右田弘詮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2017年6月) |
|
|
---|---|
時代 | 戦国時代 |
生誕 | 不詳 |
死没 | 大永3年10月24日(1523年12月1日) |
改名 | 昌瑞(号) |
別名 | 三郎[1]、右田中書[1]、陶弘詮、朝倉弘詮 |
戒名 | 鳳梧真幻昌瑞、鳳梧昌瑞大禅定門[2] |
官位 | 従五位下、中務大輔、兵庫頭[1]、安房守[1] |
主君 | 大内政弘→義興 |
氏族 | 陶氏→右田氏→陶氏 |
父母 | 父:陶弘房[1]、母:仁保盛郷娘[2] |
兄弟 | 弘護[1]、弘詮 |
子 | 興就、隆康[2]、娘(陶興房妻)[2] |
右田 弘詮(みぎた ひろあき)は戦国時代の武将。大内氏の重臣。長門国諏訪山城主。同じく長門国矢田城主とも伝えられる。
生涯[編集]
大内政弘・大内義興の二代にわたって仕えた。初めの主君・政弘からは「弘」の字の授与を受けている。父弘房は同族の右田弘篤の跡を継いでいたが、兄(弘詮の伯父)の弘正が戦死したため、陶家の家督を相続し、寛正6年(1465年)に次男の弘詮に右田家を継がせた[2][注釈 1]。
文明10年(1478年)7月、兄弘護とともに九州に渡り、少弐氏と戦ってこれを滅ぼす。翌年兄に代わって筑前国の守護代となる[4]。
文明14年(1482年)、弘護が28歳で不慮の死を遂げ、その子達が幼なかったため、政弘の命により陶氏に戻り兵庫頭を名乗る[2]。弘護の三男の興房が成人するまで番代(当主代行・後見人)を務めて周防及び筑前両国の守護代職を務め、主君・義興の上洛中は留守を守って領内の政務を執り行った。系図類には「暫称陶氏」と書かれ[2]、右田姓に復したとされているが、現存の古文書ではその事実を確認できず、陶姓を通したと考えられている。初め中務大輔を名乗っていたが、永正15年(1518年)には従五位下安房守に任じられた。なお、前年に家督を息子の隆康に譲っていたという。後に(鳳梧真幻)昌瑞と号し、死後の戒名となった。大永3年(1523年)10月24日、筑前国筥﨑において病のため没する[2]。
弘詮の娘は興房の妻となり、その間に生まれた男子が隆房である。弘詮の死から28年後に隆房は主君・大内義隆に対して謀反を起こし、義隆の側近であった弘詮の息子・隆康とその嫡男・隆弘はこれに抵抗するも討死することになる(大寧寺の変)。
『吾妻鏡』の収集・校訂[編集]

弘詮は文人としても知られ、宗祇や猪苗代兼載といった当時一流の文化人と親交があった。弘詮はそれら文化人から「吾妻鏡と号す」「関東記録」があり「文武諸道の亀鑑」と聞いていたがなかなか目にすることが出来なかったという。
しかし文亀元年(1501年)頃、その写本42帖を手に入れることが出来、数人の筆生を雇い書き写させて秘蔵した。それは治承4年(1180年)から文永3年(1266年)と、現在知られる範囲ではあったが、尚その間に20数年分の欠落があった。
このため弘詮は諸国を巡礼する僧徒、または往還の賓客に託して、京はもちろん畿内・東国・北陸に至まで尋ねまわり、ようやくにして欠落分の内5帖を手に入れる。これを最初の書写と同じ形式で書き写させて全47帖とし、その目次も兼ねて年譜1帖を書き下ろし全48帖とした。大永2年(1522年)9月5日のことである。その後書きにはこう記されている。
望む人ありといえども、かつて披見を許すべからず。暫時たりといえども室内を出すべからず。いわんや他借書写においておや。もし子孫において、この掟に背かば、不孝深重の輩となすべし。
上記の大寧寺の変の後、難を逃れた隆康の次男・元弘は安芸の毛利元就を頼った。この際に弘詮の『吾妻鏡』も毛利氏に献上され、元就の次男・吉川元春の子孫に伝わることとなった。そのため、弘詮の『吾妻鏡』は今日では“吉川本”と呼ばれている。記事に3年分の欠損はあるが、現在では吾妻鏡の最善本と目されている。
脚注[編集]
参考文献[編集]
近藤清石 『国立国会図書館デジタルコレクション 大内氏實録』付録、中元壮作、宮川臣吉、山口県山口町、1885年10月28日。NCID BA33800345。
- 福尾猛市郎、「陶弘詮」、国史大辞典編集委員会編 『国史大辞典』第8巻 吉川弘文館、1987年10月。ISBN 978-4-642-00508-1。 NCID BN00117433。全国書誌番号:88006183。
- 和田秀作「周防右田氏の相伝文書について (PDF) 」 、『山口県文書館研究紀要』第41号、山口県文書館、2014年3月、 ISSN 0286-9047、 NAID 40020084193、2017年6月15日閲覧。