向田町 (薩摩川内市)

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向田町
—  大字  —
薩摩川内市立川内小学校
向田町の位置(鹿児島県内)
向田町
向田町
座標: 北緯31度48分34.1秒 東経130度18分43.9秒 / 北緯31.809472度 東経130.312194度 / 31.809472; 130.312194
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 鹿児島県
市町村 薩摩川内市
地域 川内地域
人口 (2011年4月1日現在)
 - 計 370人
等時帯 JST (UTC+9)
郵便番号 895-0025

向田町(むこうだちょう Mukōda-Chō)は、鹿児島県薩摩川内市大字[1]。旧薩摩郡隈之城村大字東手の一部、薩摩郡川内町大字向田の一部、川内市向田町郵便番号は895-0025。人口は370人、世帯数は178世帯(2011年4月1日現在)[2]

「向田」という地名は国府や国分寺のある対岸大小路から見てこの地を指して「川向いの田」であったことに由来している[3]

地理[編集]

薩摩川内市の西部、隈之城川及び平佐川に挟まれた位置にある。字域の北方は東向田町西向田町、南方は隈之城町、東方は鳥追町宮崎町、西方は冷水町が接している。

西部には国道3号が南北に通り、付近には薩摩川内市立川内小学校がある。川内小学校付近より国道3号の隈之城バイパスが旧国道3号と分岐している。また、東部には鹿児島県道36号川内郡山線が南北に通り、南端で鹿児島本線と交わっている。

歴史[編集]

前史[編集]

向田という地名は南北朝期より見え、薩摩国薩摩郡のうちであったが、近世になると隈之城郷東手村の小字となった。

東手の小字としての向田[編集]

明治10年代に東手村から向田町として分立。その後1889年(明治22年)に再び東手に編入され、隈之城村大字東手の小字となった。1929年(昭和4年)に隈之城村が平佐村及び東水引村が合併し川内町になったのに伴い、川内町東手の一部となった。

川内町の市制施行と東手からの分立以降[編集]

1940年(昭和15年)に川内町が市制施行し川内市になり、同時に東手の一部より分割され向田町として成立した。

1965年(昭和40年)に一部より向田本町東向田町西向田町神田町若松町東開聞町西開聞町が分割され成立した[3]

字域の変遷[編集]

以下の記述は『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 617頁の記述に基づく。

分割実施後 分割実施年 分割実施前
川内市向田町 1940年昭和15年) 川内町大字東手の一部
向田本町 1965年(昭和40年) 向田町の一部
東向田町
西向田町
神田町
若松町
東開聞町
西開聞町

施設[編集]

教育
  • 薩摩川内市立川内小学校
寺社
  • 南方神社
  • 本国寺
  • 福昌禅寺

小・中学校の学区[編集]

市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[4]

大字 番地 小学校 中学校
向田町 全域 薩摩川内市立川内小学校 薩摩川内市立川内中央中学校

交通[編集]

隈之城バイパスの始点から鹿児島方面を望む

道路[編集]

国道
県道

脚注[編集]

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  1. ^ 川薩地区合併協議会 町・字の取り扱いについて
  2. ^ 統計データ(町別住民基本台帳人口) - 薩摩川内市公式ウェブサイト 2011年4月25日閲覧。
  3. ^ a b 角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.617
  4. ^ 薩摩川内市 義務教育”. 薩摩川内市役所. 2010年9月3日閲覧。

関連項目[編集]

座標: 北緯31度48分34.1秒 東経130度18分43.9秒