呂号第五十七潜水艦

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艦歴
計画 大正7年度計画[1]
起工 1920年11月20日[1]
進水 1921年12月3日[1]
就役 1922年7月30日[1]
除籍 1945年11月20日[1]
その後 1945年5月1日予備艦[1]
戦後、米軍により海没処分[2]
性能諸元
排水量 基準:889トン 常備:920.1トン
水中:1,102.7トン
全長 72.72m
全幅 7.16m
吃水 3.96m
機関 ヴィッカース式ディーゼル2基2軸
水上:2,400馬力
水中:1,600馬力
速力 水上:17.1kt
水中:9.1kt
航続距離 水上:10ktで5,500海里[3]
燃料 重油:98トン
乗員 46名
兵装 短8cm高角砲1門
53cm魚雷発射管 艦首4門
魚雷8本
備考 安全潜航深度:60m

呂号第五十七潜水艦(ろごうだいごじゅうしちせんすいかん)は、日本海軍潜水艦呂五十七型潜水艦(L3型)の1番艦。竣工時の艦名は第四十六潜水艦

艦歴[編集]

1920年大正9年)11月20日、三菱神戸造船所で起工。1921年(大正10年)12月3日進水。1922年(大正11年)7月30日竣工。竣工時の艦名は第四十六潜水艦[4]、二等潜水艦に類別[1]1924年(大正13年)11月1日、呂号第五十七潜水艦に改称。1938年(昭和13年)6月1日、艦型名を呂五十七型に改正[5]

太平洋戦争では艦齢延長工事を実施し、呉防備隊に配属[6]。日本近海の作戦に従事[1]。終戦時、小豆島甲標的の訓練支援。1945年(昭和20年)11月20日除籍。戦後、付近で米軍により海没処分[2][7]

歴代艦長[編集]

※艦長等は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

艤装員長[編集]

  • (心得)荻野仲一郎 大尉:1922年3月1日[8] - 1922年7月30日[9]

艦長[編集]

  • (心得)荻野仲一郎 大尉:1922年7月30日[9] - 1922年12月1日[10]
  • 荻野仲一郎 少佐:1922年12月1日[10] - 1923年12月1日[11]
  • 渡部徳四郎 少佐:1923年12月1日[11] - 1924年5月30日[12]
  • (心得)森野草六郎 大尉:1924年5月30日 - 1925年12月1日
  • 森徳治 少佐:1925年12月1日 - 1928年12月10日
  • (兼)阿部信夫 少佐:1928年12月10日[13] - 1929年11月1日[14]
  • 佐藤寅治郎 少佐:1929年11月1日 - 1931年9月10日
  • 宮崎武治 少佐:1931年9月10日 - 1933年1月21日
  • (兼)大山豊次郎 少佐:1933年1月21日[15] - 1933年3月25日[16]
  • 藤井明義 大尉:1933年3月25日 - 1935年2月28日
  • 勝見基 少佐:1935年2月28日[17] - 1935年10月31日[18]
  • (兼)七字恒雄 少佐:1935年10月31日[18] - 1935年11月15日[19]
  • 小泉騏一 少佐:1935年11月15日[19] - 1936年2月15日[20]
  • 稲田洋 大尉:1936年2月15日[20] - 1936年12月1日[21]
  • 田上明次 少佐:1938年11月1日[22] - 1939年3月20日[23]
  • 宇野乙二 少佐:1939年3月20日[23] - 1940年3月20日[24]
  • 黒川英幸 少佐:1940年3月20日[24] - 1940年7月26日[25]
  • 田中万喜夫 少佐:1940年7月26日[25] - 1940年10月15日[26]
  • 宇津木秀次郎 少佐:1940年10月15日[26] - 1941年1月31日[27]
  • 北村惣七 少佐:1941年1月31日[27] - 1941年10月31日[28]
  • 長井勝彦 少佐:1941年10月31日[28] - 1942年1月31日[29]
  • 栗山重志 少佐:1942年1月31日[29] -
  • (兼)楢原省吾 大佐:1943年5月18日 - 1943年9月1日

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 『日本海軍史』第7巻、370頁。
  2. ^ a b 『写真日本海軍全艦艇史』資料編「主要艦艇艦歴表」17頁。
  3. ^ 『写真 日本の軍艦 第12巻』による。水中航続力は不明。
  4. ^ 大正13年11月1日付 海軍大臣官房 官房第3305号。
  5. ^ 昭和13年6月1日付、内令第421号。
  6. ^ 『日本海軍の潜水艦』146頁。
  7. ^ 『日本海軍史』第7巻、370頁では、1945年に伊予灘で米軍により海没処分。
  8. ^ 『官報』第2872号、大正11年3月2日。
  9. ^ a b 『官報』第3000号、大正11年8月1日。
  10. ^ a b 『官報』第3102号、大正11年12月2日。
  11. ^ a b 『官報』第3385号、大正12年12月4日。
  12. ^ 『官報』第3530号、大正13年5月31日。
  13. ^ 『官報』第587号、昭和3年12月11日。
  14. ^ 『官報』第854号、昭和4年11月2日。
  15. ^ 『官報』第1817号、昭和8年1月23日。
  16. ^ 『官報』第1869号、昭和8年3月27日。
  17. ^ 『官報』第2446号、昭和10年3月1日。
  18. ^ a b 『官報』第2651号、昭和10年11月2日。
  19. ^ a b 『官報』第2663号、昭和10年11月16日。
  20. ^ a b 『官報』第2735号、昭和11年2月17日。
  21. ^ 『官報』第2976号、昭和11年12月2日。
  22. ^ 海軍辞令公報(部内限)号外 第256号 昭和13年11月1日』 アジア歴史資料センター Ref.C13072074500 
  23. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第316号 昭和14年3月21日』 アジア歴史資料センター Ref.C13072075500 
  24. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第453号 昭和15年3月20日』 アジア歴史資料センター Ref.C13072077800 
  25. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第508号 昭和15年7月26日』 アジア歴史資料センター Ref.C13072078400 
  26. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第543号 昭和15年10月15日』 アジア歴史資料センター Ref.C13072079000 
  27. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第587号 昭和16年1月31日』 アジア歴史資料センター Ref.C13072080300 
  28. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第737号 昭和16年10月31日』 アジア歴史資料センター Ref.C13072082900 
  29. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第804号 昭和17年1月31日』 アジア歴史資料センター Ref.C13072084100 

参考文献[編集]

  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』光人社、1990年。ISBN 4-7698-0462-8
  • 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 勝目純也『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』大日本絵画、2010年。
  • 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集20巻』潜水艦伊号・呂号・波号・特殊潜航艇他、光人社、1998年。