北陸配電

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
北陸配電株式会社
Toyama Denki Building.jpg
本店を置いていた富山電気ビルデイング
種類 株式会社
本店所在地 日本の旗 日本
富山県富山市桜橋通り3番1号
設立 1942年(昭和17年)4月1日
解散 1951年(昭和26年)5月1日
業種 電気
事業内容 電気供給事業
歴代社長 山田昌作(1942 - 1946年)
金井久兵衛(1946 - 1947年)
西泰蔵(1947 - 1951年)
資本金 1億3800万円
総資産 1億7983万3千円
収入 2317万6千円
支出 1869万9千円
純利益 448万2千円
配当率 年率7.0%
決算期 3月末・9月末(年2回)
  • 資本金以下は1943年3月期決算による[1]
  • 北陸電力へ全事業を引き継ぎ解散

北陸配電株式会社(ほくりくはいでん かぶしきがいしゃ)は、太平洋戦争中の1942年(昭和17年)から戦後の1951年(昭和26年)にかけて、北陸3県配電区域として営業していた電力会社である。配電統制令に基づき日本全国に設立された配電会社9社のうちの一つで、北陸電力の前身にあたる。

本店は富山市。1942年4月に北陸3県の主要電気事業を統合して設立され、翌年3月までに管轄地域の配電事業をすべて吸収し、発送電事業を統合した日本発送電と当該地域の電気事業を分掌した。ただし福井県若狭地方は当初から北陸配電ではなく関西配電の管轄とされていた。1951年5月、電気事業再編成令により解散。解散と同時に、北陸配電と日本発送電北陸支店の事業を引き継ぎ、発・送・配電の一貫経営を担う北陸電力が設立された。

本項では、北陸配電に統合された事業者の一つで、民間事業者の自主統合によって1941年(昭和16年)に設立された北陸合同電気株式会社(ほくりくごうどうでんき)についてもあわせて記述する。

総説[編集]

配電統制令」(昭和16年8月30日勅令第832号)に規定された、国家総動員法に基づく配電統制を実現する目的で配電事業を営む配電株式会社(配電統制令第1条・第24条[2])の一つ。全国に9社設立された配電株式会社のうち、北陸配電は富山県石川県の全域と福井県のうち若狭地方三方郡遠敷郡大飯郡)を除いた地域を配電区域とした[3]。また1943年(昭和18年)3月31日付で、富山県に接する岐阜県吉城郡坂下村(現・飛騨市の一部)が配電区域に編入された[4]

配電統制令公布・施行後の1941年(昭和16年)9月、配電統制令に基づく逓信大臣の北陸配電株式会社設立命令が北陸合同電気・日本電力京都電灯市営供給事業を営む金沢市を対象に下る[5]。うち北陸合同電気は直前の1941年8月に、日本海電気高岡電灯など北陸3県の主要民間事業者12社の自主統合により新設された電力会社である[6]。これら4事業者により北陸配電の設立準備が進められ、翌1942年(昭和17年)3月28日富山電気ビルにて創立総会開催、同年4月1日、4事業統合により北陸配電株式会社が設立されるに至った[3]。設立当時の資本金は1億3800万円(うち1億1948万5875円払込)[3]。本店は富山県富山市に置いた[3]

設立の時点においては、4事業の統合(第1次統合)を実施したのみで管轄地域の配電統制を全面的に実現したわけではなかった[3]。残存配電事業の統合(第2次統合)は1942年12月1日と翌1943年(昭和18年)3月1日の2度に分けて実施され、合計9の事業を統合した[3]。さらに電気事業の統合ではないが1944年(昭和19年)1月1日付で2つの電気利用組合から自家用電気工作物施設を統合している(第3次統合)[3]。統合後の電力国家管理体制の下では、全国規模で発電・送電事業を受け持つ日本発送電が発電・送電部門を分掌し[7]、北陸配電が地域内の配電部門を担当した[8]。ただし北陸配電が発送電部門を一切持たなかったわけではなく、小規模ではあるが自社発電所を持った[9]

戦後の1950年(昭和25年)11月、電力国家管理体制の廃止と電気事業の再編成を目的とする「電気事業再編成令」(昭和25年11月24日政令第342号)が公布された[10]。同令により日本発送電と北陸配電を含む配電会社9社の解散が決定[10]。北陸地方では、富山県・石川県の全域と若狭地方を除く福井県に岐阜県の一部を加えた地域を供給区域とする発・送・配電一貫経営の民間電力会社を新設し、対象地域の施設を日本発送電と配電会社から引き継ぐこととなった[10]1951年(昭和26年)5月1日、電気事業再編成が実行に移され、北陸では日本発送電北陸支店と北陸配電の業務を引き継ぎ北陸電力株式会社が発足した[11]

配電統制の過程[編集]

北陸3県における電気事業の発達[編集]

北陸最初の電気事業用である日本海電気大久保発電所(1932年)

日清戦争後の企業勃興期にあたる1899年明治32年)4月2日、富山電灯(後の富山電気・日本海電気)により富山県富山市において電気事業が開業した[12]。次いで同年5月福井県福井市にて京都電灯福井支社が開業[13]、翌1900年(明治33年)6月には石川県金沢市にて金沢電気(後の金沢電気瓦斯)も開業する[14]。これら北陸3県の各県庁所在地に続き、1903年(明治36年)12月には富山県高岡市でも高岡電灯が開業している[12]。以上の早い段階で出現した4都市の電気事業のうち、福井市のみ社名の通り京都市の会社による事業であったが[13]、その他はそれぞれの地元資本によって設立された会社によって経営された[12][14]

日露戦争後の時期にはさらに多くの事業者が出現し、石動電気(富山県石動)・七尾電気(後の能登電気、石川県七尾)・小松電気(石川県小松)・大聖寺川水電(石川県大聖寺)・越前電気(福井県鯖江武生)・敦賀電灯(福井県敦賀)などが相次いで開業する[15]。さらに既存4事業者もそれぞれ供給区域を拡大したことから、1912年(明治45年)までに北陸3県で当時8000人以上の人口があった13町すべてにて電気の供給が始まっていた[15]大正時代に入るとそれより小さな町や農村部でも電気事業の起業が始まる[15]。さらに第一次世界大戦による大戦景気期には、富山電気や新興の立山水力電気により、大規模水力発電によって得た電力を電気化学工場へと供給するという形態の電気事業が生まれた[16]

1920年代以降、北陸3県では電気事業の集約が進む[17]。富山県および石川県能登地方では日本海電気と高岡電灯が統合の核となり、能登電気などが前者に、石動電気などが後者へと合併されていった[17]。石川県加賀地方では中核事業者であった金沢電気瓦斯が1921年(大正10年)に金沢市営事業金沢電気軌道の2つに事業を分割され消滅[17]。その上、金沢電気軌道は高岡電灯、小松電気は日本海電気、大聖寺川水電は京都電灯の傘下にそれぞれ組み入れられていった[18]。福井県では敦賀電灯を合併した京都電灯と越前電気の2社が勢力を拡大している[17]

以上のような地域別の電気事業者とは別に、北陸地方の豊かな水力資源を開発し近畿関東へと送電するという事業者も出現する。代表的なのは業界大手「五大電力」の一角を占める日本電力大同電力で、日本電力は1924年(大正13年)に富山県から岐阜県経由で大阪府へと至る送電線および1928年(昭和3年)に富山県と関東を結ぶ送電線を[19]、大同電力は子会社昭和電力を通じて1929年(昭和4年)に富山県から石川・福井両県経由で大阪府へ至る送電線をそれぞれ整備した[20]。両社のうち日本電力については富山県内の一部に電力供給区域を設定しており[21]、大工場への電力供給を積極的に展開している[22]

配電統制をめぐる議論[編集]

日中戦争開戦後の1938年(昭和13年)3月に電力管理法が成立し、翌1939年(昭和14年)4月に日本発送電が発足、政府が日本発送電を通じて全国の電力を管理するという電力国家管理の時代が始まった[23]

1940年(昭和15年)になると、日中戦争の長期化という情勢の下で、日本発送電の体制強化に加えて配電事業の国家統制にまで踏み込んだ電力国家管理政策の検討が急速に推進されるようになる(第2次電力国家管理)[24]。同年9月には日本発送電への設備出資対象の拡大および全国を数ブロックに分割して地域内の配電事業をすべて統合してブロック別に一つずつ国策配電会社を設立する、という方針が閣議決定されるに至る[24]。2つのうち日本発送電の体制強化は翌1941年(昭和16年)4月に電力管理法施行令改正という形で実行される[24]。配電統制については同年8月30日、配電統制令公布・施行という形で実施が決定した[24]

この間、配電統制については区割りについての議論が続いた[24]。まず1940年10月7日、電気庁内の会議で全国を以下のように9ブロックに分割する案が決定された[24]

この案では長野県は県内が南北に分割されるため長野県知事から反対意見があり、北陸ブロックをめぐり電気庁内で議論が続けられた[24]。その後10月24日になり、各省との調整を経たうえで電力管理調査会が北陸・中部のブロックを統合した全国8ブロック案を発表した[24]。ところがこの8ブロック案は、富山・石川・福井3県による北陸ブロックの独立運動を招く[24]。しかし結局、1941年4月、逓信省は全国を8ブロックに分割する旨を盛り込んだ「配電事業統合要綱」を発表した[24]

北陸合同電気の成立[編集]

北陸合同電気株式会社
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
富山県富山市桜橋通り1番地
設立 1941年(昭和16年)8月1日
解散 1942年(昭和17年)4月1日
(北陸配電へ統合)
業種 電気
事業内容 電気供給事業ガス供給事業鉄軌道事業旅客自動車運輸事業
代表者 菅野伝右衛門(会長)
山田昌作(社長)
公称資本金 8800万円
払込資本金 7212万2500円
株式数 176万株(額面50円)
総資産 1億2711万6千円
収入 1026万7千円
支出 874万6千円
純利益 152万1千円
配当率 年率8.0%
主要株主 日本海産業 (8.1%)、自社保有 (4.0%)、京都電灯 (3.8%)、十二銀行 (2.0%)
決算期 4月末・10月末(年2回)
特記事項:資本金以下は1941年10月期決算による[25]
テンプレートを表示

上記のように政府が第2次電力国家管理を推進する中で、北陸を代表する電力会社日本海電気にて社長を務める山田昌作は、過度の国家介入を避けるべく電気事業の自主統合実現を目指した[26]。もう一つの主要電力会社高岡電灯の社長菅野伝右衛門の合意を取り付けると監督官庁の名古屋逓信局も北陸3県の事業統合を督励するようになり、それもあって統合議論が一挙に進んだ[6]。1940年12月から合併準備委員会で具体案が議論され、翌1941年3月10日、合併契約の調印に進んだ[6]

この合併契約に調印した事業者は日本海電気・高岡電灯・金沢電気軌道小松電気大聖寺川水電越前電気の6社に日本海電気系の立山水力電気・雄谷川電力、高岡電灯系の出町電灯・手取川水力電気・石川電気・石川電力を加えた合計12社[6]。福井県内の事業だけを分離するのが困難な京都電灯と公営事業者の金沢市は北陸3県の主要事業者でありながら統合に参加していない[6]。合併方式は各社が解散して新会社を設立する新設合併であり、新会社北陸合同電気株式会社を設立するものとされた[6]。日本発送電設立時の資産評価方法を踏襲して各社の資産評価額を算出したところ、新会社の資産総額は1億3105万円に上ったが、急激な資本膨張を避けるため評価額を切り下げ、新会社の資本金は公称8800万円・払込7212万2500円と決定された[6]

合併契約調印直後の4月に逓信省が発表した「配電事業統合要綱」では配電統合を全国8ブロックに分けて実施するものとされ、北陸地方は中部地区に含まれる予定であった[26]。政府方針が北陸地方の独立を前提としないため北陸合同電気の設立意義を疑問視する意見が発生するが、一方でこの自主統合実現が北陸ブロックの独立に繋がるとの意見もあり、議論が続く[26]。7月初頭の逓信省内会議でも8ブロック案の方針が再確認され、北陸合同電気設立は取り止めるべきとの意見が優勢となるが、主唱者の山田昌作は北陸ブロック独立を目指して自主統合をそのまま推進する方針を打ち出し、7月12日、北陸合同電気設立委員会で既定方針通り新会社を設立する旨が決定される[26]。そして7月29日に北陸合同電気創立総会が開催され、3日後の8月1日付で合併が成立、旧会社12社は一斉に解散して新会社北陸合同電気が設立されるに至った[6]

北陸合同電気の取締役会長には高岡電灯から菅野伝右衛門が、取締役社長には日本海電気から山田昌作がそれぞれ就任[6]。本社は日本海電気本社が入居していた富山市の富山電気ビルに構え、富山・高岡・金沢の3都市に支社を置いた[6]

北陸合同電気設立にあたり、北陸合同電気と日本海電気の株式交換比率を1対1に設定するとともに、日本海電気が持つ兼営の都市ガス供給事業(富山市内で展開)と関係会社株式を北陸合同電気に持ち込ませないという方針が立てられ、特別な措置が講じられた[6]。その手順は、まず北陸合同電気設立にあたり分離予定の資産をひとまず同社に移し、その額に見合う交付金(払込金額の2割)を旧日本海電気の株主へ支払う[6]。受け取った株主は交付金をそのまま「日本海産業株式会社」設立のための株式払込みに充当[6]。その新会社は1941年10月1日付で発足し、払込金をもって北陸合同電気からガス事業とその関連資産ならびに旧日本海電気が持っていた関係会社株式、計737万5000円の資産を買い取る、というものであった[6]。しかし日本海産業は発足後1年間で配当統制強化のため機能を失って、1942年(昭和17年)10月15日に解散した[27]。ガス事業だけは改めて設立された日本海瓦斯(現・日本海ガス)に継承された[27]

統合事業者の概要[編集]

事業者名 所在地[28] 統合時の払込資本金[6] 主な供給区域[29] 備考
日本海電気(株) 富山県富山市 3687万5000円 富山県・石川県能登地方
主な都市は富山・滑川魚津氷見七尾輪島
ガス供給事業兼営
高岡電灯(株) 富山県高岡市 983万円 富山県西部・石川県能登地方
主な都市は高岡・新湊石動
出町電灯(株) 富山県東礪波郡出町 15万円 富山県東礪波郡出町ほか
金沢電気軌道(株) 石川県金沢市 525万円 石川県加賀地方
主な都市は金沢
鉄軌道バス事業兼営
小松電気(株) 石川県能美郡小松町 300万円 石川県加賀地方・富山県東部
主な都市は小松
大聖寺川水電(株) 石川県江沼郡大聖寺町 200万円 石川県加賀地方南部
主な都市は大聖寺
越前電気(株) 福井県今立郡鯖江町 488万円 福井県越前地方
主な都市は武生三国
立山水力電気(株) 富山県富山市 312万5000円 区域なし(特定電気供給事業)[28] 
手取川水力電気(株) 石川県金沢市 60万円 区域なし(特定電気供給事業)[28] 金沢電気軌道・金沢市営へ供給[30]
石川電気(株) 石川県金沢市 40万円 区域なし(特定電気供給事業)[28] 金沢市営へ供給[30]
石川電力(株) 石川県石川郡林村 4万円 区域なし(特定電気供給事業)[28] 金沢電気軌道へ供給[30]
雄谷川電力(株) 石川県能美郡小松町 60万円 区域なし(特定電気供給事業)[28] 小松電気へ供給[30]

配電統制第1次統合[編集]

北陸合同電気設立と並行して1941年7月30日から開催された配電統制令に関する総動員審議会の審議の結果、8月3日、全国を8ブロックではなく暫定的に9ブロックに分割して配電統合を実施する、すなわち中部地区を二分し北陸3県を暫定的に独立させる方針を最終決定した[26]。1か月で8ブロック方針が覆り北陸独立が認められた背景には、山田昌作が逓信省に対して行った連日の陳情活動があるという[26]

配電会社の設立命令は1941年9月6日に全国の主要事業者を対象に発令された[24]。そのうち北陸3県を配電区域とする北陸配電株式会社の設立命令は、北陸合同電気・京都電灯日本電力市営電気供給事業を営む金沢市の4事業者が対象とされた[3]。いずれも配電統制令第2条[注釈 1]に基づく命令であり、4事業者のうち北陸合同電気のみ「配電株式会社と為るべき株式会社」(いわゆる指定会社)、残る3事業者が「電気供給事業設備を出資すべき者」に分類され、特に後者についてはその出資すべき電気供給事業設備の範囲が明示[注釈 2]された[5]。また4事業者のうち京都電灯は北陸配電以外にも関西配電の設立を命ぜられ、日本電力も関西配電・中部配電関東配電の設立を命ぜられている[5]

設立命令を受けて9月20日設立委員会が立ち上げられ、以後北陸配電設立に向けた準備が進められる[3]。12月には出資設備の評価額が北陸合同電気7495万5000円・金沢市1400万円・京都電灯1175万6000円・日本電力630万4000円と決定され、各事業者にはそれに見合う数の北陸配電株式(額面50円)が交付されることとなった[6]。また準備の過程で、旧金沢電気軌道から持ち込まれ兼業として北陸合同電気が営んでいた鉄軌道事業と旅客自動車運輸(=路線バス)事業を整理する必要が生じたため、これら交通事業の資産を現物出資して資本金500万円にて新会社北陸鉄道[注釈 3]が設立されている(1942年4月1日発足)[6]。準備を経て翌1942年(昭和17年)3月28日富山電気ビルにて北陸配電の創立総会開催に至る[3]。4日後の4月1日登記完了により北陸配電は発足した[3]

北陸配電設立の結果、北陸合同電気は指定会社のため設立と同時に消滅し[31]、設備を出資した京都電灯は4月1日当日に解散した[32]。金沢市でも電気事業を担当していた電気水道局が3月31日に解散している[33]。一方で日本電力は証券保有会社「日電興業」に衣替えして会社自体は存続した[31]

統合事業者の概要[編集]

事業者名 所在地 資本金
(払込資本金)
供給区域
北陸合同電気(株) 富山県富山市 8800万円[25]
(7212万5000円)
上記参照
京都電灯(株) 京都市下京区 8000万円[34]
(6320万円)
北陸では福井県(若狭地方を含む)[35]
主な都市は福井大野敦賀小浜
日本電力(株) 大阪市北区 2億2280万円[36]
(1億6845万円)
北陸では富山県[37]
金沢市公営 石川県金沢市 - 金沢市・石川郡戸板村[29]

配電統制第2次統合[編集]

北陸配電設立時に統合された事業者は固定資産500万円以上の事業者に限定されていた[3]。従って北陸配電設立後も北陸各地には中小事業者が点在しており、これらを統合すべく第1次統合に続いて第2次統合が北陸配電自身によって始められた[3]。統合対象は9事業者で、1942年12月1日と翌1943年(昭和18年)3月1日の2度に分割して統合が実施されている[3]。統合した配電事業者とその概要は以下の通り。

1942年12月1日統合(5事業者)
事業者名 所在地[28] 資本金[28] 供給区域[29]
五箇山電気(株) 大阪市北区 10万円 富山県東礪波郡上平村平村
利賀電気(株) 富山県東礪波郡井波町 20万円 富山県東礪波郡利賀村
加積電気(株) 富山県中新川郡北加積村 10万円 区域なし(特定電気供給事業)[28]
土肥庄太郎(個人) 富山県中新川郡大岩村 - 富山県中新川郡大岩村
片貝谷村(公営) 富山県下新川郡片貝谷村 - 富山県下新川郡片貝谷村
1943年3月1日統合(4事業者)
事業者名 所在地[28][38] 資本金[28][38] 供給区域[29]
温泉電軌(株) 石川県江沼郡山代町 150万円 石川県江沼郡ほか
勝山電力(株) 福井県大野郡勝山町 40万円 福井県大野郡勝山町ほか2村
鶴来町(公営) 石川県石川郡鶴来町 - 石川県石川郡鶴来町・内川村
南保村(公営) 富山県下新川郡南保村 - 富山県下新川郡南保村

このうち温泉電軌は電気軌道事業を本業としており電気供給事業のみを北陸配電に引き渡し、会社自体は存続した[39](ただし半年後の1943年10月交通事業統合で北陸鉄道となった[40])。

北陸地方で電気事業を経営する事業者は、これまでに挙げた以外にも矢作水力や県営電気事業を持つ富山県などがあったが、1942年10月までにすべて日本発送電へ統合された[6]。配電統制と日本発送電への統合の結果、北陸3県には北陸配電と日本発送電以外の電気事業者は皆無となった。

配電区域[編集]

第2次統合完了後の北陸配電の配電区域は、富山県石川県および福井県の大部分三方郡遠敷郡大飯郡以外)、岐阜県の一部吉城郡坂下村)である[41]

1941年9月公告の北陸配電設立命令書が指定する配電区域は富山・石川・福井の3県であったが、「当分の間」福井県のうち三方・遠敷・大飯3郡を関西配電の配電区域に含めるとされた[5]。その後1943年3月31日付で配電区域変更が命ぜられ、中部配電区域のうち岐阜県吉城郡坂下村が配電区域に追加された[4]。1951年の電気事業再編成ではこれら北陸配電区域に、中部配電区域のうち富山県に接し社内の送電連絡から孤立していた岐阜県吉城郡神岡町を加えた地域が新たに北陸電力の供給区域になっている[11]

備考[編集]

1943年より配電区域に加わった岐阜県吉城郡坂下村(現・飛騨市)は、県境を挟んだ富山県婦負郡細入村大字蟹寺・加賀沢(現・富山市蟹寺・加賀沢)とともに1925年(大正14年)3月より日本電力の供給区域であった地域にあたる[42]

配電統制の段階でも自治体単位で電気のない地域が存在した[21]。一つは富山県婦負郡大長谷村(現・富山市)で、1943年になって供給が始まる[21]。もう一つは石川県鳳至郡西保村(現・輪島市)で、同村での供給開始は1946年(昭和21年)であった[21]。配電統制前にはこの2村のほかにもどの電気事業者の供給区域にも含まれない地域があったが、そうした地域では産業組合(電気利用組合)や住民共同による自家用電気工作物施設という形の電気利用が広がっていた[21]。1943年2月時点では利用組合自家用電気工作物施設が27件、共同自家用電気工作物施設が18件、北陸3県にあった[3]。北陸配電はこれらの処遇について名古屋逓信局から検討を求められたことから、1944年(昭和19年)1月1日付で第3次統合として富山県婦負郡卯花村(現・富山市)の卯花信用購買販売利用組合および同郡山田村(同)の山田信用購買販売利用組合の施設を統合した[3]

脚注[編集]

[ヘルプ]

注釈[編集]

  1. ^ 「逓信大臣は電気供給事業を営む者に対し配電株式会社の設立を命ずることを得、前項の命令に於ては配電株式会社と為るべきこと又は電気供給事業設備を出資すべきことを命ずることを得」、とある(「勅令第832号 配電統制令」NDLJP:2960893/3
  2. ^ いずれも指定の発電設備・送電設備・変電設備と配電区域内にあるすべての配電設備・需要者屋内設備・営業設備を出資すべきとされた。
  3. ^ 旧北陸鉄道。石川県下における交通統合にともない1943年10月13日付で温泉電軌ほか5社と合併し、現在の北陸鉄道が発足した(『北鉄の歩み』92頁)。

出典[編集]

  1. ^ 『北陸地方電気事業百年史』838頁
  2. ^ 「勅令第832号 配電統制令」『官報』第4395号、1941年8月30日。NDLJP:2960893/3
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『北陸地方電気事業百年史』414-416頁
  4. ^ a b 「中部配電株式会社及北陸配電株式会社設立命令書中事項変更に関する公告」『官報』第4863号、1943年3月31日。NDLJP:2961368/62
  5. ^ a b c d 「配電統制令第三条第二項の規定に依る配電株式会社設立命令に関する公告」『官報』第4413号、1941年9月20日。NDLJP:2960911/17
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『北陸地方電気事業百年史』399-408頁
  7. ^ 『北陸地方電気事業百年史』410-414頁
  8. ^ 『北陸地方電気事業百年史』420-424頁
  9. ^ 『北陸地方電気事業百年史』424-425頁
  10. ^ a b c 「政令 電気事業再編成令」『官報』号外第124号、1950年11月24日。NDLJP:2963709/10
  11. ^ a b 『北陸地方電気事業百年史』522-524頁
  12. ^ a b c 『北陸地方電気事業百年史』15-21頁
  13. ^ a b 『北陸地方電気事業百年史』30-32頁
  14. ^ a b 『北陸地方電気事業百年史』21-30頁
  15. ^ a b c 『北陸地方電気事業百年史』38-41頁
  16. ^ 『北陸地方電気事業百年史』95-100頁
  17. ^ a b c d 『北陸地方電気事業百年史』131-133頁
  18. ^ 『北陸地方電気事業百年史』185-190頁
  19. ^ 『北陸地方電気事業百年史』133-148頁
  20. ^ 『北陸地方電気事業百年史』148-154頁
  21. ^ a b c d e 『北陸地方電気事業百年史』200-203頁
  22. ^ 『北陸地方電気事業百年史』239-244頁
  23. ^ 『北陸地方電気事業百年史』315-321頁
  24. ^ a b c d e f g h i j k 『北陸地方電気事業百年史』321-328頁
  25. ^ a b 『株式年鑑』昭和17年度629頁。NDLJP:1069958/322
  26. ^ a b c d e f 『北陸地方電気事業百年史』328-333頁
  27. ^ a b 『日本海ガス五十年史』36-37頁
  28. ^ a b c d e f g h i j k 『電気事業要覧』第31回31-35頁。NDLJP:1077029/27
  29. ^ a b c d 『電気事業要覧』第30回580-593頁。NDLJP:1073660/325
  30. ^ a b c d 『北陸地方電気事業百年史』300-304頁
  31. ^ a b 電力再構成の前進」『中外商業新報』1942年4月8日 - 18日連載。神戸大学附属図書館「新聞記事文庫」収録
  32. ^ 『株式年鑑』昭和17年度613頁。NDLJP:1069958/314
  33. ^ 『北陸地方電気事業百年史』388-390頁
  34. ^ 『株式年鑑』昭和17年度613頁。NDLJP:1069958/314
  35. ^ 『電気事業要覧』第30回608-610頁。NDLJP:1073660/335
  36. ^ 『株式年鑑』昭和17年度607頁。NDLJP:1069958/311
  37. ^ 『電気事業要覧』第30回614-615頁。NDLJP:1073660/338
  38. ^ a b 『電気事業要覧』第34回21-22頁。NDLJP:1900192/16
  39. ^ 『北鉄の歩み』69-75頁
  40. ^ 『北鉄の歩み』92頁
  41. ^ 『電気事業要覧』第35回17頁
  42. ^ 『日本電力株式会社十年史』367頁

参考文献[編集]

  • 企業史
    • 日本海ガス(編)『日本海ガス五十年史』日本海ガス、1992年。
    • 日本電力(編)『日本電力株式会社十年史』日本電力、1933年。
    • 北陸鉄道(編)『北鉄の歩み』北陸鉄道、1974年。
    • 北陸地方電気事業百年史編纂委員会(編)『北陸地方電気事業百年史』北陸電力、1998年。
  • 逓信省関連
    • 逓信省電気局(編)『電気事業要覧』第30回、電気協会、1939年。
    • 電気庁(編)『電気事業要覧』第31回、電気協会、1940年。
    • 逓信省電気局(編)『電気事業要覧』第34回、電気協会、1943年。
    • 通商産業省公益事業局(編)『電気事業要覧』第35回、日本電気協会、1953年。
  • その他文献
    • 大阪屋商店調査部(編)『株式年鑑』昭和17年版、大同書院、1942年。