南津守

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南津守さくら公園(南津守1丁目)
南津守さくら公園(南津守1丁目)
千本松大橋(南津守2丁目)
千本松大橋(南津守2丁目)
千本松渡船場(南津守2丁目)
千本松渡船場(南津守2丁目)

南津守(みなみつもり)は、大阪市西成区の地名である。

目次

概要

西成区の南西部に位置する。東端に阪神高速道路15号堺線が通り、また西端には木津川が流れている。地域の西部で木津川を挟んで大正区に、また地域の南部では住之江区に、それぞれ接している。

木津川沿いの西部を中心に工場が広がり、地域は住宅地と工業地が混在した地域となっている。また郊外型の商業施設も複数設置されている。

1丁目から7丁目まである。南北は約1.8km、東西は約800m。2005年度の国勢調査によると、面積は約1.29平方キロメートル、人口は10,015人となっている。

歴史

南津守の地域は、現在の西成区津守・北津守とともに、江戸時代に「津守新田」として開発された。

明治時代に入り、この地域は現在の大正区港区にあたる新田とともに西成郡川南村となった。1897年には大阪市の第一次拡張に伴って川南村の大半が大阪市に編入されたが、津守新田にあたる地域は大阪市に編入されずに津守村として独立した。

その後1925年に大阪市の第二次市域拡張に伴い、津守村も大阪市に編入され、近隣の今宮町玉出町粉浜村とともに西成区に属した。

当時の地名としては現在の津守・北津守とともに「西成区津守町」となり、その後当時の津守町全体を東西に分けて津守町東・津守町西となっていた。1973年の住居表示実施により、町名としての南津守ができた。

  • 1698年 - 津守新田の開発が始まる。
  • 1888年 - 町村制の実施により、西成郡川南村となる。
  • 1897年 - 大阪市の第一次市域拡張に伴い、川南村の大部分が大阪市に編入。このとき編入されなかった津守新田は津守村として独立。
  • 1924年 - 津守第2尋常小学校(現在の大阪市立南津守小学校)が現在地に開校。
  • 1925年 - 津守村が大阪市に編入。
  • 1927年 - 阪堺電鉄(新阪堺)が開通。地域内を南北に縦断。(1944年、大阪市電阪堺線となる)
  • 1943年 - 大阪市の区の変更により、北加賀屋町の一部と桜井町の一部(現在の南津守5丁目、6丁目、7丁目のそれぞれ一部)を住吉区から西成区に編入。
  • 1968年 - 大阪市電阪堺線が廃止。
  • 1973年 - 千本松大橋が開通。
  • 2000年 - 南津守さくら公園が完成。

交通

南北方向に大阪府道29号大阪臨海線新なにわ筋)が走り、芦原橋方面から北加賀屋方面を結んでいる。かつては新なにわ筋に大阪市電阪堺線(三宝線)が走っていて、地域内にも電停があったが、市電は廃止されている。

地域の東側を阪神高速道路15号堺線が南北方向に通り、玉出出入口がある。

また東西方向には、千本松大橋および大阪府道5号大阪港八尾線(南津守交差点で新なにわ筋と合流して南に折れ、同交差点以南は新なにわ筋との重複区間となる)が大正区方面とを結んでいる。

大阪市営バスは、新なにわ筋、阪神高速道路高架下の道路、大阪府道5号大阪港八尾線のそれぞれに路線を持つが、いずれの路線も2007年時点での本数は1時間に2本程度となっている。

大阪市電阪堺線の廃止以降、地域に鉄道は走っていない。その一方で、南海本線高野線・汐見橋線は、地域から1kmほど東に離れた場所を走っている。また大阪市営地下鉄四つ橋線も地域の1kmほど東~南を通っている。徒歩15-20分程度になる場所が大半だが、それぞれの路線が利用できる。地域が南北に長いこともあり、同じ地域内でも場所によって最寄り駅は異なってくる。

主な施設

今日は何の日(10月17日

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