吉植庄一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
検索に移動
吉植庄一郎

吉植 庄一郎(よしうえ しょういちろう、1865年10月27日慶応元年9月8日[1]) - 1943年昭和18年)3月10日)は、日本の衆議院議員立憲政友会政友本党→立憲政友会)、ジャーナリスト。子は歌人・衆議院議員の吉植庄亮

経歴[編集]

下総国印旛郡、のちの千葉県印旛郡埜原村[2]本埜村を経て現印西市)出身。北海道に渡り開墾に従事したが、北海道時事新聞社を興し、社長に就任した。やがて他の新聞との合併で北海タイムス新聞社が成立すると、理事を務めた。

1904年明治37年)、第9回衆議院議員総選挙に出馬し当選。以後、当選回数は9回[3][注 1]を数えた。1917年(大正6年)4月、第13回総選挙で当選したが、衆議院議員選挙訴訟の結果、安房郡での選挙が無効となり、同年12月8日、千葉県知事により鵜澤總明・木村政次郎・関和知津田毅一鵜沢宇八柏原文太郎・磯野敬・加瀬禧逸土屋清三郎と共に当選証書が取消され議員を退職し[4]、同月に実施された再選挙で当選した[3][5]

議員就任後、政友会系新聞の中央新聞や大阪新報の経営にあたり、原内閣文部参事官田中義一内閣商工政務次官を務めた。

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 第13回総選挙の当選無効後の再選挙当選を含めた回数。

出典[編集]

  1. ^ 衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、11頁。
  2. ^ 『光芒の人 千葉県人物事典2』248頁。
  3. ^ a b 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』704頁。
  4. ^ 『官報』第1619号、大正6年12月24日。
  5. ^ 『官報』第1622号、大正6年12月27日。

参考文献[編集]

  • 『衆議院要覧(乙)昭和三年』衆議院事務局、1928年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 石井暉二『光芒の人 千葉県人物事典2(政治編-国会議員)』ぎょうせい、1990年。