南海龍太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
南海龍太郎 Sumo pictogram.svg
基礎情報
四股名 南海龍 太郎
本名 キリフィ・サパ
生年月日 (1965-02-22) 1965年2月22日(54歳)
出身 西サモアの旗 西サモアアピア
身長 188cm
体重 153kg
BMI 43.29
所属部屋 高砂部屋
得意技 突き押し
成績
現在の番付 引退
最高位 西前頭2枚目
生涯戦歴 145勝94敗16休(26場所)
幕内戦歴 44勝45敗16休(7場所)
データ
初土俵 1984年9月場所
入幕 1987年11月場所
引退 1988年11月場所
備考
2019年7月14日現在
テンプレート  プロジェクト 相撲

南海龍 太郎(なんかいりゅう たろう、本名キリフィ・サパ(Kilifi Sapa)、1965年2月22日 - [1])は、西サモア(現・サモア独立国)出身の元プロレスラー高砂部屋所属の元大相撲力士。最高位は西前頭2枚目(1988年5月場所)[2]。力士時代の体格は188cm、153kg。[1]

人物[編集]

西サモア(現・サモア独立国)首都アピア市に生まれ[1]、19歳の時に力士の公募に対して応募し、300名ほどの候補の中からスカウトされ高砂部屋に入門、1984年(昭和59年)9月場所に初土俵を踏んだ。1987年(昭和62年)5月に十両に昇進し史上初の西サモア出身関取、11月には新入幕を果たし史上初の西サモア出身幕内力士となり、筋肉質の体、足運びのよさや力の強さから大いに期待され「サモアの怪人」などと呼ばれた。横綱千代の富士も、自分と同体格で相撲のスタイルも似ている南海龍を意識していた[2]。部屋の兄弟子であった小錦大関に昇進した際には騎馬の前方を務めた[3]

しかし、同部屋の兄弟弟子達から「1晩でビール100本」「一度飲み出したら翌々日まで飲んでいた」と言われる程の大酒飲みで知られる彼は、泥酔してホテルボーイを殴るなど度々事件を起こしており、親方や兄弟子が心配して何度も厳重注意、特に小錦は問題を起こす度に解決すべく現場に駆けつけては叱責して改善を命じ、時には張り倒して失神させて事態を収めることもしたが、なかなか変わらなかった。出身地のサモアでなかなかビールが手に入らなかったことが仇となり南海龍は飲酒癖が悪化したのではないか、という分析も存在する[4]。小錦は自分がサモア系であることもあって南海龍の面倒を熱心に見ていた。またサモア語が話せることから通訳も行っていた[5]。引退後に「あの時(後述参照)『相撲』と答えていれば、今は廻しの上に綱を締めて土俵に上がっていたはずだよ」と、南海龍の相撲人生にて飲酒が唯一にして最大の障害となっていたことを明かし、大成していた可能性もあったことを語った。

1988年(昭和63年)9月場所14日目には、「腹痛のため休場」と休場届が提出され、当日両国国技館内でもアナウンスされたが、真相が酒の飲み過ぎで二日酔いに耐えられずに休場せざるを得なかったことが、直ちに露見した。この場所の終了直後、師匠の5代高砂(元横綱朝潮)からの「酒と相撲、どっちを取るんだ」との言葉に「酒は絶対にやめられない」と答えた南海龍は、そのまま故郷の西サモアに帰国した。この問題を放置するわけにはいかず、一門での話し合いや当時の二子山理事長(元横綱若乃花)への相談の結果、「番付にはそのまま記載するが戻って来ても出場させない」という措置が決定、11月場所の番付に名前を残して廃業届が受理された[2]。5代高砂はその後間もなく脳溢血で倒れ緊急入院、意識が戻ることなく同年10月23日に急死した。

1990年平成2年)、新日本プロレス藤波辰爾が結成したドラゴンボンバーズに参加するが、ここでも飲酒で問題を起こし、デビューすることなく帰国した。

力士時代の主な成績[編集]

  • 通算成績:145勝94敗16休 勝率.607
  • 幕内成績:44勝45敗16休 勝率.494
  • 現役在位:26場所
  • 幕内在位:7場所

場所別成績[編集]

南海龍 太郎
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1984年
(昭和59年)
x x x x (前相撲) 西序ノ口40枚目
5–2 
1985年
(昭和60年)
西序二段124枚目
6–1 
東序二段51枚目
7–0 
西三段目62枚目
6–1 
西三段目18枚目
2–5 
西三段目49枚目
3–4 
東三段目62枚目
6–1 
1986年
(昭和61年)
東三段目17枚目
4–3 
西三段目3枚目
6–1 
西幕下33枚目
3–4 
西幕下45枚目
4–3 
西幕下30枚目
5–2 
東幕下16枚目
6–1 
1987年
(昭和62年)
西幕下3枚目
4–3 
西幕下2枚目
4–3 
西十両13枚目
10–5 
東十両8枚目
9–6 
東十両4枚目
11–4 
西前頭12枚目
8–7 
1988年
(昭和63年)
東前頭12枚目
8–7 
東前頭8枚目
9–6 
西前頭2枚目
6–9 
東前頭5枚目
7–8 
西前頭5枚目
6–8–1[6] 
東前頭9枚目
引退
––
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴[編集]

  • 南海龍 太郎(なんかいりゅう たろう)1984年9月場所 - 1988年11月場所

脚注[編集]

  1. ^ a b c
  2. ^ a b c ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p23
  3. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p28
  4. ^ 大相撲酒豪番付2016年東銀座場所 時事ドットコム
  5. ^ 『相撲』2013年12月号94頁
  6. ^ 腹痛により14日目から途中休場

関連項目[編集]

  • 花ノ藤昭三 - 熊本県出身の元大相撲力士。1988年(昭和63年)9月場所では、西の十両筆頭で8勝7敗の成績だったにもかかわらず、翌同年11月場所では東の十両筆頭に移動するにとどまった。仮に南海龍の廃業届が番付編成会議までに出されていれば、花ノ藤の新入幕が実現していたと考えられる。