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南 雄太 |
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名前 |
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愛称 |
ユータ |
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カタカナ |
ミナミ ユウタ |
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ラテン文字 |
MINAMI Yuta |
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基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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生年月日 |
(1979-09-30) 1979年9月30日(41歳) |
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出身地 |
神奈川県川崎市 |
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身長 |
185cm |
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体重 |
78kg |
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選手情報 |
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在籍チーム |
横浜FC |
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ポジション |
GK |
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背番号 |
18 |
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利き足 |
右足 |
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クラブ1 |
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年 |
クラブ |
出場 |
(得点) |
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1998-2009 |
柏レイソル |
291 |
(0) |
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2010-2013 |
ロアッソ熊本 |
155 |
(0) |
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2014- |
横浜FC |
175 |
(0) |
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代表歴 |
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2001 |
日本 |
0 |
(0) |
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1. 国内リーグ戦に限る。2020年12月20日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
南 雄太(みなみ ゆうた、1979年9月30日 - )は、神奈川県・川崎市生まれで東京都・杉並区出身のプロサッカー選手。Jリーグ・横浜FC所属。元日本代表。ポジションはゴールキーパー。
来歴[編集]
プロ入り前[編集]
中学時代は読売ジュニアユースに所属、高校は静岡学園高校に進み1995年度の全国高校サッカー選手権大会優勝に貢献した。1997年にはまだ高校生ながらU-20日本代表に選出、ワールドユースでも正GKとして活躍し、将来を大いに期待された。
柏レイソル[編集]
1998年、柏レイソルに加入。すぐさま土肥洋一から定位置を奪うと、同年からはシドニー五輪を目指すU-21代表にも継続的に選出された。1999年にはU-20代表の一員としてナイジェリアで行なわれたワールドユースに2大会連続で出場。日本が初めてFIFA主催の国際大会で決勝まで勝ち進むキーマンとして活躍した。しかしながら、以後はキックの精度や集中力に欠ける部分を指摘されることも多くなり、シドニー五輪一次予選を最後に曽ヶ端準に正GKの座を奪われU-22代表から遠ざかり、五輪本大会は落選。
2001年にはプロ入り後一度も警告を受けていない点が評価され、Jリーグアウォーズでフェアプレー個人賞を受賞した。2001年11月には、イタリアとの親善試合前に日本代表GK楢崎正剛と川口能活が負傷したことから、急遽試合当日にA代表への合流を要請された。ちなみにこの日ピッチにいたGKは五輪予選で南からポジションを奪った曽ヶ端であった。
2006年、柏がJ2に降格し、キャプテンだった明神智和が移籍したことで新キャプテンに就任。チームをしっかり牽引し、1年でのJ1復帰に大きく貢献した。
明神らの移籍によって柏の最長在籍選手となり、柏を象徴する選手の一人としてサポーターから愛されたが、J2の横浜FCから加入した菅野孝憲に2008年シーズン途中にポジションを奪われ第2GKに降格する。それでも腐ることなく常に試合出場の準備を怠らなかったが、柏が2度目のJ2降格を喫した2009年のオフに経費削減の目的もあって戦力外通告を受けた。
ロアッソ熊本[編集]
2010年、J2のロアッソ熊本に移籍。J1クラブを含め、熊本より条件の良いオファーもいくつか届いていたが、戦力外発表の10分後に最初の連絡をしたという熊本の熱意が決め手になった。1年目は開幕からレギュラーに定着し、自身初となる公式戦(天皇杯含む)全試合フル出場を果たした。
2011年、本人の意向によりキャプテンに就任した。天皇杯は岩丸史也に譲ったが、リーグ公式戦は2年連続で全試合フル出場した。
横浜FC[編集]
2013年12月26日、4年間所属したロアッソ熊本を退団。J2の横浜FCに移籍することが発表された。
2016年9月25日、J2リーグ第33節のカマタマーレ讃岐戦で史上28人目となるJ2通算300試合出場を達成した[1]。
2019シーズンは正GKとして33試合に出場し、クラブにとって13年ぶりとなるJ1復帰に大きく貢献した。
自身2009シーズン以来のJ1となる2020シーズンは日本代表経験もある六反勇治が加入し、激しいポジション争いを繰り広げた。六反に出場数では負けるも、12試合に出場し、出場した試合では好セーブを見せるなどの活躍を見せた。
エピソード[編集]
- 小学校時代はフォワードであったが、「ライバルが少ないから」という理由で読売ジュニアユースにゴールキーパーで入団した。中学時代はサッカーよりもバスケットボールの方が好きだったという。
- 2004年5月22日のサンフレッチェ広島戦(広島ビッグアーチ)では、キャッチングしたボールを味方に投げようとした際、手元を誤り、真後ろの自陣ゴールにボールを投げ入れてのオウンゴールという失態を犯してしまった。このプレーのため、翌週発売の『週刊サッカーダイジェスト』では3.0、『週刊サッカーマガジン』では2.0(ともに10段階評価)と、通常のプレーでは用いられることがほとんどない低い採点で評価された。次の公式戦のナビスコカップ予選グループ第3節FC東京戦は欠場するが、続く第4節アウェイ鹿島戦、リーグ戦のホーム清水戦はそれぞれフル出場して連続で相手を無得点に抑えた。
- 2019年3月にフジテレビ系列で放送されたスポーツ番組『ジャンクSPORTS』で、このオウンゴールについて「投げようと思ったら相手の選手がブワーッと走って来たのが見えたんで、途中で投げるのやめようと思ったら、ボールがちょっとフワーッて手から離れたんで、まずい!と思って返したらバシッ!って当たって…」と当時の状況について初めてテレビで話した。また、「今だからあれですけど、3年ぐらいは本当にこれはもうネタにもできなかった話」とこの事について封印していた事を明かした[2]。
- 2007年からは、前年のチームのJ1昇格を機に「ゼロからやり直したい。」という自身の意向により、前年までつけていた背番号1を新加入の水谷雄一に譲り、入団当時の背番号21に変更した。翌年に水谷は退団したため1番は空いたが、それでも南に背番号変更の意思はなく、若手の桐畑和繁に譲った。
所属クラブ[編集]
- ユース経歴
- 宝陽幼稚園サッカー部 (東京都杉並区)
- 武蔵丘FC (東京都世田谷区)
- 読売日本SCジュニアユース
- 1995年 - 1997年 静岡学園高校
- プロ経歴
個人成績[編集]
国内大会個人成績 |
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 | オープン杯 |
期間通算 |
出場 | 得点 |
出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
出場 | 得点 |
日本
| リーグ戦 |
リーグ杯 | 天皇杯
|
期間通算
|
1998 |
柏 |
21 |
J |
22 |
0 |
4 |
0 |
1 |
0 |
27 |
0
|
1999 |
J1 |
18 |
0 |
2 |
0 |
4 |
0 |
24 |
0
|
2000 |
1 |
20 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
22 |
0
|
2001 |
29 |
0 |
4 |
0 |
1 |
0 |
34 |
0
|
2002 |
27 |
0 |
7 |
0 |
1 |
0 |
35 |
0
|
2003 |
26 |
0 |
3 |
0 |
0 |
0 |
29 |
0
|
2004 |
28 |
0 |
4 |
0 |
0 |
0 |
32 |
0
|
2005 |
33 |
0 |
5 |
0 |
1 |
0 |
39 |
0
|
2006 |
J2 |
45 |
0 |
- |
0 |
0 |
45 |
0
|
2007 |
21 |
J1 |
33 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
35 |
0
|
2008 |
10 |
0 |
1 |
0 |
1 |
0 |
12 |
0
|
2009 |
0 |
0 |
3 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0
|
2010 |
熊本 |
18 |
J2 |
36 |
0 |
- |
2 |
0 |
38 |
0
|
2011 |
38 |
0 |
- |
0 |
0 |
38 |
0
|
2012 |
39 |
0 |
- |
2 |
0 |
41 |
0
|
2013 |
42 |
0 |
- |
0 |
0 |
42 |
0
|
2014 |
横浜FC |
39 |
0 |
- |
1 |
0 |
40 |
0
|
2015 |
42 |
0 |
- |
2 |
0 |
44 |
0
|
2016 |
23 |
0 |
- |
0 |
0 |
23 |
0
|
2017 |
1 |
0 |
- |
0 |
0 |
1 |
0
|
2018 |
25 |
0 |
- |
1 |
0 |
26 |
0
|
2019 |
33 |
0 |
- |
0 |
0 |
33 |
0
|
2020 |
J1 |
12 |
0 |
0 |
0 |
- |
12 |
0
|
2021 |
|
|
|
|
|
|
|
|
通算 |
日本 |
J1
|
258 |
0 |
35 |
0 |
11 |
0 |
304 |
0
|
日本 |
J2
|
363 |
0 |
- |
8 |
0 |
371 |
0
|
総通算
|
621 |
0 |
35 |
0 |
19 |
0 |
675 |
0
|
その他の公式戦
代表歴[編集]
タイトル[編集]
脚注[編集]
- ^ “2016明治安田生命J2リーグ 第33節 南 雄太 選手(横浜FC)J2通算300試合出場達成”. Jリーグ.jp (2016年9月25日). 2018年10月5日閲覧。
- ^ あれから15年…GK南雄太がついに明かした“あのゴール”の真相スポニチ 2019年03月17日
外部リンク[編集]
Jリーグフェアプレー個人賞 |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 |
- 10: 槙野智章
- 11: 梁勇基, 太田宏介
- 12: 佐藤寿人
- 13: 柿谷曜一朗, 佐藤寿人
- 14: 西川周作, 工藤壮人, 平岡康裕, 森岡亮太, 水本裕貴, 豊田陽平
- 15: 谷口彰悟, 中澤佑二
- 16: 秋元陽太, 田中佑昌
- 17: 中澤佑二, 柿谷曜一朗, 水本裕貴
- 18: 西川周作, 秋元陽太, 澤田崇
- 19: 受賞者なし
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2020年代 | |
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Jリーグアウォーズ(最優秀選手賞 - JB11 - 得点王 - JBYP賞 - JFP個人賞 - J2MEP - 功労選手賞 - 最優秀監督賞 - 最優秀主審賞 - 最優秀副審賞 - JBP賞) |
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