南部スーダン

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南スーダン共和国
Republic of South Sudan
南スーダンの国旗 SouthSudanCoatofArms.png
国旗 (紋章)
国の標語: Justice, Liberty, Prosperity
(英語: 正義、自由、繁栄)
国歌: South Sudan Oyee!
南スーダンの位置
公用語 英語
首都 ジュバ
最大の都市 ジュバ
政府
大統領 サルバ・キール・マヤルディ
副大統領 リエック・マチャル
立法議会議長 ジェームズ・ワニ・イグア
面積
総計 619,745km²45位
水面積率 不明
人口
総計(2008年 8,260,490人(94位
人口密度 14人/km²
GDP(自国通貨表示)
合計(Xxxx年 xxx,xxx南スーダン・ポンド
GDPMER
合計(Xxxx年 xxx,xxxドル(???位
GDPPPP
合計(Xxxx年 xxx,xxxドル(???位
1人あたり xxxドル
独立状態
スーダン領 2005年7月9日
独立 2011年7月9日
通貨 南スーダン・ポンド(SDG
時間帯 UTC +3(DST: 不明)UTC (+3)
ISO 3166-1 不明(提案:SS / SSD)
ccTLD .sd(提案:.ss)
国際電話番号 249(提案:211)

南スーダン共和国(みなみスーダンきょうわこく)は、東アフリカに位置する国家である。

2011年7月9日に、スーダン共和国の南部10州がアフリカ大陸54番目の国家として分離独立した[1]

目次

概要

2011年7月8日までは、スーダン領でありながら南部スーダン自治政府の統治下にあった。これは、2005年1月9日にケニアのナイバシャで結ばれた第二次スーダン内戦の包括的な暫定和平合意により、スーダン政府から自治を認められたためである。

2011年、分離独立の是非を問う住民投票が実施され、分離独立票が圧倒的多数(98.83%)を占めた。新国名は「南スーダン共和国(:Republic of South Sudan)」[2]になった。過去には、「アザニア」、「ナイル共和国」、「クシュ」などの候補が挙がっていたが、「南スーダン」となる可能性が高かったとされた[3][4]

2011年7月13日には国連安保理決議1999により国際連合総会に対し国際連合への加盟が勧告され、翌日の総会にて加盟が承認され193番目の加盟国となった[5]。今後、AU(アフリカ連合)の54番目の加盟国となる見通しである[2]。またイギリス連邦に加盟を申請中である[6]東アフリカ共同体にもケニアルワンダの協力で加盟予定で[7]アラブ連盟への加盟も予定されている。

地理

内陸国で、北にスーダンがあり、東はエチオピア、南はケニアウガンダコンゴ民主共和国、西は中央アフリカと国境を接する。北西はダルフール。スーダンとの国境線は長さ1,937kmに達し、エチオピアとの国境線がそれに次いで883kmである。

首都のジュバを初め、国内には白ナイル川バハル・アル=ジャバル川と呼ばれる)が流れ、それが形成した大湿地帯スッドがある。熱帯雨林サバナの地域もあり、世界第二の多様な野生動物の宝庫となっている。

行政区分

10州からなり、それらは歴史的に3つの地方に大別される。10の州は86の地区に細分化される。(括弧内は州都)

  • バハル・アル・ガザール地方
    • 北バハル・アル・ガザール州: (アウェル)
    • 西バハル・アル・ガザール州: (ワーウ
    • レイク州: (ルンベク
    • ワラブ州: (クアジョク)
  • エクアトリア地方
  • 上ナイル地方
    • 上ナイル州: (マラカル)
    • ユニティ州: (ベンティーウ)
    • ジョングレイ州: (ボー)
南スーダンの州区分

独立後のアビエイ地区の帰属問題や、ケニアやエチオピアも領有を主張しているイレミ・トライアングル地区の帰属問題がある。

首都となるのはジュバで、他にルンベク(南部スーダン自治政府時代の首都だった)、ワーウ、アウェルなどの都市が人口10万を超える。

歴史

かつて南部の黒人達はアラブ系やダルフール(バール・エル・ガザル)などの奴隷商人によって奴隷売買されていた。1821年にスーダンの北部はエジプトが、南部は1877年イギリスが占領した。1898年にイギリスとエジプトによる共同統治(アングロ・エジプト・スーダン)が始まった。南部を支配していたイギリスはその南部のウガンダとの統合を望んだが、1947年のジュバ会議での合意により南北スーダンの統合が決められた。

1955年に南部で反乱が起き、内戦が起きた。1956年スーダン共和国として北部と南部が統一して独立したが、北部の政治的・経済的支配に南部の住民は不満を抱いていた。1972年にアディスアベバ合意により南部に制限付き自治権が与えられ、将来の南部の分離独立を問う住民投票も認められ、南北の内戦は一時終結した。

1974年シェブロンが油田を発見し、その多くが南部に分布していた。民族イスラム戦線の圧力も受け、1983年モハメド・アン=ヌメイリ政権は南部の自治権や将来の分離独立の住民投票を取り止め、シャリーアを導入してイスラム勢力の取り込みを図り、また石油資源の独占を図り、南部の3つの州をそれぞれ分割した。そのためキリスト教徒も多い南部などで反乱が起こり、南部最大の民族であるディンカ人の出身のジョン・ガラン大佐を中心としたスーダン人民解放軍/運動 (SPLA/M) が北部の政権に対して反乱を起こし、再び内戦が起きた。政権が交替しても内戦が続き、1989年オマル・アル=バシールが政権を握るとイスラム政権に反対する政治勢力を抑圧し、SPLAを始めとする南部の反政府組織に対する戦争を拡大していった。

初代大統領に選出されたサルバ・キール・マヤルディ
独立とともに南スーダン(赤色)を承認した国(緑色)

南部での内戦は激化していったが、2002年ケニアで南北の和平交渉が成立し、2005年1月9日には南北包括和平合意 (CPA) が署名された。南部は行政上の自治を6年間与えられ、そして北部で適用されているイスラム法も南部で適用しない事となった。さらに2011年1月にはスーダンの一部として北部と統一するのか分離独立するのかを決める住民投票も南部で行うこととなった。また2010年1月20日、スーダンのバシール大統領は、南部スーダンの大統領サルバ・キール・マヤルディも出席したヤンビオで開催の南北の内戦終結5周年を祝う式典にて、「住民が選択(分離独立を)した場合にはスーダン政府は南部の独立を承認する」と発言した。南部の住民は独立志向が強く、2011年1月の住民投票では予想されたとおり分離独立を選択した。しかし、南部の石油の利権や、同時にディンカ人のンゴック氏族の先住地アビエイの帰属も問われることとなった。 2011年7月9日に、スーダンから分離独立した。

住民投票

詳細は「2011年南部スーダン独立住民投票」を参照

政治

主な政党はスーダン人民解放軍 (SPLA/M) で、ジョン・ガランが結成した。2011年現在の大統領はサルバ・キール・マヤルディ

経済

南部の経済は内戦により荒廃し、特にインフラの整備が進んでいない。

スーダン全体における石油資源の80%が南部スーダンに集中する[2]ため、石油経済に将来性があると言われているが、パイプラインや石油精製技術をスーダンに握られており、独立前は石油(ガソリンなどの製油)供給を停止することで深刻なガソリン不足に陥っている。スーダンと南スーダンとの石油の利益配分交渉の際に、スーダンへの配分を有利に進めるためとも言われている[8]。天然資源としては他に鉄鉱石雲母タングステン亜鉛なども産出する。農産物としては綿花ピーナッツサトウモロコシ雑穀アラビアガムキャッサバサトウキビマンゴーパパイアコムギサツマイモなどがある。木材は主要輸出品でアフリカ最大のチークプランテーションもある。

2011年現在、アメリカ中国などを中心に道路などのインフラや教育面などの援助が行われている。日本は最大部族になるディンカ族以外にも幅広い援助を行っている[8]

交通

内戦の影響でインフラは殆ど進んでいない。道路も未整備が多い。独立前の状況は、舗装道路は国内で約60km、ナイル川にかかる橋は1本しかない[2]

248kmの鉄道がありスーダン国境からワーウまで路線が延びている。単線軌間1,067mmの狭軌である。ワーウからジュバへの延伸計画がある。

空港にジュバ空港があり南スーダンのフィーダー航空(Feeder Airlines)の拠点となっている。ジュバ空港からは近隣国の首都へは定期便がある。他の地方に国内線も幾つかある。しかし空港も滑走路の未整備などまだ多い。

国民

民族・宗教

アニミズム伝統宗教キリスト教を信仰するアフリカ在来の諸民族が多数を占める。スーダンの北部でアラブ系イスラム教徒が多数を占めているのとは対照的である。

民族構成はディンカ人が最も多く、約100万人。他にもシルック人ヌエル人などのナイル系の民族がいる。西部はアゼンデ人とジュチャル人、南部からウガンダにアチョリ人やロツフ人がいる。

言語

イギリス統治時代の影響で英語公用語であり、教育や北部との取引などで幅広く使われている。ナイル系が多数派であり、母語としてはディンカ語ヌエル語英語が主な言語である。共通語として、ピジン言語であるジュバ・アラビア語英語がジュバ周辺で話されている。

脚注

今日は何の日(4月23日

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