呂号第三潜水艦

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艦歴
計画 大正6年度計画[1]
起工 1919年10月28日[1]
進水 1921年3月10日[1]
就役 1922年7月15日[1]
除籍 1932年4月1日[1]
その後 1933年12月15日雑役船編入、橋船に指定、公称第3020号と改名[2]
性能諸元
排水量 基準:689トン 常備:740トン
水中:1,047トン
全長 65.58m
全幅 6.07m
吃水 4.04m
機関 フィアット式ディーゼル2基2軸
水上:2,600馬力
水中:1,200馬力
速力 水上:14.27kt
水中:8.01kt
航続距離 水上:10ktで3,500海里
水中:4ktで75海里
燃料 重油
乗員 43名
兵装 機銃1挺
45cm魚雷発射管 艦首3門、艦尾2門
魚雷8本
備考 安全潜航深度:30.5m

呂号第三潜水艦(ろごうだいさんせんすいかん)は、日本海軍潜水艦呂三型潜水艦(F2型)の1番艦。竣工時の艦名は第三十一潜水艦

艦歴[編集]

1919年大正8年)10月28日、神戸川崎造船所で起工。1921年(大正10年)3月10日進水。1922年(大正11年)7月15日竣工。竣工時の艦名は第三十一潜水艦、二等潜水艦に類別[1]1924年(大正13年)11月1日、呂号第三潜水艦に改称[1]1932年(昭和7年)4月1日に除籍。1933年(昭和8年)12月15日に雑役船に編入、橋船となり公称第3020号と改名した[2]

呂一型潜水艦よりも速力が3ノット低下し、艦隊に随伴する能力がないと判断され、鎮守府の警備艦として使用された[3]

歴代艦長[編集]

※艦長等は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

艤装員長[編集]

  • (心得)塹江乙矢 大尉:1921年4月1日[4] - 1922年7月15日[5]

艦長[編集]

  • (心得)塹江乙矢 大尉:1922年7月15日[5] -
  • (心得)岩高賢治 大尉:1922年12月1日[6] - 1925年6月22日[7]
  • (兼)高橋真十郎 中佐:1925年6月22日[7] - 8月1日[8]
  • 小林三良 少佐:1925年8月1日[8] - 1925年12月1日[9]
  • 吉富説三 少佐:1925年12月1日 - 1926年11月5日

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 『日本海軍史』第7巻、366頁。
  2. ^ a b 『写真日本海軍全艦艇史』資料編「主要艦艇艦歴表」16頁。
  3. ^ 『日本海軍の潜水艦』23頁。
  4. ^ 『官報』第2598号、大正10年4月2日。
  5. ^ a b 『官報』第2988号、大正11年7月18日。
  6. ^ 『官報』第3102号、大正11年12月2日。
  7. ^ a b 『官報』第3850号、大正14年6月24日。
  8. ^ a b 『官報』第3883号、大正14年8月3日。
  9. ^ 『官報』第3982号、大正14年12月2日。

参考文献[編集]

  • 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 勝目純也『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』大日本絵画、2010年。
  • 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集20巻』潜水艦伊号・呂号・波号・特殊潜航艇他、光人社、1998年。