南大東島

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南大東島
Minamidaitojima Island Aerial photograph.2012.jpg
南大東島の空中写真。
2012年12月7日撮影の50枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
所在地 日本の旗 日本沖縄県島尻郡南大東村
所在海域 太平洋
所属諸島 大東諸島
座標 北緯25度50分44秒 東経131度14分41秒 / 北緯25.84556度 東経131.24472度 / 25.84556; 131.24472座標: 北緯25度50分44秒 東経131度14分41秒 / 北緯25.84556度 東経131.24472度 / 25.84556; 131.24472
面積 30.53 km²
海岸線長 21.2 km
最高標高 75 m
南大東島の位置(南西諸島内)
南大東島
南大東島の位置(日本内)
南大東島
     
Project.svgプロジェクト 地形
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位置

南大東島(みなみだいとうじま)は、沖縄本島の約400km東方(宮崎県の真南)に位置する大東諸島で、沖縄県内では6番目に面積が大きい。

近年、航空機の大型化などで観光客が容易に訪れることが可能になり、豊かな自然を生かした観光地としても注目されている。

地理[編集]

南大東(南大東島)
雨温図(説明)
123456789101112
 
 
77
 
21
15
 
 
80
 
21
15
 
 
84
 
23
16
 
 
114
 
25
19
 
 
222
 
27
22
 
 
200
 
30
25
 
 
118
 
32
26
 
 
151
 
32
26
 
 
168
 
31
25
 
 
181
 
29
23
 
 
121
 
26
20
 
 
125
 
23
17
気温(°C
総降水量(mm)
出典:気象庁

北方の北大東島とは12km離れている[1]。面積30.53km2[2]、周囲21.2km[3]、標高75m[4]の島。

島の北端から北に10kmの位置にある北大東島のほか沖大東島を除いては、周囲400kmに渡って陸地のない絶海の孤島である。また、島の周りの海は非常に深く、沖へ2kmほど出れば水深は1,000mに達する。

地形[編集]

北大東島と同じくサンゴ礁が隆起して出来た隆起環礁の島で、現地では外部の環状地を「幕」、高台部分を「幕上」、中央の低地部分を「幕下」と呼んでいる[1]。典型的な隆起環礁として世界の地形学の教科書では説明モデルにもなっている。また、2007年には大東隆起環礁として日本の地質百選に選定された。現在でも年7cmほど北に移動をしており、島の北部の「バリバリ岩」などで裂け目を見ることができる。

白色の結晶質の石灰岩である古大東石灰岩が南大東島の北岸部に露頭している[1]

湖沼[編集]

島内には大小110ほどの湖沼が存在し、そのうち23の呼称に名前が付いている[1]。淡水の湖沼の水は農業用に利用されている。カヌーによる池の遊覧ツアーも行われている。

島内には権蔵池や栄太郎池など発見者の名が付けられた池が多数ある[1]。沖縄県にある0.01km2以上の湖沼は全て南大東島に存在しており、開拓当初は人口も少なく飲料水には困らない島であった[1]。しかし、入植者が増えたことで雨水が貴重な飲用水ととして用いられるようになった(1976年10月に簡易水道が開設され、1990年5月からは海水淡水化システムが導入されている)[1]

  • 大池
    • 南西諸島で最大の天然の湖沼。淡水の池だが、海から切り離されたマングローブが自生している。これは植物学では極めて貴重な生態系とされ、「大池のオヒルギ群落」として国の天然記念物に指定されている。また池の中に複数の島が存在する。近くに鍾乳洞である星野洞がある。
  • 権蔵池
    • 1900年(明治33年)、開拓団が入った際に最初に見つけた池で、開拓団の一人であった沖山権蔵が発見した事から名付けられた(現在の大東神社付近から見つけられたらしい)。この池の発見が南大東島の開拓に大いなる勇気を与えた。なお、大池は水深はそれほど深くはないが、この権蔵池をはじめ島内の多くの池はドリーネに水が溜まってできた池であるため水深があり、池の淵からも急に深くなっている。

気候[編集]

気候亜熱帯の海洋性気候に属している。盆地状の地形の影響のため冬の夜に晴れた際には放射冷却の影響が激しくなり、最低気温が10℃以下になることがある。 20世紀になるまでたまに漂着民が着く程度の未開拓の地であったこともあって、独自の生態系をもっている。

気象観測での重要な拠点であり、特に気象衛星が運用される以前の日本の台風観測で、欠かせない役割を果たしていた。

南大東島地方気象台(島尻郡南大東村在所、標高15m)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 26.8
(80.2)
27.0
(80.6)
28.1
(82.6)
30.2
(86.4)
31.9
(89.4)
34.1
(93.4)
35.3
(95.5)
34.6
(94.3)
34.0
(93.2)
33.0
(91.4)
30.8
(87.4)
28.3
(82.9)
35.3
(95.5)
平均最高気温 °C°F 21.1
(70)
21.2
(70.2)
22.6
(72.7)
24.6
(76.3)
26.9
(80.4)
29.6
(85.3)
31.7
(89.1)
31.6
(88.9)
31.0
(87.8)
28.8
(83.8)
25.8
(78.4)
22.6
(72.7)
26.5
(79.7)
日平均気温 °C°F 18.0
(64.4)
18.1
(64.6)
19.5
(67.1)
21.6
(70.9)
24.1
(75.4)
26.9
(80.4)
28.7
(83.7)
28.6
(83.5)
27.9
(82.2)
25.9
(78.6)
23.1
(73.6)
19.7
(67.5)
23.5
(74.3)
平均最低気温 °C°F 14.6
(58.3)
14.8
(58.6)
16.4
(61.5)
18.8
(65.8)
21.5
(70.7)
24.8
(76.6)
25.9
(78.6)
25.9
(78.6)
25.0
(77)
23.0
(73.4)
20.4
(68.7)
16.6
(61.9)
20.7
(69.3)
最低気温記録 °C°F 3.5
(38.3)
4.3
(39.7)
5.3
(41.5)
4.7
(40.5)
10.6
(51.1)
14.6
(58.3)
19.4
(66.9)
19.7
(67.5)
16.1
(61)
12.9
(55.2)
9.8
(49.6)
6.4
(43.5)
3.5
(38.3)
降水量 mm (inch) 77.0
(3.031)
79.9
(3.146)
84.2
(3.315)
113.6
(4.472)
222.0
(8.74)
199.6
(7.858)
118.0
(4.646)
151.1
(5.949)
167.9
(6.61)
180.5
(7.106)
120.9
(4.76)
124.7
(4.909)
1,639.3
(64.539)
平均降水日数 (≥0.5 mm) 10.2 9.2 8.9 9.2 12.1 10.4 9.5 12.1 12.4 12.2 10.0 10.4 126.6
湿度 69 71 74 78 84 87 81 81 80 77 74 70 77
平均月間日照時間 121.3 120.3 154.0 152.8 171.0 219.3 277.8 249.3 220.4 178.4 136.4 120.8 2,121.7
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1942年-現在)[5][6]

歴史[編集]

  • 1885年 日本が北大東島と共に領有を諸外国に宣言。沖縄県に編入される[7]
  • 1900年 玉置半右衛門を中心とした八丈島からの開拓団により、大東諸島の開拓が開始される。
    戦前は、南大東島で製糖業を営む企業である玉置商会〜東洋製糖〜大日本製糖が島全体を所有していた。特例として町村制は施行されず、それらの各企業に島の自治が全面的に委ねられていたため、日本の行政機関による地方行政がおよばず、公的届出なども事実上不可能な「社有島」であった。島民は、一部の管理的役職の者を除けば全て製糖会社にサトウキビを納める小作農であり、島への渡航手段から商店・学校・郵便局などにいたるまで全て社有であった。また、島民は重労働を強いられた上に収穫されたサトウキビは安く買い叩かれたほか、無許可の離島が禁じられるなど厳しい監視下に置かれていた。一方で、戦前この島を支配していた大日本製糖は「植民地経営上最も貴重なる参考資料なる可し」と自画自賛していた[8][9]
  • 1914年 八丈島系住民と沖縄系住民の対立激化。
  • 1919年 大東寺建立。この頃、島内の人口が4,000人を超える。
  • 1942年 日本軍駐屯開始。
  • 1944年 戦況悪化のため、島民は八丈島や九州、沖縄本島へ強制疎開を命じられる。
  • 1945年 2月から6月にかけてアメリカ軍の激しい空爆に晒される。4月1日、大東寺焼失。
  • 1946年 沖縄のアメリカ軍政開始により、製糖会社による島の支配から脱する。村制が施行され、南大東村に。人口1,458人。
    村制施行により大日本製糖の販売店の建物に村庁舎が設置される[10]
  • 1950年 トタン葺ぶき木造の村庁舎建設[10]
  • 1960年 鉄筋コンクリート2階建ての村庁舎建設[10]
  • 1972年 沖縄返還
  • 1979年 電話がダイヤル自動化。市外局番は09802、市内局番は2。
  • 1989年 南大東漁港・山羊鼻地区の整備事業が始まる[11]
  • 1997年 新南大東空港の供用開始[12]
  • 2001年 鉄筋コンクリート2階建ての新・村庁舎が完成[10]
  • 2002年 新種のカブトムシ。ヒサマツサイカブトが発見された。
  • 2012年 トノサマバッタが島全体で大量発生しサトウキビに被害[13]

方言[編集]

行政[編集]

全域が沖縄県島尻郡南大東村に属する。

1946年、琉球列島米国民政府の統治下に置かれるまでは日本領でありながら特定の自治体に属さず、1900年玉置半右衛門による入植以降、玉置商会〜東洋製糖〜大日本製糖が島を「所有」し、製糖工場(現在も島の中核産業である)に付属する私設の学校・病院・郵便局まで設置される極めて特殊な自治体制が敷かれていた。

学校[編集]

  • 南大東村立南大東小中学校 昭和23年開校。

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f g 山口晴幸「自然科学紀行古水史跡編(10)」 水利科学302号 p. 85-100、2021年2月17日閲覧。
  2. ^ 平成26年全国都道府県市区町村別面積調 島面積 (PDF)”. 国土地理院. p. 108 (2014年10月1日). 2015年3月16日閲覧。
  3. ^ 南大東島のデータ(沖縄県企画部地域・離島課)
  4. ^ 沖縄県市町村別最高点一覧
  5. ^ 平年値ダウンロード”. 気象庁. 2021年4月閲覧。
  6. ^ 観測史上1〜10位の値(年間を通じての値)”. 気象庁. 2021年4月閲覧。
  7. ^ 島の歴史”. 北大東村. 2016年8月17日閲覧。
  8. ^ 鎌田慧『ドキュメント・村おこし』筑摩書房、1991年、67-82頁。ISBN 4-480-85599-8。
  9. ^ 仲里効「〈内国〉植民地の誕生――開拓と植民のインターフェース――」『複数の沖縄 ディアスポラから希望へ』西成彦・原毅彦、人文書院、2003年、85-97頁。ISBN 4-409-24067-6。
  10. ^ a b c d “役場新庁舎が落成/南大東村”. 琉球新報. (2001年7月27日). http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-111743-storytopic-86.html 2013年10月23日閲覧。 
  11. ^ “北大東に漁港整備 南大東「分区」で15年開港”. 琉球新報. (2007年12月27日). http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-30068-storytopic-4.html 2013年10月23日閲覧。 
  12. ^ “県内3空港、供用開始式典日決まる”. 琉球新報. (1997年6月28日). http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-91152-storytopic-86.html 2013年10月23日閲覧。 
  13. ^ “南大東島でバッタ大量発生 キビの被害拡大”. 琉球新報. (2012年10月5日). http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-197740-storytopic-5.html 2013年10月23日閲覧。 

参考文献[編集]

  • 『南大東村誌(改訂)』 南大東村誌編集委員会編、南大東村役場、1990年。

関連項目[編集]