吉野地震

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吉野地震
本震
発生時刻 1952年(昭和27年)7月18日午前01時10分ごろ
震央 北緯34度27分2秒東経135度46分4秒
奈良県高市郡高取町
震源の深さ 61km
規模    マグニチュード(M)6.7
最大震度    震度4:(震度5※1 滋賀県堅田村多羅尾村和歌山県岩出町兵庫県富島町龍野町)
余震
回数 4回
被害
死傷者数 死者9、負傷者139
被害地域 奈良県、京都府、大阪府、滋賀県、兵庫県、和歌山県、三重県、岐阜県、愛知県、石川県
注記:※1 『驗震時報 第17卷 第4号』 中央気象台 昭和28年7月
出典:特に注記がない場合は気象庁による。
プロジェクト:地球科学
プロジェクト:災害
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吉野地震(よしのじしん)とは、1952年昭和27年)7月18日午前1時10分ごろに発生したスラブ内の地震である[1]近畿中国四国中部地方の全般から関東東北九州地方の一部にわたって相当の地震動を観測し近畿地方を中心に最大震度4を観測した。

震源と規模[編集]

震源北緯34度27分2秒、東経135度46分4秒で、深さは61キロメートル。地震の規模を示すマグニチュードは6.7であった[2]

当初、震源は和歌山県日高川上流、あるいは三重県櫛田川中流と推定されていたが、しばらくして奈良県中部と訂正され吉野地震と命名された。震源の測定が遅れたのは、有感半径が400キロメートル以上と広範囲にわたって観測され、また震源が地下約60キロメートルと深く、特定が困難であったためである[3]

被害[編集]

国家地方警察本部の調べによるこの地震の被害は、死者9名(奈良県3名、大阪府2名、京都府、兵庫県、滋賀県、三重県で各1名)、負傷者136名(うち大阪府75名)、住家の全壊20、半壊26、一部破損278、そのほか田畑、道路、鉄軌道、橋梁、電柱電線の損害など。被害地域は奈良県、京都府、大阪府、滋賀県、兵庫県、和歌山県、三重県、岐阜県、愛知県、石川県に及んだ[4]

奈良県の人的被害の詳細を見ると、深夜突然の揺れに驚き、慌てて行動している様子がみられる。吉野郡吉野町では大峰山登山のため東南院に宿泊していた男性(19歳)が、窓から20メートル下の畑に飛び降り全身を強打して即死、一緒に飛び降りた友人1名が軽傷。磯城郡大福村(現・桜井市)では避難しようとした少女(9歳)が石灯籠の下敷きになり死亡、一緒にいた母親は左足骨折の重傷。磯城郡多村(現田原本町)では自宅の座敷から庭に飛び出そうとした女性(22歳)がショックで気絶し、駆けつけた警官が救命にあたったが死亡している[3]

吉野山金峯山寺では観音堂から南の塔婆堂にかけて南北に約40メートルの亀裂が2条に生じた。亀裂の幅は2センチメートルから5センチメートルで,深さは最も深いところで10センチメートル程度の軽微なものであったが、塔婆堂の南東隅が断層状に上下差約30センチメートルほど地すべりを起しており、礎石が落下し被害らしい様相を見せていた[4]

石灯籠の倒壊が奈良県で728基と多いが、うち648基が春日大社のものである。これは春日大社の石灯籠約1,600基の3分の1以上にあたる。春日大社の石灯籠が何基倒れたという記録は古くから地震の揺れの激しさを推測する指針とされるが、この地震での石灯籠の倒壊は、1946年(昭和21年)の昭和南海地震など過去の地震で倒壊した際の仮復旧で不安定な状態であったこと、また石灯籠の間隔が狭く密集した箇所では将棋倒しのように倒れたためで、「直ちに地震の規模やその被害程度のバロメーターとするわけにはゆかない」(『奈良県気象災害史』)と指摘されている[3][4]

脚注[編集]

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  1. ^ 菊地正幸、中村操、吉川一光、低倍率地震計記録による1952年7月18日吉野地震の震源過程 (PDF) 地球惑星科学関連学会2002年合同大会予稿集 S:地震学セッション S051:震源過程・発震機構
  2. ^ 気象庁 震度データベース検索 (2018年07月16日閲覧)
  3. ^ a b c 奈良県 『歴史から学ぶ 奈良の災害史』第3章-1 (PDF, 4.57MB) pp. 82-87、2014年3月。 (2018年07月16日閲覧)
  4. ^ a b c 中央気象台 地震課調査係・橿原測候所 「昭和27年7月18日吉野地震概報」 (PDF, 4.91MB) 『驗震時報』 第17卷 第4号 pp. 83-96、1953年7月。 (2018年07月16日閲覧)

参考文献[編集]