古作登

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
検索に移動

古作 登(こさく のぼる、1963年 - )は、日本将棋アマ強豪、元ジャーナリスト・編集者、頭脳スポーツ研究者。奈良県在住。

早稲田大学教育学部教育学科教育心理学専修卒業。大阪商業大学アミューズメント産業研究所主任研究員、大阪商業大学非常勤講師。

経歴[編集]

8歳で将棋を覚え、少年時代から将棋アマチュア強豪として知られる。1979年、筑波大学付属高校時代に全国高校将棋選手権優勝、同年には16歳にして全国アマチュア王座戦で準優勝。この年、非公式ながらプロアマオープン戦という将棋世界誌上の企画で当時プロデビューしたての脇謙二(当時四段)と対局している。翌1980年には社会人VS学生対抗戦で学生側として出場、第2局で真剣師の小池重明(当時32歳)と対局し勝利した。

早稲田大学在学中に関東新人王・東日本学生名人等を獲得、その後1982年に新進棋士奨励会へ1級で入会するも1989年三段で退会、同期に森内や羽生がいた。 退会後は毎日コミュニケーションズ(現・マイナビ)に入社し、「週刊将棋」の編集に従事し、1996年~2002年迄編集長。のち、囲碁書籍編集長、アミューズメント編集課長、ネット事業課長を経て、退職。また1996~98年に渡り、NHK・BS2「囲碁・将棋ウィークリー」司会も担当。

2007年に女流棋士日本将棋連盟から独立する運動が起きた際は設立準備委員会の広報担当を務めた。2012年、第66回全日本アマチュア名人戦で3位となる。この時、奈良県代表として出場していた古作は3回戦で栃木県代表の桐山隆と対局したが1局目は千日手となった。指し直しとなった2局目、今度は持将棋模様となる中での最終盤、古作は入玉に成功、相入玉の末、当時導入されたばかりの入玉宣言法により勝利した(現在、日本将棋連盟が公式に定めている入玉宣言法には24点法と27点法の2つがあり、この大会では27点法が導入されていた。ただどちらも成立に幾つかの要件があり、更に宣言した方がそれら全てを満たさなければならず、1つでも該当しない項目があれば不成立となり宣言した側の負けとなるという規定がある。将棋の性質上、宣言法が成立するのは最終盤である事、とりわけ上位者同士の対局では終盤は秒読みになっている事が多く、また対局時計が止められるのは宣言後なので、秒読みの中で全ての条件を満たしているか見極める必要があり、難易度が高い為か失敗を恐れて宣言を躊躇する者も少なからずいたと言われている中、後手番だった古作が274手目に自ら宣言、判定の結果、全ての条件を満たしていた為に宣言は成立となり規定により古作の勝利となった。全日本アマチュア名人戦における入玉宣言法導入はこの年が初めてであり、「試験的に導入」という形が取られていた中で古作が適用第1号となった)。 2017年現在、大阪商業大学アミューズメント産業研究所の主任研究員として将棋・囲碁をメインとした頭脳スポーツ全般を研究している。その為、将棋だけでなく囲碁への造詣も深く、囲碁のアマ強豪としても知られ、過去には全国大会での上位入賞もある。

2017年の第30回アマチュア竜王戦で4位となり、第31期竜王戦6組の出場権を得た[1]。54歳での公式戦初出場は、アマチュア最年長記録である。ランキング戦1回戦で浦野真彦に敗れた。 2018年の第31回アマチュア竜王戦で3位となり、2期続けて竜王戦6組の出場権を得るも、ランキング戦1回戦で神崎健二に敗れた。2019年の第32回アマチュア竜王戦で再び4位となり、3期続けて竜王戦6組に出場。ランキング戦1回戦で奨励会員の古賀悠聖に敗れた。

著書[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 第31期竜王戦 6組ランキング戦 - 日本将棋連盟