勝俣英吉郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

勝俣 英吉郎(かつまた えいきちろう、慶応元年(1865年[1] - 1930年昭和5年)4月7日[1])は、明治から昭和時代前期の政治家医師長野県上田市長。

経歴・人物[編集]

上田藩医の家に生まれる[1]東京外国語学校を経て、東京帝国大学医学別科を卒業し、家業を継ぐ[1]

1891年(明治24年)信陽医学会を創立し、同会長を務める[1]日清日露戦争では日本赤十字社救護医として従軍[1]1909年(明治42年)長野県会議員に当選し、上田市会議長を経て、立憲民政党支部長に就任した[1]1924年(大正13年)7月14日、推挙され上田市長に就任し、1930年(昭和5年)4月7日、在職中に没した[1][2]上田橋の架け替え、丸子鉄道上田温泉電軌北東線の開通、汚物焼却場設置、市営運動場、児童遊園地の建設などに尽力した[1]

ほか、1914年(大正3年)長野県医師会長、1919年(大正8年)より5年間に渡り上田市医師会長を務めた[1]。また、かつ丸と号し、俳句も能くした[1]

親族[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l 赤羽ほか 1989, 188頁.
  2. ^ 赤羽ほか 1989, 807頁.
  3. ^ 上田を支えた人々〜上田人物伝〜、2019年7月20日閲覧。

参考文献[編集]

  • 赤羽篤ほか 編 『長野県歴史人物大事典』 郷土出版社、1989年。ISBN 4876631263。