南稚内駅
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南稚内駅 | |
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![]() 駅舎(2005年5月) | |
みなみわっかない Minami-Wakkanai | |
◄W78 抜海 (11.7 km) (2.7 km) 稚内 W80► | |
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所在地 | 北海道稚内市大黒1丁目8-1 |
駅番号 | ○W79 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | ■宗谷本線 |
キロ程 | 256.7 km(旭川起点) |
電報略号 | ミナ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
乗降人員 -統計年度- |
138人/日 -2018年- |
開業年月日 | 1922年(大正11年)11月1日 |
備考 |
社員配置駅 みどりの窓口 有 |
南稚内駅 | |
---|---|
みなみわっかない Minami-Wakkanai | |
◄宇遠内 (2.1* km) | |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | 天北線 |
キロ程 | 148.9 km(音威子府起点) |
駅構造 | 地上駅 |
開業年月日 | 1943年(昭和18年)11月1日 |
廃止年月日 | 1989年(平成元年)4月30日 |
備考 | *キロ程は実キロ(営業キロは最後まで設定されなかった) |
南稚内駅(みなみわっかないえき)は、北海道稚内市大黒(だいこく)1丁目にある、北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅である。駅番号はW79。事務管コードは▲121850[1]。
第二次世界大戦後から天北線が廃止されるまでの間は日本最北の接続駅[注釈 1]でもあった。特急「宗谷」・「サロベツ」が停車する。
歴史[編集]

南稚内駅は、当初は旭川駅から北上してきた宗谷線の終点として、稚内駅という名前で1922年(大正11年)11月1日に開業した[2]。当初の宗谷線は、後に天北線となる浜頓別経由の路線で建設された。この駅は現在の南稚内駅がある場所からは約1 kmほど北に所在しており、現在の稚内港郵便局のあるあたりであった。稚内港郵便局の向かいにある「ホテル滝川」は、この駅開業以前から現在地で営業しており、駅がある頃は「滝川旅館」として駅前旅館の機能を持っていた。駅は頭端式で建設されており、駅構内には機関庫や客車の留置設備なども設けられていた。
翌1923年(大正12年)5月1日に、当時日本領であった樺太と結ぶ稚泊連絡船が開設された[2]。こうして稚内駅は樺太と連絡するための重要な拠点となり、当時数少ない北海道内の急行列車は函館から稚内まで直通するようになった。高官の乗車などを考慮して、一等車も連結されていた。ただし稚泊連絡船の発着する場所までは駅から2 kmほど離れており、その間を旅客は徒歩、貨物は荷車で連絡しなければならなかった。埠頭には待合所が建設され、後にこの施設が稚内港駅へと発展することになった。なお、開設された1923年の8月、宮沢賢治が当時樺太にあった王子製紙の工場に教え子の就職を斡旋するためにこの駅を利用している。
1924年(大正13年)6月25日に、天塩北線の兜沼 - 稚内間が開業した[2]。さらに延長工事が進められて、1926年(大正15年)9月25日に幌延経由の現在の宗谷本線が開通した[3]。これにより稚内駅は双方からのルートが合流する地点となった。そのまましばらくは浜頓別経由の線が宗谷線であったが、幌延経由の線の方が距離が短く勾配も少ないことから、1930年(昭和5年)4月1日付で線名が変更され、幌延経由が宗谷本線、浜頓別経由が北見線となった[3]。
1928年(昭和3年)12月26日には、当駅から稚内港駅まで延伸された[3]。この際には頭端駅であったためにそのまま延伸することができず、駅の手前のところから分岐させる形で稚内港まで延長された。このためにスイッチバック構造となり、稚内駅に到着した列車は一旦本線上まで退行し、進路を変更して前進していくことになった。稚内 - 稚内港間は1.5 マイルと設定されていたが、1930年(昭和5年)4月1日のメートル法移行時に、単純にkmに換算した2.4 kmにするのではなく1.2 kmとした。これは移転などによるものではなく、当初設定のマイルを修正したものであると考えられている。
1939年(昭和14年)2月1日に、南稚内駅へ改称し、従来の稚内港駅が稚内駅となった[3]。
1928年の線路延長以後、スイッチバック形式での運転が続けられてきたが、その手間を解消するためと、稚内駅との距離が近すぎるということから、稚内市の都市計画との関係もあり、現在地点へ移転することになった。これにより1952年(昭和27年)11月6日付けで現在地に移転し、スイッチバックは解消された。このときに、南稚内駅以南の各駅との間は、南に移転した分として営業キロが1 km短縮されたが、南稚内と稚内間の営業キロはそれよりも長い1.5 km増加して2.7kmとなった。これは実キロ(2.5km)よりも長く、廃止されたスイッチバックの往復分を誤って加算したのではないかとの推測があるが、現時点でも稚内までの営業キロは2.7 kmのままである。移転後の駅舎は当初はバラック建ての建物であったが、翌年に木造モルタル造りの駅舎が完成している。
年表[編集]
- 1922年(大正11年)11月1日:鉄道省宗谷本線鬼士別 - 当駅間延伸開業にともない稚内駅(初代)として開業する(一般駅)[2][4]。稚内機関庫が設置される。
- 1924年(大正13年)6月25日:天塩北線の兜沼 - 当駅間が開業する[2]。
- 1928年(昭和3年)12月26日:当駅 - 稚内港駅(現在の稚内駅)間の延伸開業に伴い、途中駅となる[3]。
- 1930年(昭和5年)4月1日:路線呼称が変更され、浜頓別駅方面が宗谷本線から北見線となる[3]。メートル法施行時に、稚内港との営業距離を1.5 マイルから1.2 kmに修正する。
- 1939年(昭和14年)2月1日:南稚内駅に改称する[3]。
- 1949年(昭和24年)6月1日:公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1950年(昭和25年)2月1日:名寄客貨車区稚内支区が設置される。
- 1952年(昭和27年)11月6日:駅舎が移転し、稚内市街地から宗谷本線・北見線の分岐点近くまで約1 km移動する[3]。これに伴い、抜海との距離は12.7 kmから11.7 kmに、声問との距離は8.1 kmから7.1 kmに、稚内との距離は1.2 kmから2.7 kmに変更される。
- 1953年(昭和28年):木造モルタル造りの駅舎が完成する。
- 1961年(昭和36年)4月1日:路線呼称が変更され、北見線が天北線となる。
- 1983年(昭和58年)4月1日:貨物取扱を廃止する。
- 1985年(昭和60年)3月14日:荷物取扱を廃止する。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[5]。
- 1989年(平成元年)5月1日:天北線が廃止される[5]。
- 1991年(平成3年)11月13日:宗谷北線運輸営業所発足。稚内運転所・稚内工務所を統合し、当駅所属となる。
- 2004年(平成16年)3月13日:稚内駅の管理下となる。当駅所属の運転士を宗谷北線営業所に統合する。
- 2005年(平成17年):南稚内駅長が廃止される。のちに稚内管理駅の業務が移管され、南稚内駅長が復活している。
- 2016年(平成28年)4月1日:当駅所属の工務社員(旧稚内工務所)を名寄保線所稚内保線管理室として分離する。
駅構造[編集]
単式ホーム・島式ホーム(片面使用)複合型2面2線を有する交換駅。ホーム間の移動は跨線橋を使う。列車は基本的に駅舎側ホームの1番線に入り、島式ホーム内側の2番線は回送列車を含む列車行き違いがある時のみ使用される。現在は、当駅から終点の稚内駅線路終端まで棒線化されたため、稚内方面へは2列車以上進入できなくなった(1閉そく1列車)。また、転てつ器、出発信号機、場内信号機を設置する駅としては日本最北端となった。稚内方にある遠方信号機は稚内駅が棒線化された際に設置された。なお、現在島式ホーム外側の3番線は乗降部が崩され保線車両の留置線となっている。
駅長配置の社員配置駅。出札・改札業務は日中のみだが、入換作業などがあるため輸送担当社員は終日配置されている。みどりの窓口設置(営業時間は6時10分から17時50分まで)。近距離区間の自動券売機も設置されているが、稼働時間はみどりの窓口営業時間と同一で、その他の時間は使用できない。
のりば[編集]
番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1・2 | ■宗谷本線 | 上り | 名寄・旭川方面 |
下り | 稚内方面 |
- 2番線は行き違い時のみ使用
かつての配線[編集]
稚内駅として開業した当初は、現在地点よりも1 kmほど北に所在していた頭端駅であった。以下に1924年(大正13年)2月5日時点での配線図を示す。この時点では、浜頓別駅経由の後に天北線となる路線が宗谷本線であり、現在の宗谷本線である幌延駅経由の路線は未開通であった。幌延経由の路線の第一歩となる、天塩北線の稚内 - 兜沼間が開業したのは1924年6月25日のことであるが、この配線図では既に兜沼への線路も描かれている。
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凡例 出典:[6] |
1928年(昭和3年)12月26日に稚内港駅まで延長されると、この駅は頭端駅であったためスイッチバック構造となった。稚内駅に到着した列車は、一旦本線上へ退行した後に再び前進して稚内港駅への線路へ進んでいた。南稚内駅へ改称された後の1941年(昭和16年)3月時点の配線図を示す。
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凡例 出典:[7] |
1952年(昭和27年)11月6日付けで南へ1 kmほど移転してスイッチバックを解消した。これにより駅は現在地となった。1975年3月時点での配線図を示す。この時点では側線がまだ多数残存しているが、その後の貨物輸送の廃止などに伴い多くは撤去されている。
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凡例 出典:[8] |
旧・稚内機関区[編集]
当駅と稚内駅の間にある車庫は稚内駅・幌延駅発着の車両を格納する車庫となっているが、かつては「稚内機関区」として利用されていた。現在は特急列車の折り返しのための清掃および整備作業を行っている。この車庫は当駅から入線する形となっており、稚内駅到着後に一旦、当駅まで回送運転する。そのため当駅には終日運転扱いの駅員が配置されている。
旧・稚内機関区には運転士も配置されていたが、のち「稚内運転区」に改称された。稚内運転区では廃止された「稚内車掌区」の業務を引き継ぎ車掌業務も行っていたが、普通列車のワンマン化のため車掌業務は廃止された(現在、特急列車の車掌業務は旭川車掌所が担当)。その後、稚内運転区が南稚内駅に統合された際に運転士は「宗谷北線運輸営業所南稚内駅」所属となったのち、2004年3月改正で合理化のため宗谷北線運輸営業所(名寄)に統合された。
利用状況[編集]
- JR北海道によると、乗車人員(特定の平日の調査日)平均は以下の通り。
調査対象の5年間 | 5年間の各調査日における 平均乗車人員 (人) |
出典 |
---|---|---|
2012 - 2016年(平成24 - 28年) | 97.4 | [9] |
2013 - 2017年(平成25 - 29年) | 83.4 | [10] |
2014 - 2018年(平成26 - 30年) | 75.2 | [11] |
2015 - 2019年(平成27 - 令和元年) | 67.8 | [12] |
- 稚内市統計書によると、JR北海道提供の窓口乗車券発売人員(周遊券等除く)より算出した近年の乗車人員は以下の通り。
年度 | 乗車人員(人) | 乗降人員(一日平均) | 出典 |
---|---|---|---|
2005年 | 44,500 | [13] | |
2006年 | 43,800 | ||
2007年 | 43,800 | [14] | |
2008年 | 45,300 | ||
2009年 | 43,800 | ||
2010年 | 43,800 | ||
2011年 | 40,520 | 222 | [15] |
2012年 | 38,690 | 204 | |
2013年 | 36,360 | 170 | |
2014年 | 34,700 | 162 | |
2015年 | 39,100 | 170 | |
2016年 | 166 | [16][17] | |
2017年 | 152 | ||
2018年 | 138 |
駅周辺[編集]
かつては稚内市の郊外だったが、市街地の南・東地区への拡大と人口の移動に伴い、駅周辺に市街地の一部が存在している。大型商業施設(西條百貨店など)や郊外型の商業施設、ホテル、ファーストフード店などが多数立ち並んでおり、チェーン店で日本最北のものも多い。
交通[編集]
公共施設など[編集]
- 宗谷合同庁舎
- 宗谷総合振興局
- 稚内保健所
- 稚内警察署
- 稚内地方合同庁舎
- 稚内開発建設部
- 稚内税務署
- 旭川地方検察庁稚内支部
- 北海道立稚内水産試験場
- ホクレン稚内支所
- 稚内農業協同組合(JAわっかない)
- 稚内海員会館
- 稚内南郵便局
- 稚内信用金庫南支店
- 北海道労働金庫稚内支店
- 市立稚内こまどり病院
文教施設[編集]
- 稚内市立図書館
- 北海道稚内高等学校
- 稚内大谷高等学校
- 稚内市立稚内南中学校
- 稚内市立稚内港小学校
- 稚内市立稚内南小学校
主な商業施設[編集]
宿泊施設[編集]
隣の駅[編集]
- 北海道旅客鉄道(JR北海道)
- ■宗谷本線
- 特急「宗谷」「サロベツ」停車駅
かつて存在した路線[編集]
- 北海道旅客鉄道(JR北海道)
- 天北線
- 宇遠内駅 - 南稚内駅
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ^ 日本国有鉄道旅客局(1984)『鉄道・航路旅客運賃・料金算出表 昭和59年4月20日現行』。
- ^ a b c d e 『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 通巻20号 宗谷本線/留萌本線 14頁
- ^ a b c d e f g h 『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 通巻20号 宗谷本線/留萌本線 15頁
- ^ 『官報』 1922年10月27日 鉄道省告示第144号(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 通巻20号 宗谷本線/留萌本線 17頁
- ^ 三宅 2005, p. 144
- ^ 三宅 2005, pp. 150-151
- ^ 三宅 2005, p. 152
- ^ “宗谷線(名寄・稚内間)” (日本語) (PDF) (プレスリリース), 北海道旅客鉄道, (2017年12月8日), オリジナルの2017年12月30日時点におけるアーカイブ。 2017年12月30日閲覧。
- ^ “宗谷線(名寄・稚内間)” (日本語) (PDF) (プレスリリース), 北海道旅客鉄道, (2017年7月2日), オリジナルの2017年12月30日時点におけるアーカイブ。 2018年7月13日閲覧。
- ^ “宗谷線(名寄・稚内間) (PDF)”. 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2019年10月18日). 2019年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月18日閲覧。
- ^ “宗谷線(名寄・稚内間) (PDF)”. 地域交通を持続的に維持するために > 輸送密度200人以上2,000人未満の線区(「黄色」8線区). 北海道旅客鉄道. p. 3・4 (2020年10月30日). 2020年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月4日閲覧。
- ^ “運輸・通信・観光(データ)”. 平成22年版稚内市統計書. 稚内市 (2010年). 2017年11月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月17日閲覧。
- ^ “第10章 交通”. 平成24年版稚内市統計書. 稚内市 (2012年). 2017年11月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月17日閲覧。
- ^ “第10章 交通”. 平成28年版稚内市統計書. 稚内市 (2016年). 2017年11月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月17日閲覧。
- ^ 国土数値情報 駅別乗降客数データ - 国土交通省、2020年9月21日閲覧
- ^ 北海道の交通関係 2020年9月21日閲覧
参考文献[編集]
- 三宅俊彦「稚内、南稚内駅の歴史研究」『鉄道ピクトリアル』第828巻、電気車研究会、2010年1月、 86-95頁。
- 三宅俊彦 「稚内駅3代記 -さいはての国鉄駅、その歴史の変遷-」 『トワイライトゾーンマニュアル』 14巻 ネコパブリッシング、142-160頁、2005年12月。(RMモデルズ臨時増刊号)
- 曽根悟(監修)『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』20号・宗谷本線/留萌本線、朝日新聞出版分冊百科編集部(編集)、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2009年11月2日、5-17頁。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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