古町 (新潟市)
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古町(ふるまち)は、新潟市中央区の新潟島中央部に位置する地域の名称であり、狭義には古町通の町名および商店街を、広義には本町や白山神社周辺を含めた江戸時代から続く旧新潟町の市街地を指す。新潟市を代表する繁華街。本記事では広義の古町地域(古町エリア)について述べる。
概要[編集]
新潟島のなかで最も歴史の古いエリアであり、新潟市の経済の中心に当たる。商業施設や業務施設が多く立地する繁華街であるほか、第四銀行の本店、都市銀行の新潟支店、日本銀行新潟支店など金融機関も集中している。一方で新潟駅により近い万代シテイの開発やモータリゼーションによりドーナツ化現象の影響を受けている地域でもある。
1655年(明暦元年)に築かれた、白山神社から日和山までの港町のまちなみの骨格が現在も残っており[1]、かつては堀が張り巡っていた(詳細は#古町の掘割を参照)。街路は信濃川と平行な「通り」と呼ばれる道と、これに直交する「小路」と呼ばれる道からなる。例として、前者は西堀通、古町通、東堀通、本町通などが、後者は柾谷小路などが挙げられる。通り名に関する地図は#外部リンクを参照。
2008年(平成20年)策定の中心市街地活性化基本計画においては古町エリアの大部分が「古町地区」として3つの中心市街地(重点活性化地区)の一つとして位置づけられ、同年策定の新潟市都市計画基本方針(都市計画マスタープラン)においては、「古町・白山周辺地区[2]」として都心の一つに位置づけられている。また、2018年(平成30年)に公表された「新潟都心の都市デザイン」においては「旧市街・開化ゾーン」に位置づけられている(これらの計画は#外部リンクから参照)。
当地名は「ふるまち」の「ふ」にアクセントが付く語頭が高いアクセント(共通語の「降る」と同じ)である。
地域[編集]
- 西堀通 (にしぼりどおり)
- 1872年(明治5年)から現在までの町名で、新潟町の町域改編に伴い寺町通から改称[* 1]。一番堀通町の白山神社付近を起点に南西から北東に伸びる寺町で、柾谷小路周辺には展望台やオフィスが入居している超高層ビルNEXT21が立地している。西堀通の地下には地下街の西堀ROSAもある。
- 西堀前通 (にしぼりまえどおり)
- 1872年(明治5年)から現在までの町名で、新潟町の町域改編に伴い寺町通から改称[* 1]。一番堀通町の白山神社付近を起点に南西から北東に伸びる通りに沿って古くからの商店街がある。1番町から11番町まである[* 1]。
- 古町通 (ふるまちどおり)
- 江戸期から現在までの町名[* 2]。白山神社に繋がる古町通1番町から13番町まで続く商店街。1番町から4番町までは上古町(かみふるまち)、カミフルとも呼ばれ、5番町から7番町までの区間にはアーケード街ふるまちモールが広がっている。また、通り沿いには、ドカベンなど水島新司作品のキャラクターのブロンズ像が設置されている。
- 東堀通 (ひがしぼりどおり)
- 1872年(明治5年)から現在までの町名で、新潟町の町域改編に伴い片原通・古洲崎町の一部から改称[* 3]。信濃川河口付近左岸、古町通の東側を並行するように南北へ走る片側2車線の道路である。通りは上手の白山神社側を起点に1番町から13番町まである。
- 本町通 (ほんちょうどおり)
- 江戸期から現在までの町名[* 4]。本町は、この古町とは東堀通などを挟んで南側で並行する本町通を中心に商業地を構成している。古くから「市民の台所」と謳われる通り沿いには魚介類や農産物、日用品、衣類などを売る店舗が多数並び、本町通六番町のアーケード内を中心に露店も出される。イトーヨーカドー丸大新潟店が所在するのはこの六番町である。
- 上大川前通 (かみおおかわまえどり)
- 1872年(明治5年)から現在までの町名で、新潟町の町域改編に大川前通から改称[* 5]。信濃川河口付近左岸、本町通の東側を並行するように南北へ走る通り。かつては7番町から8番町にかけて新潟証券取引所、新潟中央銀行本店等が立地し、商工会議所や都市銀行の支店が立ち並ぶ新潟経済の中心地であった。
- 一番堀通町 (いちばんぼりどおりちょう)
- 1872年(明治5年)から現在までの町名で、神明横町が改称して成立[* 6]。1936年(昭和11年)に昭和大橋上手埋立地を編入した[* 6]。町名の由来は、一番堀に沿うことにちなむ[* 6]。白山神社の所在地であり、区域の大半は白山公園で占められる。
- 学校町通 (がっこうちょうどおり)
- 1883年(明治16年)から現在までの町名で、新潟町の町域改編に学校通1番町から改称[* 7]。町名は旧北陸道沿いに学校が集中することにちなむ[* 7]。一番堀通町に隣接し、1番町から3番町まである。新潟市役所の所在地。
- 横一番町 (よこいちばんちょう)
- 1872年(明治5年)から現在までの町名で、新潟町の町域改編に伴い丁持小路と曲師屋小路の一部から改称[* 9]。
- 横六番町 (よころくばんちょう)
- 1872年(明治5年)から現在までの町名で、新潟町の町域改編に伴い甚九郎小路が改称して成立[* 10]。
交差する小路[編集]
白山神社側(1番町側)から順に
- 一番堀通り(白山神社前)
- 丁持小路(2番町と3番町の間)
- 新川小路(3番町と4番町の間)
- 鍛冶小路(4番町と5番町の間)
- 新津屋小路(5番町と6番町の間) - 人情横丁が位置する。
- 小原小路(6番町の中間地点)
- 柾谷小路(6番町と7番町の間)
- 新堀通り(7番町と8番町の間)
- 坂内小路(8番町と9番町の間)
- 広小路(9番町と10番町の間)…南へ行くと柳都大橋へ至る。
- 風間小路(10番町と11番町の間)
- 五菜堀(11番町と12番町の間)
- 東堀通り(お互いの13番町で合流し、横七番町通として更に信濃川河口地区方面へつながる)
歴史[編集]
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1655年(明暦元年)、新潟湊の「明暦の町建て/移転」により現在のまちなみの骨格が誕生した[1]。市内の堀が整備され新潟港に北前船が寄港するようになると一帯は発展を遂げ、十返舎一九による『東海道中膝栗毛』の中では「新潟越後じゃあんめいし八百よこせとすさまじい」と書かれている。
昭和時代になると、天然ガス採掘による地盤沈下の発生や、下水道網の不備から堀に生活排水が大量に流出したことなどから堀の水質が悪化。更に昭和新潟大火(1955年)による古町地域の焼失及び新潟国体(1964年)を控え、交通路の確保と街の衛生状態を改善する必要に迫られたことから、昭和30年代末頃までに堀は全て埋め立てられた。
万代シテイと比べるとテナントビルや百貨店などの大型店は少なく、昔からの商店や専門店などが立ち並んでいるため商店街・ファッションストリート、飲食街といった性格が強い。なお2010年6月に大和新潟店が閉店したほか、2016年にはラフォーレ原宿・新潟が閉店、2020年3月22日には新潟三越が閉店するなど商業機能の縮小が見られる一方、2017年に中央区役所が当エリアに移転、2020年には「古町ルフル」ならびに市役所ふるまち庁舎のオープンが予定されるなど新たな機能が設けられつつある。
現代[編集]
- 1970年代以前
従来から柾谷小路を挟んで小林百貨店、大和の2大百貨店を中心に新潟市一の繁華街として栄えてきた古町だが、その後1955年の昭和新潟大火により、5番町から7番町にかけてがほぼ焼失(当時は木造の建造物が圧倒的に多く、残ったのは大和などごく一部であった)。これを機に焼失地域の再建が始まり、1964年の新潟国体を控え、商店街を挙げて大会を盛り上げようと意気が上がり、大成功に終わった。しかしその直後に起きた新潟地震によって、古町界隈も大きな被害を受けた。
- 1970年代
それでも新潟地震後の復興は早く、古町周辺も早々と活況を呈し、再び市内唯一の繁華街としての地位につく。それを後押ししたのが相次ぐデパートやスーパーマーケットなどの出店だった。まず1969年には隣接する東堀通りに長崎屋、1970年にはその隣りにイチムラ百貨店、古町に緑屋(月賦百貨店)などの百貨店が相次いで開店した。同年には7番町にアーケードが完成している。更に映画館も古町松竹、東堀東映の2大映画館だけだったが、1970年に雑居ビル的な要素も兼ねた新潟宝塚会館が東堀に開館。東宝系の映画が見られるようになった。
1972年には大和や山下家具店の店舗増床、更に1976年のカミーノ古町開店などで大型店全盛の時代を迎えた。また、当時の新潟交通のバス路線網で郊外線の終着点が古町(降車場は三越前など数か所ある)だったこともあり、新潟市民の足は古町に向かうようになる。
- 1980年代~1990年代
しかし1973年から始まったダイエー出店を前面に押し出した万代シテイの開発拡大により、1979年にはダイエー新潟店が全国のダイエー店舗の中で売上高トップの座につく。そして1984年に万代シテイでは初の百貨店出店となった新潟伊勢丹がオープンし、それと相反して古町の繁栄にも陰りが見え始める。既に1976年には小林百貨店が宮城県仙台市の藤崎と業務提携を経て、1978年には三越傘下に入り、1980年に新潟三越としてリニューアルするなど変化の兆しがあった。しかし1981年にイチムラ百貨店、長崎屋が閉店した。イチムラはのちにかに道楽などが入ったファッションビル「WITH」としてリニューアルした。
そしてかつては県下で最も地価の高い地点とされた大和百貨店前は、やがて新潟駅前にその地位を譲り、1990年代初頭には大和前の柾谷小路交差点(通称:古町十字路)は通行量の面でも下降が顕著になる。1994年には西堀に日本海側初の超高層ビルNEXT21が開業し、客足の呼び戻しが期待されたが、人々は無料で駐車できる駐車場を求め、郊外に進出した大型店へ移っていった。
- 2000年代
2000年代に入るとカミーノ古町が閉店。更に2001年には松竹、東映の2大映画館も姿を消した。これと入れ替わる形で専門学校グループのNSGが古町界隈に進出し、カミーノ古町の建物に系列の専門学校を複数入れてリニューアルした。また、大和の向かいにあった三井住友銀行新潟支店が旧さくら銀行と旧住友銀行の支店統一化により新潟駅前に統一されて建物だけが2年ほど残っていたが、NSGは跡地を調理師養成の専門学校としてリニューアルさせた。更に本町にも新潟中央銀行跡地に新潟国際情報大学のキャンパスが進出するなど、若年層が戻りつつある。
また、2004年頃から都市型マンションの建設が進み定住人口が増加していること、さらに2006年以降相次ぐ再開発事業が具体化したことなどから、一時期深刻化した空洞化現象からの脱却の兆しが見られるようになっている。ただ足元を見れば、古くからの名店が後継者不在などにより閉店する一方、若い経営者による新しい店舗が増えるなど変化も激しい。2005年には新潟古町演芸場がオープンし、中高年層を中心にした興行が受け、新しい文化の発信地が生まれた。
反面2007年には新潟宝塚会館がシネコンなど映画館の郊外移転や建物自体の老朽化による閉館を余儀なくされ、これにより古町界隈から映画館は無くなった。また山下家具店も再開発を兼ねて2008年より取り壊しが始まっている。また、三越前の大衆酒場・越路会館も建物の老朽化が進み、2005年にCo-C.G.ファッションとグルメをメインテナントにするビルに生まれ変わった。
2008年に入ると柳都大橋からの延伸道路が東堀通りまで開通し、更に同年7月24日から並行する西堀通りと東堀通りが42年ぶりに一方通行規制を解除され、これによって人や車の流れにも変化が出てきた。
2009年6月には、NEXT21の隣(西堀通6番町地区)に、高さ111m、地上29階建ての、商業施設と住宅が入居する複合型高層ビル「グランドメゾン西堀通タワー」が完成した。
- 2010年代
2010年春に西堀ローサがほぼ全部の店が開店した。10月1日に旧大和の地下1階に1件の店が開店。これで完全に西堀ローサの全部の店舗が再開店した。だが、大和百貨店が2010年夏に閉店(新潟県内の大和の店舗は全て閉店)、交差点を挟んだ真向かいにあった北光社書店も同年1月31日に閉店したことにより、古町の中心部である古町交差点に面する老舗店舗が同年中に2つ消えた。更に同年春には、かに道楽が入っているWITHビルが建物の老朽化とテナント業績の悪化を理由に年内に取り壊されることが発表され、商業施設がまた姿を消すことが決まった。
2011年9月24日に大和デパート跡地に山下家具店がオープンしたが、再開発のため2016年12月24日に閉店して古町5のヤマシタ新潟古町店内へ移転した。2011年12月1日から、長年使用されてきた本町・古町共通駐車券(紙券)が磁気カードに変更となり、提携の無人コインパーキングでも容易に使用できるようになった。紙券だと一部の駐車場では使用不可、または管理事務所の営業時間中に行きその駐車場の無料券に交換または認証をする必要があった。
2015年、萬代橋ライン開業に合わせて新潟交通は大規模なバス路線再編を行い、郊外から古町に直通するバスが急減した。
- 2020年代
2020年3月22日、古町で唯一残っていた百貨店新潟三越が閉店、これで小林百貨店から113年続いた古町の百貨店は全て撤退したことになる。これで新潟県内で唯一残る百貨店は万代シティにある新潟伊勢丹のみとなった。
一方で、大和新潟店跡地には再開発ビル「古町ルフル」が建設されており、2020年4月以降オープン予定で、あわせて新潟市役所ふるまち庁舎が開庁予定である。
古町の掘割[編集]
「柳都」「水の都」と呼ばれる所以もこの古町・本町周辺にある。周辺の主要道路や小路には「西堀通」「東堀通」「一番堀通」などの名が残っているが、1960年代中盤まで、これらの通りには堀があった。
第二次世界大戦前は生活用水や水運などに使われていたが、戦後は水質汚濁など衛生上の問題が生じ、また堀のある小路は道幅が狭隘で、自動車等の通行に障害が出はじめた。さらに1964年開催の新潟国体を前に中心市街地のイメージを向上させる必要が生じたことなどから、1960年を前後して相次いで埋め立てられた。現在、当時の姿をそのまま留めている場所は一箇所もないが、新潟市歴史博物館の敷地内には当時の堀と柳並木が復元されている。
堀の縁には柳の木が植えられていたことから、新潟市を柳都(りゅうと)と呼び、新潟市の木が柳となる由縁になるなど、歴史が色濃く残されている。
一部の市民からは「堀割と柳並木の復活」を望む声も上がっているが、先述の道路交通や衛生上の問題もあって、この構想に関しては市民の間では賛否両論ある。
年表[編集]
- 1655年(明暦元年) - 新潟町が寄居村と入れ替わるようにして移転。以後、新潟町の区域となり、中心地となる。[* 11]
- 1880年(明治13年) - 新潟大火により多くの木造建築・擬洋風建築が焼失[3]。
- 1908年(明治41年) - 2度にわたり大火が起こる[4]。
- 1925年(大正14年) - 都市計画区域が認可される[5]。以後、道路網整備が進む[6]。
- 1937年(昭和12年)
- 1955年(昭和30年) - 昭和新潟大火により大きな被害を受ける。
- 1976年(昭和51年)10月16日 - 西堀ROSAが開業[1]。
- 1980年(昭和55年) - 小林百貨店が新潟三越となる[1]。
- 1989年(平成元年) - 市役所が学校町通に移転。これにより、江戸時代より長きにわたって続いた行政の中心機能が古町から離れる[1]。
- 1993年(平成5年) - NEXT21が完成、翌年にグランドオープン。
- 2007年(平成19年) - 新潟宝塚会館閉館(現在、三井のリパーク(平面)となっている)。
- 2010年(平成22年)
- 2015年(平成27年)9月5日 - BRT萬代橋ラインが開業。
- 2016年(平成28年)1月31日 - ラフォーレ原宿・新潟が閉店[1]。
- 2017年(平成29年)8月14日 - NEXT21に中央区役所が移転開庁[1]。
- 2017年(令和元年)10月24日 - 新潟市による「古町地区将来ビジョン懇談会」初会合[7]。
- 2020年(令和2年)
主な施設[編集]
- 西堀通・西堀前通
- NEXT21(超高層ビル)
- 2F - 5Fには新潟市中央区役所が入っている
- 西堀ROSA
- Co-C.G.
- WEGO新潟店などが入っている
- ホテルイタリア軒
- 三井住友銀行
- みずほ銀行
- 三菱UFJ銀行
- 大光銀行
- 古町通
- 古町ルフル・市役所ふるまち庁舎(2020年オープン予定)
- 山下家具店 THE SHOPPING.
- 新潟市マンガの家
- 水島新司マンガストリート
- 萬松堂 本店
- 6ビジョン(街頭大型ビジョン)
- 新潟古町演芸場
- 東堀通・東堀前通
- 本町通
- 本町三郵便局
- イトーヨーカドー丸大新潟店
教育機関[編集]
イベント[編集]
- 古町どんどん(5・10月)
- にいがた食の陣
- がたふぇす
交通[編集]
公共交通[編集]
古町エリアの最寄り駅は新潟駅または白山駅となっており、両駅からBRT「萬代橋ライン」により結ばれている。
萬代橋ラインの停留所は、柾谷小路沿いの「本町」または「古町」が利用できるほか、白山神社寄り(カミフルなど)は「市役所前」が近い場合もある[11]。
このほか、本数はさほど多くないが西堀通および東堀通にはC4 東堀通線、C5 西堀通線、C6 八千代橋線などが走っている[12]。
くるまでふるまち[編集]
古町エリアの約150の店舗において、買い物金額に応じて無料駐車券を配布するサービスが実施されている。対応駐車場は約4,000台分ある[13]。
自転車[編集]
2010年代前後に駐輪場の整備が推進され[14]、2019年3月現在では市によって以下の無料駐輪場が設けられている[15]。
- 上古町自転車駐車場(約155台)
- 東堀前通自転車等駐車場(約168台)
- 西堀通自転車駐車場(約700台、深夜は閉鎖)
- 古町通5番町自転車駐車場(約132台)
また、レンタサイクルのサービスとして、放置自転車を活用した格安の「にいがたレンタサイクル」やスポーツ自転車に乗れる「スマートクルーズ」が実施されており、古町エリアにおいてもいくつか貸出・返却所が設けられている[16]。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典(参考文献を参照)[編集]
- ^ a b c 角川地名15、p.1039
- ^ 角川地名15、p.1175
- ^ a b 角川地名15、p.1118
- ^ 角川地名15、p.1200
- ^ 角川地名15、p.383
- ^ a b c 角川地名15、p.158
- ^ a b 角川地名15、p.361
- ^ a b 角川地名15、p.123
- ^ 角川地名15、p.1363
- ^ 角川地名15、p.1371
- ^ 新潟市通2
出典(その他)[編集]
- ^ a b c d e f g h i j 新潟町のカナメ(奉行所~現在) - 新潟ふるまち.2019年3月14日閲覧。
- ^ 都市計画マスタープラン(区別構想) (PDF) - 新潟市.2019年3月14日閲覧。
- ^ 古町歴史パネル写真館 2.近代の幕開け 明治期② - 新潟ふるまち.2019年3月14日閲覧。
- ^ 古町歴史パネル写真館 4.本格化する西洋建築 大正期① - 新潟ふるまち.2019年3月14日閲覧。
- ^ 新潟歴史年表 - 新潟市.2019年3月14日閲覧。
- ^ 古町歴史パネル写真館 11.変化する街並み 昭和中期 - 新潟ふるまち.2019年3月14日閲覧。
- ^ (仮称)古町地区将来ビジョン懇談会新潟市(2019年10月27日閲覧)。
- ^ “【動画あり】新潟三越が閉店 113年の歴史に幕”. 新潟日報モア. (2020年3月23日)
- ^ ビルネーミングの決定とロゴマーク市民投票のお知らせ - 古町通7番町地区市街地再開発組合.2019年3月14日閲覧[リンク切れ]。
- ^ “ふるまち庁舎のオープン”. 新潟市 (2020年5月7日). 2020年5月10日閲覧。
- ^ 新潟市中心部のりば案内図 - 新潟交通.2019年3月14日閲覧。
- ^ 新潟交通バス路線図:新潟市中心部 (PDF) - 新潟交通.2019年3月14日閲覧。
- ^ くるまでふるまち - 新潟ふるまち.2019年3月14日閲覧。
- ^ 平成29年度 第2回新潟市自転車利用環境推進委員会(平成30年1月29日) 資料1 これまでの取組状況とアウトプット指標による評価 (PDF) - 新潟市.2019年3月14日閲覧。
- ^ 駐輪場 - 新潟市中央区.2019年3月14日閲覧。
- ^ にいがたレンタサイクルとは - にいがたレンタサイクル.2019年3月14日閲覧。
参考文献[編集]
- 角川日本地名大辞典 編纂委員会『角川日本地名大辞典 15 新潟県』(株)角川書店、1989年10月8日。ISBN 4-04-001150-3。
- 『新潟市史 通史編2 近世』新潟市、1997年1月31日。
- 『新潟歴史双書 5 新潟の堀と橋』新潟市、2001年3月30日。
- 『新潟歴史双書 8 新潟の地名と歴史』新潟市、2004年3月31日。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 歴史・地図・商店街
- 「ふるまち Official Guide Web」 新潟中心商店街(古町・本町・柾谷小路)公式HP
- 古町歴史館 - 古町地区の歴史が多くの写真とともに紹介されている。
- 新潟市上古町商店街振興組合 公式ウェブサイト
- カミフル団
- まちあるき 新潟の町 小路めぐりマップシリーズ全6種類
- 堀割再生まちづくり新潟 オフィシャルサイト | ようこそ水の都にいがたへ
- ふるまち.どっとプレス(2013年3月31日をもって更新停止)
- 計画等(新潟市HP)
- 新潟市都市計画基本方針
- 新潟市中心市街地活性化基本計画
- 新潟都心の都市デザイン
- 新潟市 まちなか再生本部 - 中心市街地に関するデータ・報告書が掲載されている。
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