古川昌明

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古川 昌明 Football pictogram.svg
名前
カタカナ フルカワ マサアキ
ラテン文字 FURUKAWA Masaaki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1968-08-28) 1968年8月28日(50歳)
出身地 千葉県千葉市
身長 180cm
体重 72kg
選手情報
ポジション GK
利き足 左足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1989-1990 日本の旗 本田技研工業サッカー部 0 (0)
1990-1991 日本の旗 本田技研工業狭山サッカー部  ? (?)
1992-2000 日本の旗 鹿島アントラーズ 125 (0)
1998 日本の旗 アビスパ福岡 (loan) 1 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説■サッカー選手pj

古川 昌明(ふるかわ まさあき、1968年8月28日 - )は、日本の元サッカー選手、現指導者。選手時代のポジションはゴールキーパー。元日本代表

略歴[編集]

小学6年生でサッカーを始め中学1年生からゴールキーパーとなる[1]市原緑高校卒業後、1987年に日本サッカーリーグ1部の本田技研工業サッカー部(現・Honda FC)に加入。同い年で同期就職に北澤豪黒崎久志がいる[1]。1989年にトップチームに登録されるまでのあいだ、練習こそチームと一緒に行うものの、試合出場は静岡県リーグ所属のチームに限られていた[1]。1989年、JSLカップで2試合に出場[1]。1990-91シーズンにブラジル人GKアベリアポルトガル語版が加入する煽りを受け、古川は埼玉県狭山市にある狭山工場へ転勤を命じられ、GK不足だった埼玉県リーグの本田技研工業狭山サッカー部(後のホンダルミノッソ狭山FC)でプレーすることになる[2][1]。狭山は浜松と比べ労働時間が長く、練習グラウンドも土という劣悪な環境だった[1]。チームは1年で関東リーグに昇格[2]。古川はプロ入りを目指すべく本田技研工業を退社してブラジルで経験を積むという決断をする[1]

1991年6月にブラジルに渡り、現地のクラブで練習に参加[2][3][4]。最初の半年間はGKコーチのいない田舎町の小さなクラブにいたが[2][3]、その後知人から名将テレ・サンタナを紹介してもらい、彼が監督を務めるサンパウロFCでの練習に参加[2][3]。サンパウロでは元ブラジル代表GKコーチのヴァウジール・ジ・モラエスポルトガル語版の指導を受けた[3]

本田技研工業時代の同期である黒崎の紹介により鹿島アントラーズのテストを受け、1992年途中より入団[4]。Jリーグ開幕年の1993年、38試合すべてにフルタイム出場[4]。1stステージに優勝し、チャンピオンシップ2試合にも出場した[1]。同年には日本代表にも選ばれ、1993年9月のスペイン遠征に帯同した[5] 翌年からは度々の故障に苦しんだが、1996年はシーズン途中から先発に復帰してJリーグ年間優勝に貢献する[4]。1998年途中からはアビスパ福岡期限付き移籍。1999年、鹿島に復帰。2000年をもって引退した。

引退後はコリンチャンスCFZジュニオールチームなどへのコーチ留学を経て、2003年から2008年まで川崎フロンターレのGKコーチを務めた。2012年から鹿島アントラーズのGKコーチに就任。

2019年、いわきFCのGKコーチに就任[6]

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1989-90 本田 25 JSL2部 0 0 2 0
1990 本田狭山 埼玉県 - -
1991 - -
1992 鹿島 - J - 5 0 3 0 8 0
1993 36 0 3 0 5 0 44 0
1994 34 0 1 0 0 0 35 0
1995 26 0 - 0 0 26 0
1996 15 0 4 0 3 0 22 0
1997 1 5 0 6 0 0 0 11 0
1998 9 0 0 0 - 9 0
福岡 30 1 0 0 0 0 0 1 0
1999 鹿島 1 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2000 0 0 0 0 0 0 0 0
通算 日本 J1 126 0 19 0 11 0 156 0
日本 JSL1部 0 0 2 0
日本 関東 -
日本 埼玉県 -
総通算 21 0

その他の公式戦

その他の国際公式戦

代表歴[編集]

指導歴[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 岩崎龍一「ゴールマウスで独り言:古川昌明(1)」『週刊サッカーマガジン』 2005年12月27日号 No.1057、ベースボール・マガジン社、74頁。
  2. ^ a b c d e Oki,Marina (2006年). “F-スポット - ピックアッププレイヤー”. 川崎フロンターレ. 2017年10月12日閲覧。
  3. ^ a b c d 岩崎龍一「ゴールマウスで独り言:古川昌明(2)」『週刊サッカーマガジン』 2006年1月3日号 No.1058、ベースボール・マガジン社、74頁。
  4. ^ a b c d 岩崎龍一「ゴールマウスで独り言:古川昌明(3)」『週刊サッカーマガジン』 2006年1月10日号 No.1059、ベースボール・マガジン社、74頁。
  5. ^ 代表TIMELINE”. SAMURAI BLUE サッカー日本代表. 日本サッカー協会. 2017年10月12日閲覧。
  6. ^ “いわきFC GKコーチに古川昌明氏が就任” (プレスリリース), いわきFC, (2018年12月27日), https://iwakifc.com/news/2018/1227_008042.php 2019年1月21日閲覧。 
  7. ^ “古川 昌明選手期限付き移籍のお知らせ” (プレスリリース), 鹿島アントラーズ, (1998年9月18日), オリジナルの2001年2月28日時点によるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20010228031404/http://www.nttprintec.co.jp:80/ANT/RELEASE/1998/199809/980918171948.html 2018年8月17日閲覧。 

関連項目[編集]