十代 恵子の場合

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十代 恵子の場合
監督 内藤誠
脚本 内藤誠
出演者 森下愛子
三浦洋一
風間杜夫
殿山泰司
音楽 杉田一夫
撮影 鈴木史郎
編集 田中修
製作会社 東映セントラルフィルム
配給 東映
公開 1979年2月24日
上映時間 80分[注 1]
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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十代 恵子の場合』(じゅうだいけいこのばあい)は、1979年公開の日本映画森下愛子主演、内藤誠監督。東映セントラルフィルム製作、東映配給。併映『喧嘩道』(小田島章主演、小平裕監督)。

概要[編集]

森下愛子の初主演映画[2][3]。当時社会問題化していた少女非行の実態をドキュメンタリータッチで描く異色作[1][4]

ストーリー[編集]

大学入試を目前に控えた女子高生・恵子は、家庭内の不和、学校の成績至上主義の圧迫感から不良グループの誘いに乗って、スナックディスコで遊び始める。やがて、家出、飲酒、マリファナ、暴力団員と交際しレイプされ初体験。妊娠、中絶を経て売春。ソープランドで働くようになった恵子は麻薬に溺れ、禁断症状に苦しむヤク中毒に転落していく[1][4]

キャスト[編集]

スタッフ[編集]

製作経緯[編集]

企画、及び映画タイトル命名は、当時の東映社長・岡田茂[5][6]東京都民生局発行の少女非行防止キャンペーンPR冊子に掲載された「十代 恵子の場合」というタイトルのショートストーリーを岡田が読んで気に入り[5][6][7]「このタイトルで脚本を書いてお前が低予算で作れ」と内藤誠に命じた[6]。内藤の東映時代の監督作品の題名は全て岡田の命名だという[8]。岡田が撮影中のセットに現れ「おい内藤、おまえのためにいい題名考えてやったぞ、と言われるたびに恐怖を感じた」と話している[6]。しかし興行のために岡田が奮闘努力していることを皆分かっているから出演者も誰一人文句を言わなかったという[6]。製作費は企業の作品としては、これ以下では出来ないだろうというほどの低予算で[5]セットは組まずオールロケを敢行[9]。またキャスティング風間杜夫殿山泰司など、内藤がテレビの仕事で付き合いがあった人たちに頼んだ[5]。映画初主演の森下愛子は内藤が監督した東映スケバン映画最終作『地獄の天使 紅い爆音』(1977年)で映画デビューしていたため[2]、今度は主演でやってくれと頼んだという[5]。本作は内藤が東映で撮った最後のプログラムピクチャー[5][6]撮影後東映を退社しフリーとなっている[10]

注釈[編集]

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  1. ^ 『シネアルバム(77)』では87分[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 佐藤忠男山根貞男責任編集 『シネアルバム(77) 日本映画1980 1979公開日本映画全集』 芳賀書店、1980年、211頁。
  2. ^ a b 『日本映画俳優全集・女優編』 キネマ旬報社1980年、700-701頁。
  3. ^ 若き日の森下愛子に注目、女子高生の転落人生を描いた異色作
  4. ^ a b 「新作グラビア、日本映画紹介」、『キネマ旬報』1979年3月下旬号、 48、170頁。
  5. ^ a b c d e f flowerwild.net - 内藤誠、『番格ロック』を語る vol.3
  6. ^ a b c d e f 内藤誠 『偏屈系映画図鑑』 キネマ旬報社、2011年、93、184-185頁。ISBN 978-4-87376-381-1。
  7. ^ 「日本映画批評」、『キネマ旬報』1979年4月上旬号、 180頁。
  8. ^ 杉作J太郎・植地毅(編著) 「内藤誠インタビュー」『東映ピンキー・バイオレンス浪漫アルバム』 徳間書店1999年、107頁。ISBN 4-19-861016-9。
  9. ^ 十代 -恵子の場合-|一般社団法人日本映画製作者連盟
  10. ^ 『日本映画テレビ監督全集』 キネマ旬報社、1988年、270頁。