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古内 広雄(ふるうち ひろお、1907年10月 - 1972年11月5日)は、日本の外交官、政治家。衆議院議員(2期)。位階は正三位。勲等は勲二等。正式には古内廣雄と表記する。
略歴[編集]
宮城県岩沼市生まれ。伊達忠宗の家老職を務めた古内家の末裔である。第二高等学校から東京帝国大学法学部に進み、大学在学中に高等試験外交科合格。外務省に入省してからはドイツに赴任して経験を積み1941年に本省に戻る。終戦直後は進駐軍との終戦連絡の折衝にあたるも、いわゆる「Y項パージ」で一時期省外へ出され公正取引委員会事務局長などを務めた。
1953年に外務省に戻るとレバノン、オーストリア、パキスタン、インドネシアの各国大使を歴任し、池田勇人首相の奨めもあって1964年に退官して自由民主党公認で1965年の参院選に宮城県選挙区から出馬するが、地元組織の分裂から次点に終わる。翌1966年の仙台市長選挙でも落選し、1967年の衆院選で宮城1区から出馬してようやく政界入り。2期務め1972年7月の第1次田中角栄内閣で防衛政務次官となるが、暮れに総選挙を控えた11月5日に死去。同月11日に岩沼市で市民葬が執り行われた。
脚注[編集]
関連項目[編集]
在インドネシア日本大使 (1962年-1964年)  |
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- 黄田多喜夫1958-1962
- 古内広雄1962-1964
- 斎藤鎮男1964-1967
- 西山昭1967-1969
- 八木正男1969-1972
- 田中弘人1972-1973
- 須之部量三1973-1977
- 吉良秀通1977-1980
- 澤木正男1980-1982
- 山崎敏夫1982-1985
- 武藤利昭1985-1987
- 枝村純郎(ウクライナ語版)1987-1990
- 國廣道彦1990-1992
- 藤田公郎1992-1994
- 渡辺泰造1994-1997
- 川上隆朗1997-2001
- 竹内行夫2001-2002
- 飯村豊2002-2006
- 海老原紳2006-2008
- 塩尻孝二郎2008-2011
- 鹿取克章2011-2014
- 谷崎泰明2014-2017
- 石井正文2017-
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在パキスタン日本大使 (1961年-1962年)  |
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在カラチ全権大使 | | 在ラワルピンディ全権大使 |
- 高木広一1966-1967
- 田中弘人1967-1969
- 曽野明1969
- 大使館移転
| 在イスラマバード全権大使 |
- 曽野明1969-1972
- 兼松武1973-1976
- 根本博1976-1980
- 鈴木干夫1980-1982
- 梁井新一1982-1984
- 柳健一1982-1987
- 小林俊二1987-1990
- 村岡邦男1990-1994
- 川上隆朗1994-1997
- 久保田穣1997-2000
- 沼田貞昭2000-2002
- 渋谷實2002-2004
- 田中信明2004-2006
- 小島誠二2006-2008
- 渥美千尋2008-2011
- 大江博2011-2013
- 猪俣弘司2013-2016
- 倉井高志(ウクライナ語版)2016-2018
- 松田邦紀2018-
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在オーストリア日本公使/大使 (1957年/1957年-1961年)  |
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在オーストリア=ハンガリー帝国全権公使 | | 在オーストリア=ハンガリー帝国全権大使 | | 在オーストリア全権公使 | | 在ウィーン総領事 |
- 山路章1938-1941
- N/A
- 合邦解消、総領事館閉鎖1945
| 在オーストリア全権公使 | | 在オーストリア全権大使 |
- 古内広雄1957-1961
- 内田藤雄1961-1964
- 法眼晋作1965-1968
- 新関欽哉1968-1971
- 藤山楢一1971-1975
- 鹿取泰衛1975-1980
- 山戸徹1980-1983
- 宮沢泰1983-1985
- 村田良平1985-1987
- 矢田部厚彦1987-1989
- 長谷川和年1989-1992
- 小野寺龍二1992-1993
- 黒川剛1993-1996
- 高島有終1996-1999
- 伊集院明夫1999-2003
- 橋本宏2003-2006
- 梅津至2006-2007
- 田中映男2007-2010
- 岩谷滋雄2010-2013
- 竹歳誠2013-2016
- 小井沼紀芳2016-2019
- 水谷章2019-
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