名寄駐屯地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
名寄駐屯地
所在地 北海道名寄市内淵84番地
座標 北緯44度23分40.7秒
東経142度26分12.3秒
駐屯地司令 第3普通科連隊長 兼務
主要部隊 第3普通科連隊
第2偵察隊
第4高射特科群
ほか
開設年 1952年
テンプレートを表示

名寄駐屯地(なよろちゅうとんち、JGSDF Camp Nayoro)とは、北海道名寄市内淵84番地に所在し、第3普通科連隊等が駐屯している陸上自衛隊駐屯地である。

概要[編集]

第1線級の戦闘部隊が配置された駐屯地としては日本最北端に位置し、冷戦時代は文字通り最前線であった。

2004年(平成16年)より派遣された第1次イラク復興支援群は第3普通科連隊を基幹として連隊長・番匠幸一郎1佐(当時)が群長だった。最寄の演習場は、名寄演習場であり駐屯地に隣接している(後述)。駐屯地司令は、第3普通科連隊長が兼務。

沿革[編集]

保安隊

陸上自衛隊

  • 1954年(昭和29年)
    • 7月1日:第62連隊第2大隊が第2特科連隊第2大隊に改称。
    • 9月25日:第2特車大隊が編成完結。
  • 1955年(昭和30年)9月9日:第2特車大隊が上富良野駐屯地へ移駐。
  • 1956年(昭和31年)10月25日:稚内分屯地が開設[4]
  • 1957年(昭和32年)12月15日:第301地区施設隊が旭川駐屯地から移駐[4]
  • 1962年(昭和37年)1月18日:第2管区隊の第2師団への改編に伴い、第2偵察中隊が第2偵察隊に改称。
  • 1968年(昭和43年)12月10日:礼文分屯地が開設[4]
  • 1972年(昭和47年)3月24日:第1特科団第118特科大隊(M1 90mm高射砲を装備)を改編して第4高射特科群が編成完結。
  • 1988年(昭和63年)3月25日:第301地区施設隊を第341施設中隊(名寄駐屯地)に改編。
  • 2000年(平成12年)3月28日:北部方面隊の後方支援体制変換に伴い、第4高射特科群第105高射直接支援隊を廃止し、整備部門を北部方面後方支援隊第101高射直接支援大隊第2直接支援中隊に改編。
  • 2004年(平成16年)3月23日:第341施設中隊が廃止。

駐屯部隊[編集]

第2師団隷下部隊[編集]

北部方面隊隷下部隊[編集]

防衛大臣直轄部隊[編集]

過去の駐屯部隊[編集]

  • 第2特車大隊:1955年(昭和30年)9月9日 上富良野駐屯地へ移駐。
  • 第1特科団第118特科大隊:1972年(昭和47年)3月23日 廃止。第4高射特科群に改編。
  • 第301地区施設隊:1988年(昭和63年)3月24日 廃止。第341施設中隊に改編。
  • 第341施設中隊:2004年(平成16年)3月23日 廃止。

名寄演習場[編集]

名寄駐屯地に隣接しており、主に普通科職種の小規模演習や各種訓練に使用される。演習場入口付近には自動車教習所が設けられており、大型自動車免許などが取得可能であったが、整理縮小のため23年3月末をもって教習所は廃止された。廃止後は大型・大型特殊・牽引は旭川駐屯地に、自動2輪は真駒内・東千歳等の各自動車教習所に移管されている

最寄の幹線交通[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ 保安庁法施行令の一部を改正する政令(昭和27年12月1日政令第472号)”. 国立公文書館デジタルアーカイブ. 2017年2月13日閲覧。
  2. ^ 『波乱の半世紀 陸上自衛隊の50年』朝雲新聞社編集局、朝雲新聞社、2000年9月15日、250頁。ISBN 978-4750980157。
  3. ^ 『波乱の半世紀 陸上自衛隊の50年』朝雲新聞社編集局、朝雲新聞社、2000年9月15日、251頁。ISBN 978-4750980157。
  4. ^ a b c d 『北部方面隊50年のあゆみ : 歩みつづけるつわものたちのきらめく記憶』(山藤印刷株式会社/編集,陸上自衛隊北部方面総監部/監修 2003)