原田浩平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
原田 浩平 Football pictogram.svg
名前
愛称 こうへい
ラテン文字 Kohei HARADA
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1983-06-25) 1983年6月25日(36歳)
出身地 大阪府大阪市
身長 175cm
体重 70kg
選手情報
在籍チーム バサジィ大分
ポジション ピヴォ
利き足
ユース
大阪体育大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2006-2007 リンドバロッサ
2007-2017 デウソン神戸
2017- バサジィ大分
代表歴
2008- 日本代表
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説■サッカー選手pj

原田 浩平(はらだ こうへい, 1983年6月25日 - )は、大阪府大阪市出身のフットサル選手。日本フットサルリーグ(Fリーグ)のバサジィ大分所属。ポジションはピヴォフットサル日本代表

経歴[編集]

小学5年生時にサッカーを始め、主に左サイドハーフやトップ下としてプレー。スポーツ推薦で清風高校に進学し、高校ではキャプテンを務めた。大阪体育大学でもサッカー部に所属していたが、友人に誘われて4年時にフットサルをはじめ、大学卒業後にはブラジル・サンパウロ州に短期留学してプロフットサルチームの練習に参加[1]。帰国後には京都府1部リーグのリンドバロッサに所属し、フットサル場のアルバイトをしながら泉佐野市内に住んでいた。

2007年のFリーグ発足が決定すると、リンドバロッサ・セレゾン神戸(兵庫県)・セレゾン浜松(静岡県)の3チームが提携し、デウソン神戸を設立してFリーグに参加。清風高等学校時代の先輩だったデウソン神戸GMの上永吉英文に声を掛けられてデウソン神戸とプロ契約を交わし、デウソン神戸の練習場に近い神戸市のポートアイランドに移り住んだ[1]。2007-08シーズンにはベスト5。2008年にはフットサル日本代表として2008 AFCフットサル選手権に出場。2008-09シーズンは1月中旬までに17試合出場15得点で得点ランキング2位につけていたが、1月18日のステラミーゴいわて花巻戦で左膝前十字靱帯を負傷。2008-09シーズンの得点ランキングはバルドラール浦安稲田祐介に次ぐ2位(タイ)だった。手術を受けて約9ヶ月間チームから離脱し[2]、2009-10シーズンの3順目にようやく復帰した。

2010-11シーズンからはキャプテン。2015年5月31日の府中アスレティックFC戦で200試合出場(200試合登録)を達成[3]。Fリーグ史上12人目。

所属クラブ[編集]

サッカー[編集]

フットサル[編集]

タイトル[編集]

代表選出歴[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 オーシャン杯 全日本選手権 期間通算
2007-08 神戸 7 Fリーグ 18 13
2008-09 17 15
2009-10 ?? ??
2010-11 ?? ??
2011-12 27 8
2012-13 27 9
2013-14 32 9
2014-15 29 10
2015-16
通算 日本 Fリーグ
日本
総通算

脚注[編集]

参考[編集]