦の言より。

伝記資料[編集]