吉田篤史

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吉田 篤史
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都豊島区
生年月日 (1970-09-29) 1970年9月29日(47歳)
身長
体重
177 cm
86 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1991年 ドラフト1位
初出場 1992年5月1日
最終出場 2002年10月18日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

吉田 篤史(よしだ あつし、1970年9月29日 - )は、東京都豊島区出身の元プロ野球選手投手)、野球指導者。

来歴・人物[編集]

出生地は東京都豊島区。小学校時代に新潟県新潟市へ移住。日本文理高校卒業後、ヤマハに入社。2年目の1990年には都市対抗野球大会で優勝に貢献、胴上げ投手となり、橋戸賞、若獅子賞を獲得した。翌1991年もチームを都市対抗本大会に導く活躍が認められ、複数のプロ球団から注目を集めた。1991年度ドラフト会議にて千葉ロッテマリーンズから1位指名を受けて入団。吉田の1位指名は、新潟県出身[1]・在住且つ新潟県内の高校出身者としては史上初のことだった。[要出典]

ルーキーイヤーの1992年は、規定投球回未満(119回1/3)ながら21試合に登板して7勝9敗、防御率4.07の成績をマーク。しかし翌1993年からは右肩や肘の故障などに悩まされ、2年間で登板試合数は僅か9試合にとどまった。1995年は1A・バイセイリア・オークスに野球留学した。同年は主に中継ぎとして25試合に登板。1勝1S、防御率1.00の好成績を挙げて復活を遂げ、以後ロッテの中継ぎエースとして活躍する。

2000年以降は、ローテーションの谷間の先発や敗戦処理など、場面を問わず登板するケースがしばしばあった。2003年4月橋本武広との交換トレードで阪神タイガースへ移籍。しかし移籍直後、二軍調整中に右ふくらはぎ痛を発症し、戦線を離脱。結局2年間で一軍登録がないまま戦力外となり、2004年を最後に現役を引退。

折りしも、ロッテ時代から兄貴分として慕っていた牛島和彦が、翌2005年から横浜ベイスターズの監督に就任することになり、本人直々のオファーを受けて一軍投手コーチとして入閣。吉田はリリーバーの経験が長かったことから、ブルペン担当としてリリーフ陣の指揮を執った。牛島は2006年シーズン限りで監督を辞任したが吉田は横浜に残り、同年秋から同球団ファームの湘南シーレックス投手コーチに就任した。2008年6月26日、低迷する投手陣の立て直しのために、二軍投手コーチでありながら一軍に帯同することになった。2009年からは再び二軍投手コーチを務め、2011年は一軍投手コーチを務めたがチーム防御率リーグ最下位と低迷し、同年11月22日に来季の契約を結ばないことが発表された[2]2012年からはベースボール・チャレンジ・リーグ信濃グランセローズの投手コーチを務める[3]。同年限りで退団した[4]。信濃退団後はセンスアップ+スポーツアカデミーにて、牛島和彦らと共に野球指導に携わる。2014年10月14日にオリックス・バファローズの二軍投手コーチに就任することが発表された[5]2016年退団[6]

2017年は、ベースボール・ファースト・リーグに新発足した和歌山ファイティングバーズの投手コーチを務め[7]、11月30日付で契約満了により和歌山コーチを退任。球団発表に付されたコメントで「自分自身の将来も見据えた新しい道を歩む決断」をしたとコメントしている[8]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1992 ロッテ 21 19 4 2 0 7 9 0 -- .438 510 119.1 108 12 51 0 3 84 3 0 58 54 4.07 1.33
1993 7 5 0 0 0 0 5 0 -- .000 106 22.2 31 7 11 0 0 19 1 0 21 18 7.15 1.85
1994 2 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 26 6.0 7 0 2 0 0 5 0 0 4 4 6.00 1.50
1995 25 0 0 0 0 1 0 1 -- 1.000 149 36.0 25 2 17 2 1 32 0 0 5 4 1.00 1.17
1996 27 0 0 0 0 2 3 0 -- .400 203 45.2 44 6 31 0 0 29 1 0 28 28 5.52 1.64
1997 41 0 0 0 0 5 3 2 -- .625 250 63.1 45 1 24 4 0 34 4 0 14 11 1.56 1.09
1998 17 0 0 0 0 0 3 3 -- .000 87 17.2 26 4 9 3 0 13 0 1 15 15 7.64 1.98
1999 29 0 0 0 0 1 2 0 -- .333 143 34.1 33 2 11 0 0 21 1 1 10 9 2.36 1.28
2000 39 12 0 0 0 7 8 0 -- .467 382 91.0 97 10 26 0 2 46 3 0 43 41 4.05 1.35
2001 44 2 0 0 0 3 4 0 -- .429 243 58.1 48 5 26 1 0 31 1 0 21 20 3.09 1.27
2002 40 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 177 42.1 41 6 18 1 1 22 1 0 17 16 3.40 1.39
通算:11年 292 39 4 2 0 26 37 6 -- .413 2276 536.2 505 55 226 11 7 336 15 2 236 220 3.69 1.36

記録[編集]

背番号[編集]

  • 21 (1992年 - 1995年開幕直前)
  • 0 (1995年開幕直前[9] - 1996年)
  • 13 (1997年 - 2003年途中)
  • 34 (2003年途中 - 2004年)
  • 74 (2005年 - 2012年)
  • 73 (2015年 - 2017年)

脚注[編集]

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  1. ^ ただし、前述の通り、実際は東京都生まれである。
  2. ^ 横浜:尾花監督2年目で解任、「来季も戦いたかった」”. カナロコ (2011年11月22日). 2011年11月22日閲覧。
  3. ^ 新コーチ発表”. 信濃グランセローズ (2011年12月21日). 2011年12月21日閲覧。
  4. ^ 吉田コーチ退任のお知らせ”. 信濃グランセローズ (2012年11月20日). 2012年11月20日閲覧。
  5. ^ 二軍コーチングスタッフ決定のお知らせ”. 2014年10月14日閲覧。
  6. ^ オリックスが吉田篤史二軍投手コーチの退団を発表 フルカウント
  7. ^ 選手20人ら入団決まる 和歌山FB
  8. ^ トピックス - 和歌山ファイティングバーズ
  9. ^ 当初4番を与えられたフリオ・フランコが21番を希望したための変更。同時に丹波健二が12番から4番に変更となった。

関連項目[編集]