加藤泰武

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
検索に移動
 
加藤泰武
Katō Yasutake.jpg
加藤泰武像(如法寺蔵)
時代 江戸時代中期
生誕 延享2年7月13日1745年8月10日
死没 明和5年5月22日1768年7月6日
改名 富之助、泰武
戒名 広善院殿頴鋒義俊大居士
墓所 愛媛県大洲市柚木の如法寺
官位 従五位下遠江守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家治
伊予大洲藩
氏族 加藤氏(光泰系)
父母 加藤泰温、円性院
兄弟 泰武岩城隆恭継室、津礼
酒井忠用娘香樹院
隼姫、泰行
テンプレートを表示

加藤 泰武(かとう やすたけ)は、江戸時代中期の大名伊予国大洲藩7代藩主。官位従五位下遠江守

略歴[編集]

5代藩主・加藤泰温の長男として誕生。幼名は富之助。

父の泰温は延享2年(1745年)6月上旬に死去しており、泰武はその1カ月後に生まれた息子である。宝暦12年(1762年)2月1日、先代藩主の加藤泰衑が隠居したため、その養嗣子として跡を継いだ。藩財政再建のために、家臣団の知行削減などを行なったが、幕府の公役による出費に苦しんだと言われている。

明和5年(1768年)5月22日に脚気腫のため24歳で死去した。子は娘しかいなかったため、跡を先代泰衑の実子で養嗣子の泰行が継いだ。法号は広善院殿頴鋒義俊大居士。墓所は愛媛県大洲市柚木の冨士山如法寺

系譜[編集]