千葉県営鉄道北千葉線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

千葉県営鉄道北千葉線(ちばけんえいてつどうきたちばせん)とは、千葉ニュータウンの開発にともなって千葉県により計画された鉄道路線(具体的には都市交通審議会答申第15号において、東京10号線として、橋本 - 芦花公園間ともに、住吉町 - 千葉ニュータウン間が追加されたもの)である。後に方針が転換され「東京10号線延伸新線」と名称が改められ、結果、未成のまま免許取り消しとなった。

経緯[編集]

1960年代の高度経済成長を機に、東京都民圈は拡大し、容易な用地取得が可能な郊外に大規模なニュータウンを建設し、都心部とを結ぶ交通機関を整備することが目標とされるようになった。その主たる3つのものが、多摩ニュータウン港北ニュータウン、そして千葉ニュータウンである[1]

千葉ニュータウンは、1966年(昭和41年)に千葉県が単独で事業を開始したもので、1968年に基本設計が発表された。それは、船橋市から白井市印西市にまたがる、東西18km、南北3kmの北総台地の約2900haの範囲に、計画人口34万人、計画戸数87,000戸を目指そうとするもので、近隣の施設(成田国際空港や、京葉工業地域)との連係をもはかろうとしたものであった。

このニュータウンを東京都心と結ぶ鉄道として(多摩ニュータウンの鉄道が小田急電鉄京王帝都電鉄(当時、現:京王電鉄)の両社に認可された場合と同様に)、

  1. 都営1号線(現在の都営浅草線)から京成電鉄京成高砂駅経由で小室駅(船橋市)まで結ぶ路線
  2. 都営10号線(現在の都営新宿線)の東大島駅江東区)を経由し、新鎌ケ谷鎌ケ谷市)、印旛地区(仮称:印旛松虫、現北総鉄道北総線印旛日本医大駅(旧印旛村、現印西市))にいたる路線

の二つが1972年3月の都市交通審議会答申15号に盛り込まれていた。2.に関しては、東大島駅 - 本八幡駅(市川市)間を東京都が、残りの区間を千葉県が千葉県営鉄道北千葉線(仮称)として建設し、都営新宿線と直通運転を実施する計画であった。

1973年東京都交通局と千葉県開発局長との間で覚書が交わされ、同年10月に、同区間の免許交付となった[2]

建設費は、1.が537億円、2.が730億円、で輸送需要はそれぞれ14万人、23万人と見積られていた。なお、前者は新宿線の軌間が、乗り入れ先の京王線に合わせて1372mmに統一されており、後者は同じく乗り入れ先の京浜急行などと同じ1435mmで、そのままでは直通運転ができないようになっていた。

建築費・輸送需要から見ても分かるように、2.がメインルートであった。これは、1.が京成電鉄18m中形車8両編成であること、京成押上線京成本線の輸送量の限界も考慮した判断であったという。ならば20m大形車10両編成が可能な2.を輸送の中心にすることが最適なことと思われたのである。

ところが、1973年のオイルショックによる物価高騰や、東京都市圏の人口増の鈍化、成田新空港建設の遅延などが災いし、ニュータウン建設の資金調達がおぼつかなくなる。

同年11月、県は運輸大臣に対し、第一期区間(小室 - 千葉ニュータウン中央駅)の分割施行認可申請を行い、該当区間を単線で開業させ、新京成線北総線経由・単線(軌間・1435mm)で開業させ、常磐線松戸駅から東京都心へのルートを確保しようとした。2年後の第一次入居に間に合わせるためである。第一期区間の残る一線に本来の軌間(1372mm)を敷設した上で全線開業(この時点で北総線との直通を中止)し、そののち先行開業区間を改軌して完成とする計画としていた[3]

1974年10月に第二期区間の本八幡駅 - 小室駅と、千葉ニュータウン中央駅以東の分割工事施行の認可を受ける。この時に「北千葉線」と命名される。

当初は第三期区間として、印旛松虫から成田ニュータウンを通り成田駅方面まで建設する計画もあった[4]。当時の資料では印旛沼を4.6kmの高架線で通過し、成田ニュータウンを堀割で抜ける予定であったという。

しかし、先の審議会答申15号では10号線の終点が、千葉ニュータウンであったことが影響してか、千葉県は印旛松虫以東10.2kmの申請を保留することになった。これは、成田新幹線の建設と、その途中駅としての千葉ニュータウン駅の設置も大いに関係している。すなわち、空港への運輸は主として新幹線が担うものとされたためである。

1975年に小室区域から工事が着工される。だが。地価や資材の高騰により、1973年段階では本八幡駅 - 印旛松虫730億円の工事費が、1977年には2031億円にまで跳ね上がる。原因として、企業庁による小室駅 - 新鎌ケ谷駅間の土地収容率がわずか4割であったことがあげられる。

1978年に新宿線と接続させる計画になっていたが、地下鉄の全通時期が未定のまま、同年1月には宅地開発公団法を改正し、小室駅 - 印旛地区(印旛松虫)間の免許を宅地開発公団に譲渡する協定が結ばれた。本八幡駅 - 小室駅については、この時点で県が建設を凍結した。3月には、同公団は、資金難である県とともに住宅開発を行うことが決定する。こうして、宅地公団は住宅公団と統合され、住宅・都市整備公団(現、UR都市機構)となった。

1979年3月に、住宅・都市整備公団により北初富駅 - 小室駅間が開通、新京成線と乗り入れを開始。

1984年に千葉ニュータウン中央駅まで延伸し、ニュータウンへの入居が進む。このころから、ニュータウンの計画人口・面積の見直しが行われ、1986年12月までにそれぞれ17.6万人、1933haに縮小され、都市計画・事業認可の変更認可が完了する。

1985年(昭和60年)には、残された区間が「都市交通審議会」を継承した運輸政策審議会答申第7号から削除される[5]

一方、都営新宿線は1986年までに篠崎駅まで開通し、1989年(平成元年)には本八幡駅まで延びる予定であったが、北千葉線開通の見通しなしに路線を伸ばして採算がとれるのか、都議会議員や関係者からの疑念の声が湧き起こった。

そのため、千葉県は路線延長で都を説得し、同時に1990年(平成2年)には市川市、鎌ケ谷市で「北千葉線検討委員会」を設置し、計画の再検討が開始される。

その結果、1992年(平成4年)3月に北総線との併走区間(新鎌ケ谷駅 - 小室駅間)の建設中止、本八幡駅 - 新鎌ヶ谷を県と2市が出資する第三セクターによって将来事業化する方向で決定し、ニュータウン鉄道から鉄道不便地帯、鉄道空白地帯へのアクセス鉄道へと方針転換。10月には北千葉線促進検討委員会が設置された。

しかし、バブル崩壊による県や市の財政悪化、千葉都市モノレール東葉高速線などの経営状態、さらには高運賃が原因の北総線赤字と千葉ニュータウン入居者の伸び悩み問題から、県としても北千葉線問題どころではなくなる。

その後2000年(平成12年)8月に、自民・公明・保守三与党による「公共事業の抜本的見直しに関する合意」が出され、鉄道事業で唯一、北千葉線が取り上げられ、中止勧告が下された[6]。これを受けて県は鉄道事業の廃止を運輸大臣に届出、鉄道建設は白紙に戻され、11月に運輸省は北千葉線の中止を正式に決定した[7]

一方では、10月の県議会では、「東京10号線延伸新線」の名称で第三セクターによって将来事業化する方向で調査検討をする旨が表明されていた[8]

だが、沿線人口の増加が期待できないこと、約1400億円の事業費と採算性の問題、累積赤字を抱えている北総鉄道の減収にもつながるおそれから「東京10号線延伸新線促進検討委員会」が2013年(平成25年)9月3日で解散したため[9]、計画そのものが廃止となった。

設置予定駅[編集]

本八幡駅 (市川市)- 東菅野駅(市川市)- (市川大野駅(市川市)、あるいは 船橋法典駅(船橋市))- 柏井駅(市川市)- 中沢駅(鎌ケ谷市)- 新鎌ケ谷駅(鎌ケ谷市)-(北総線経由)- 印旛日本医大駅(印西市)

現状[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ UR都市機構|千葉業務部 - まちづくりの取り組み - 千葉ニュータウン”. 独立行政法人都市再生機構. 2014年12月17日閲覧。
  2. ^ 『ちばの鉄道一世紀』 p245 白土貞夫(崙書房出版、1996年 ISBN 4-8455-1027-8
  3. ^ 『鉄道ピクトリアル』1974年2月号 (No.289) 「千葉ニュータウンへの鉄道」
  4. ^ 『鉄道ファン』2010年5月号(No.589)、交友社
  5. ^ この頃より、都外への新線建設に対して、県や地元沿線自治体との第三セクターという形式がとられるようになる。
  6. ^ 北総線印旛日本医大駅から成田空港までの成田新高速鉄道建設の見返りに、北千葉線建設が諦めさせられた、という(「全国未完成鉄道路線」p53、川島令三:著、講談社、2007年) 372頁
  7. ^ “県営鉄道北千葉線 事業廃止を届け出 本八幡 - 新鎌ケ谷9.3”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 1. (2000年12月29日) 
  8. ^ 千葉県ウェブサイト・北千葉線に関するページ
  9. ^ 新鎌ケ谷への延伸計画廃止 検討委員会が解散 都営新宿線 - 千葉日報オンライン、2013年9月4日。

参考資料[編集]

  • 『鉄道未成線を歩く 私鉄編 夢破れて消えた鉄道計画線 実地調査』森川誠之:著(JTBキャンブックス、2001年)
  • 『図解【新説】全国未完成鉄道路線 謎の施設から読み解く鉄道計画の真実』川島令三:著(講談社、2007年)
  • 『新線鉄道計画徹底ガイド 東日本編』川島令三:著(山海堂、2001年)
  • 『読む・知る・愉しむ 東京の地下鉄がわかる事典』青木栄一:監修、日本実業出版社:編(2004年)

関連項目[編集]