名取堯

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名取 堯(なとり たかし、1890年 - 1975年)は、日本の思想史学者、芸術学者。

略歴[編集]

長野県諏訪郡落合村(現・富士見町)出身。長野県立諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、早稲田大学文学部卒業。日本美術学校(後の日本美術専門学校)講師。1929年帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)教授。1934年同校校長 北昤吉に学校二分案を提示し、翌1935年同盟休校事件が発生し、帝国美術学校より多摩帝国美術学校(現・多摩美術大学)が分離独立。1948年1月造型美術学園(現・武蔵野美術大学)経営顧問。1948年11月武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)校長。1949年同校顧問。1959年同校名誉校長。

著書[編集]

  • 『秩序の感 : 希臘的知性』 修文館 1942年
  • 『表現と理解の構造』修文館 1943年
  • 『現代芸術の理解 』造形芸術研究会 1956年
  • 『デッサン入門』造形芸術研究会 1958年
  • 『芸術の流派 : その成立と展開 』造形社 1960年
  • 『現代芸術の系譜』冬樹社 1965年
  • 『抽象と実存 : 現代芸術の理解』造形社 1966年
  • 『制作とモチーフ』東京美術 1968年
  • 『再現と表現』東京美術 1973年