南部信方

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
南部信方
Nobukata Nambu.jpg
南部信方
時代 江戸時代後期 - 大正時代
生誕 安政5年5月12日1858年6月22日
死没 大正12年(1923年7月29日
官位 子爵
主君 明治天皇
氏族 南部氏
父母 父:南部利剛、養父:南部信民
兄弟 利恭大隈英麿信方、慶麿、剛護、
利克、郁子、麻子、稠子、宗子、倫子、
貴子ら
正室:土井利善娘・亀
継室:細川行真娘・澄子
信子
養子:信孝
テンプレートを表示

南部 信方(なんぶ のぶかた)は、陸奥国七戸藩4代(最後の)藩主。のち藩知事子爵

経歴[編集]

盛岡藩主・南部利剛の三男として誕生。

明治元年(1868年)12月、先代藩主・南部信民戊辰戦争における罪を問われて強制隠居となったため、翌年正月にその養嗣子となって跡を継いだ。しかし若年のため、実際の藩政は信民が行なっていた。なお、この際七戸藩が戊辰戦争以前に実際に分知を受けていたのかが問題とされたが、盛岡藩重臣新渡戸傳が七戸藩領を分知した記録を新政府に提出したために認められた(ただし、七戸藩の改易を避けるために盛岡藩側が急遽作成したとする説もある)。

明治2年(1869年)6月の版籍奉還で藩知事となったが、同年閏10月に藩政改革に反対した百姓一揆が起こった。明治4年(1871年)の廃藩置県で藩知事を退任した。明治9年(1876年)2月、明治政府からアメリカ留学を許可された。語学修学を目的として、3年間の自費留学を予定していた。1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[1]

大正12年(1923年)7月29日、死去。享年66。

系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
  2. ^ 『平成新修旧華族家系大成』下巻、291頁。

参考文献[編集]


日本の爵位
先代:
叙爵
子爵
七戸南部家初代
1884年 - 1923年
次代:
南部信孝