原哲夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
原哲夫
Tetsuo Hara - Dimanche - Japan Expo 2013 - P1670527.jpg
Japan Expo 2013にて
生誕 日本の旗 日本 東京都渋谷区
(1961-09-02) 1961年9月2日(56歳)
国籍 日本
活動期間 1982年 -
ジャンル 少年漫画青年漫画
代表作 北斗の拳
花の慶次 ―雲のかなたに―
蒼天の拳
公式サイト 原哲夫公式ホームページ
テンプレートを表示

原 哲夫(はら てつお、1961年9月2日 - )は、日本漫画家東京都渋谷区生まれで埼玉県越谷市育ち。代表作に『北斗の拳』など。お笑い芸人のふかわりょうは従弟にあたる。

来歴[編集]

子供の頃は『天才バカボン』や『タイガーマスク』を見て育ち、絵は『タイガーマスク』の影響を受けたという。越谷市立栄進中学校、私立本郷高校デザイン科卒。

本郷高校在籍時は漫画劇画部に所属。漫画家を目指して「週刊少年ジャンプ」に持ち込みを始める。高校の先輩である秋本治の仕事場を訪問したこともあったという。卒業後は小池一夫主催の劇画村塾に通いながら、堀江信彦の紹介で高橋よしひろのアシスタントを務める。1982年、『スーパーチャレンジャー』で週刊少年ジャンプ月例賞を受賞。同年、モトクロスを題材にした漫画『鉄のドンキホーテ』(週刊少年ジャンプ)で連載デビュー。

1983年、代表作となるバイオレンスアクション漫画『北斗の拳』(週刊少年ジャンプ)を連載開始。「秘孔」や「世紀末」といった独特のギミックや世界観で描かれた『北斗の拳』は驚異的な人気を誇り80年代の「週刊少年ジャンプ」を支えると同時に、『DRAGON BALL』、『魁!!男塾』、『ろくでなしBLUES』等、後のジャンプ漫画の作風に多大な影響を与えた。

1990年、隆慶一郎の小説を原作にした時代劇漫画の『花の慶次 ―雲のかなたに―』(週刊少年ジャンプ)を連載。これ以来、時代劇漫画を執筆する機会が多くなる。

2000年には集英社から離れ「週刊コミックバンチ」に移籍、以降、後継誌である「月刊コミックゼノン」に執筆している。雑誌の編集や版権事業を手がける株式会社コアミックスを堀江信彦らと共に設立し役員に就いている。2005年には子供向けの絵本、森の戦士ボノロンのプロデュースを行っている。

人物[編集]

  • 原が劇画調の画風になったきっかけは、『I・餓男』(アイウエオボーイ)(原作・小池一夫、画・池上遼一)の影響だと原本人は語っている。中学生時代に友人からI・餓男の単行本を借りて以来池上遼一の信者になり劇画の虜になった。その後高校のクラブで漫画を書き出した頃はひたすら池上遼一のアクションシーンを研究し、その絵や構図、コマ運びを何度も繰り返し模写したという。特にI・餓男のアメリカ編は徹底的に模写を重ねた。小池一夫の劇画村塾に参加したのもI・餓男のファンだったのがその理由だった。2000年頃のインタビューによると2000年時点で原の仕事場にあるI・餓男の単行本は5代目であるという。「今でも仕事が行き詰まると読み返す、I・餓男は私の原点」と原は語っている。また原は後の池上遼一との対談で『I・餓男』と同時期の池上遼一の代表作『男組』(原作・雁屋哲)の画にも影響を受けたと池上本人に語っている。
  • 学生時代は松田優作が好きで、学生時代に画風が今と変わらない松田の似顔絵を描いている。北斗の拳の主人公であるケンシロウは、松田優作、ブルース・リー、映画マッドマックス2メル・ギブソンらがモデルとなっている。
  • 長年の仕事のために円錐角膜を患い、視力はかなり悪くなっている。そのため患った片目を閉じて描いているのだが、現在は「根性で描いている」とのこと(絵の線が多いのも何度も真直ぐな線を引こうと描き直しているためとも語っている)。このような事情により、一時期は「蒼天の拳」の終了をもって漫画家を引退すると宣言したこともあったが、実際には「蒼天の拳」の終了後も引き続き「いくさの子 織田三郎信長伝」の執筆を開始し、2016年現在も連載を続けている。
  • 「原哲夫」は本名である。自身は関東育ちだが、関西では「はらてつお」といえば吉本新喜劇の俳優原哲男が非常に有名であり、関西出身の関係者からは幾度も「なんでそんな筆名にしたんですか?」と聞かれ、閉口したらしい。

作品リスト[編集]

漫画[編集]

漫画以外の活動[編集]

キャラクターデザイン[編集]

その他デザイン[編集]

音楽[編集]

出演作品[編集]

テレビアニメ[編集]

関連人物[編集]

師匠[編集]

アシスタント[編集]

同僚・友人[編集]

親戚[編集]

原はふかわが小学生だった当時に逢って以降再会のチャンスに恵まれなかったが、2010年、ROCKETMANが自身のベストアルバム『thank you for the music!』を発表するに辺り、原に裏ジャケットのイラストを依頼したことから再会を果たした[4]。原は『爆笑問題のバク天!』(2004年9月25日放送)で、レギュラー降板がかかったふかわに応援イラストを送ったこともある上[5]、原夫人と娘がふかわと親しいことも明かしている[6]

脚注[編集]

  1. ^ 「少年リーダム」話中では原の名前が「原島哲」と変更され、タイトルが変更されている(北斗の拳を始めとした他の作品名も同様)が、単行本表紙や話中で使われたカットは実際の作品のを使用している。さらに原自身も「少年リーダム」2巻のインタビュー「描線の律儀」にも登場している。
  2. ^ “報道資料 平成28年10月3日発表 漫画家「原哲夫」先生の作品「いくさの子 ―織田三郎信長伝―」とコラボレーションして「桶狭間の戦い」のポスター、パンフレット等を製作し、全国に向けてPRします!” (PDF). 名古屋市. http://www.city.nagoya.jp/kankobunkakoryu/cmsfiles/contents/0000088/88134/281003okehazama.pdf 2017年5月7日閲覧。 
  3. ^ 話中でも「(CV 原 哲夫)」と表記されていた。
  4. ^ ふかわりょう、原哲夫ジャケでベスト盤 サンケイスポーツ 2010年7月21日閲覧
  5. ^ 『爆笑問題のバク天!』公式HP
  6. ^ ふかわりょう、原哲夫ジャケでベスト盤 サンケイスポーツ 2010年7月21日閲覧

関連項目[編集]