千代田 (河内長野市)

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千代田
ちよだ
日章旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
自治体 河内長野市
旧自治体 南河内郡千代田村
世帯数
12,323世帯
総人口
28,069
住民基本台帳、2014年12月)
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千代田地域(西:楠地区、東:千代田地区)

千代田(ちよだ)は、大阪府河内長野市内の一地域。河内長野市の北部に位置し、河内長野市の前身である南河内郡長野町と合併する前の南河内郡千代田村の大部分とその周辺の地域である。

名称は大正天皇即位に因んで、江戸城の別名「千代田城」から因るもの[1]で、第二次世界大戦後に開発された千代田南町や千代田台町は地名の一部として使用されているが、千代田という単独の地名は過去も現在も存在しない。

本項では南河内郡千代田村についてと、現在、当地域の楠町東楠町西松ケ丘東町松ケ丘中町松ケ丘西町木戸木戸西町木戸東町木戸町千代田南町市町汐の宮町向野町桐ケ丘自由ケ丘あかしあ台小山田町北貴望ケ丘南貴望ケ丘千代田台町について記述する。

歴史・概要[編集]

ちよだむら
千代田村
廃止日 1940年6月1日
廃止理由 新設合併
千代田村、長野町、天野村長野町
現在の自治体 河内長野市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
南河内郡
総人口 2,230
(国勢調査人口、1935年10月1日)
隣接自治体 錦郡村彼方村、長野町、天野村、狭山村
千代田村役場
所在地 大阪府南河内郡千代田村大字市
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近代以前[編集]

日本 > 畿内 > 河内国 > 錦部郡 > 市村市村新田向野村

近代以降[編集]

日本 > 大阪府 > 南河内郡 > 市新野村千代田村

  • 1889年4月1日町村制施行により市村、市村新田、向野村が合併して、市新野村(いちしのむら)が発足。村役場は現在の市町東集会所の北側に存在した。
    • 当初は市村と名乗る予定であったが、総面積・人口で市村を凌ぐ市村新田が合併に反対し独立を主張。その後、市村新田・錦郡新田・伏山新田の3新田の合併や5村での合併を申し立てたが却下され、やむを得ず3村での合併に至った。協議の末、名称は市新村とすることで妥協したが、市村で異議がおこり、村、市村田、向村のそれぞれ一字ずつから取る形で決着した。なお大阪府からは村名が不自然だとして4度に渡って再検討を通達されている。
    • 1898年4月2日高野鉄道狭山駅 - 長野駅(現河内長野駅)間が開通、当初は村内に駅は設置されなかった。
    • 1902年12月12日河南鉄道滝谷不動駅 - 長野駅間が開通、当初は村内に駅は設置されなかった。
    • 1911年8月15日に河南鉄道の汐ノ宮駅が開業、千代田駅開業まで村内の中心駅として機能した。
  • 1916年4月1日に名称を千代田村に改称。名称は前述の通り江戸城の別名「千代田城」に因む。
  • 1940年6月1日に長野町、天野村と合併し、長野町の一地域となる。

河内長野市制施行以降[編集]

地理[編集]

千代田地域空撮

河内長野市の北部に位置する。東端を石川、西端を西除川が流れている。千代田駅を中心として大阪南医療センター前交差点から貴望ヶ丘交差点までの市道沿いに商店街が形成されていて、河内長野市北部の中心部となっている。

河川[編集]

交通[編集]

千代田駅西側
主な道路
鉄道

地域[編集]

楠町東、楠町西[編集]

読みは「くすのきちょうひがし」、「くすのきちょうにし」。かつて「与通東」「与通南」(よつ-)と呼ばれていた地区で、1969年11月1日の町名変更時に西高野街道を境に東側を「楠町東」、西側を「楠町西」となった。特に楠町東は千代田駅の西側にあることや国道310号が通ることから、木戸西町並んで現在の千代田地域の中心部となっている。

主な施設、旧跡など

(楠町東)

(楠町西)

松ケ丘東町、松ケ丘中町、松ケ丘西町[編集]

かつて「与通北」(よつきた)と呼ばれていた地区で、1969年11月1日の町名変更時に国道310号より東側を「松ケ丘東町」、国道310号と西高野街道の間を「松ケ丘中町」、を西高野街道より西側「松ケ丘西町」となった。千代田駅よりも富田林市にある滝谷駅の方が距離的に近いため、そちらを利用する住民が多い。

主な施設、旧跡など

(松ケ丘東町)

(松ケ丘中町)

(松ケ丘西町)

木戸[編集]

2000年10月1日に制定された住所表記。市町と木戸町のそれぞれ一部の地区が当地区に制定された。南部は千代田駅前通りを中心に各種商店が建ち並び、北部は住宅地が広がっている。

当地区にある千代田団地は、1975年から2年かけて柳風台(りゅうふうだい)として開発された。 児童公園として柳風台第一、第二、第三公園(ぞうさん公園)があるほか、鳴尾自治会館の裏に鳴尾公園(かめさん公園)がある。

主な施設、旧跡など

木戸西町[編集]

読みは「きどにしまち」。かつては「木戸石坂」「原石坂」と呼ばれ、その後「木戸町」と住所表記されていたが、2004年12月6日に現在の住所表記が制定された。現在、石坂という地名は存在しないが、バス停や交差点名には今日でも使用されている。現在の千代田地域の中心部となっている。

主な施設、旧跡など
  • 千代田公民館
  • 河内長野警察署 千代田駅前交番
  • 千代田ショッピングセンター
    • 西友 千代田店
    • 生鮮市場 ばんばん
  • 柏友千代田クリニック
  • NTN 金剛製作所

木戸東町[編集]

読みは「きどひがしまち」。1996年9月1日に制定された住所表記。大部分は大阪南医療センターと府営河内長野木戸住宅にあたる。大阪陸軍幼年学校など旧陸軍施設があった場所でもある。

主な施設、旧跡など

木戸町[編集]

読みは「きどちょう」。町村制施行以前の市村新田の一部にあたる。現在の住所表記制定以前は木戸、木戸東町、木戸西町、千代田南町地区も含まれていたが、現在は河内長野市立千代田小学校や寺ヶ池などの5か所に飛び地として残っている。

主な施設、旧跡など

千代田南町[編集]

読みは「ちよだみなみちょう」。1963年から1967年にかけて、千代田台町に次いで「千代田南海住宅」として南海が開発した小規模ニュータウン。住所表記は1967年9月1日に制定された。

主な施設、旧跡など

市町[編集]

読みは「いちちょう」。町村制施行以前の市村の大部分にあたる。

主な施設、旧跡など

汐の宮町[編集]

第二次世界大戦前石川を挟んだ富田林市汐ノ宮温泉が存在した。

主な施設、旧跡など

向野町[編集]

読みは「むかいのちょう」。町村制施行以前の向野村にあたる。千代田村時代は、現在の汐ノ宮駅周辺が当地域の中心部で距離的に近かったため、結びつきが強かった。戦後、千代田駅周辺に中心部が形成されたことや、河内長野駅が最寄りとなるため、現在では長野地域との結びつきの方が強い。

あかしあ台、桐ケ丘、自由ケ丘[編集]

「あかしあ台」は1983年から2000年にかけて、「桐ケ丘」は1979年から1983年にかけて、自由ケ丘は1986年から1989年らかけて開発された小規模ニュータウン。住所表記はあかしあ台2丁目を除いて1990年3月1日、あかしあ台2丁目は1994年3月1日に制定された。特に桐ケ丘と自由ケ丘は、松ケ丘地区と同じく滝谷駅の方が距離的に近いため、そちらを利用する住民が多い。

北貴望ケ丘、南貴望ケ丘[編集]

1968年から1970年にかけて、開発観光と日生不動産が開発した小規模ニュータウン。住所表記は1969年11月1日に制定され、市道原町狭山線を境に北側を「北貴望ケ丘」、南側を「南貴望ケ丘」となった。市道原町狭山線は当初、当地区で終点だったため交通量も少なかったが、1990年代後半に小山田北大橋が開通、府道38号富田林泉大津線と接続されて、狭山ニュータウン泉北ニュータウンから河内長野市へと通り抜ける車で、交通量は一気に増加した。

主な施設、旧跡など

(北貴望ケ丘)

  • 府営貴望ケ丘住宅

(南貴望ケ丘)

千代田台町[編集]

読みは「ちよだだいちょう」。1961年から1967年にかけて、河内長野市で初めて開発された「千代田台」という小規模ニュータウン。住所表記は1967年9月1日に制定された。

主な施設、旧跡など
  • 河内長野千代田台郵便局
  • 府営千代田台住宅

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 楠原佑介『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。ISBN 4-490-10280-1。
  • 町名一覧表 - 河内長野市

脚注・出典[編集]

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  1. ^ 小山田小学校区まちだよりvol.6 - 小山田小学校区まちづくり会、2013年10月、6頁 (PDF)
  2. ^ a b 千代田郵便局”. ちきページ. 2015年4月26日閲覧。
  3. ^ 河内長野松ケ丘郵便局”. ちきページ. 2015年4月26日閲覧。
  4. ^ 河内長野千代田台郵便局”. ちきページ. 2015年4月26日閲覧。
  5. ^ (株)東海銀行『東海銀行史. 続』(1982.05)”. 渋沢社史データベース. 2015年4月26日閲覧。
  6. ^ 合併に伴う支店名・店番変更のご案内”. UFJ銀行. 2002年2月9日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2015年4月29日閲覧。
  7. ^ 総合実施済の店舗”. UFJ銀行. 2002年12月1日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2015年4月29日閲覧。
  8. ^ (株)協和銀行『協和銀行通史』(1996.06)”. 渋沢社史データベース. 2015年4月26日閲覧。
  9. ^ (株)大和銀行『大和銀行七十年史』(1988.11)”. 渋沢社史データベース. 2015年4月26日閲覧。