呂号第五十三潜水艦

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艦歴
計画 大正6年度計画[1]
起工 1919年4月1日[1]
進水 1920年7月6日[1]
就役 1921年3月10日[1]
除籍 1940年4月1日[1]
その後 1940年4月1日廃潜第11号と仮称[1]
性能諸元
排水量 基準:893トン 常備:886.2トン
水中:1,075.2トン
全長 70.59m
全幅 7.16m
吃水 3.90m
機関 ヴィッカース式ディーゼル2基2軸
水上:2,400馬力
水中:1,600馬力
速力 水上:17kt
水中:10.2kt
航続距離 水上:10ktで5,500海里
水中:4ktで80海里
燃料 重油
乗員 45名
兵装 五年式短8cm砲(短8cm高角砲)1門
45cm魚雷発射管 艦首4門、舷側2門
魚雷10本
備考 安全潜航深度:60m
信号符字 GQFO(竣工時)
JUAD(1933年~)[2]

呂号第五十三潜水艦(ろごうだいごじゅうさんせんすいかん)は、日本海軍潜水艦呂五十三型潜水艦(L2型)の1番艦。竣工時の艦名は第二十七潜水艦

艦歴[編集]

1919年大正8年)4月1日、三菱神戸造船所で起工。1920年(大正9年)7月6日進水。1921年(大正10年)3月10日竣工。竣工時の艦名は第二十七潜水艦[3]、二等潜水艦に類別[1]1924年(大正13年)11月1日、呂号第五十三潜水艦に改称。1925年(大正14年)4月21日、香川県高松港において碇泊中、鉄道省の汽船光喜丸が曳航していた貨物渡船に衝突された[4]

1935年昭和10年)3月27日から5月10日まで広島県呉市で開催された国防と産業大博覧会では、防護巡洋艦矢矧と共に観覧に供された[5][6]1938年(昭和13年)6月1日、艦型名を呂五十三型に改正[7]1940年(昭和15年)4月1日に除籍され、廃潜第十一号と仮称[8]

呂五十一型潜水艦に比べて、主機、電池などの国産化を進めた[9]

歴代艦長[編集]

※艦長等は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

艤装員長[編集]

  • (兼・心得)高須三二郎 大尉:1920年11月20日[10] - 12月1日[11]
  • (心得)高須三二郎 大尉:1920年12月1日[11] - 1921年3月1日
  • 上林潔 少佐:1921年3月1日[12] -

艦長[編集]

  • 上林潔 少佐:1921年3月10日[13] - 1921年7月1日[14]
  • (心得)醍醐忠重 大尉:1921年7月1日 - 1922年4月15日
  • (心得)樋口修一郎 大尉:1922年4月15日 - 12月1日
  • 樋口修一郎 少佐:1922年12月1日 - 1923年2月5日
  • (兼・心得)平岡粂一 大尉:1923年2月5日 - 4月1日
  • 樋口修一郎 少佐:1923年4月1日 - 9月20日
  • 福田良三 少佐:1923年12月1日[15] -
  • (心得)古宇田武郎 大尉:1923年5月15日 - 1925年1月6日[16]
  • 阿部信夫 大尉:1925年1月6日[16] - 1926年3月1日[17]
  • 島本久五郎 大尉:1926年3月1日 - 12月1日
  • 中邑元司 少佐:1926年12月1日 - 1927年11月15日
  • (兼)土井申二 大尉:1927年11月15日[18] - 1928年9月20日[19]
  • 貴島盛次 大尉:1928年9月20日[20] - 1929年11月1日[21]
  • 今里博 大尉:1929年11月1日 - 1930年4月1日
  • 松尾義保 大尉:1930年4月1日[22] - 1931年4月1日[23]
  • 岡本義助 大尉:1931年4月1日 - 12月1日
  • 遠藤敬勇 少佐:1931年12月1日[24] - 1933年3月15日[25]
  • (兼)阿部信夫 少佐:1933年3月15日[25] - 1933年4月1日[26]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 『日本海軍史』第7巻、370頁。
  2. ^ 昭和8年 達 完:10月』 アジア歴史資料センター Ref.C12070097400 「達第百二十七號 左記艦艇ノ信號符字ヲ各頭書ノ通改正ス 本達ハ昭和八年十二月二十八日ヨリ之ヲ實施ス 昭和八年十月十八日 海軍大臣 大角岑生 新符字 舊符字 艦艇名 …JUAD GQFO 呂號第五十三潛水艦…」
  3. ^ 大正13年11月1日付 海軍大臣官房 官房第3305号。
  4. ^ 大正14年 公文備考 巻34 艦船:呂号第53潜水艦汽船光喜丸と触衝』 アジア歴史資料センター Ref.C08051398900 
  5. ^ 呉市編『呉市主催国防と産業大博覧会誌』。国立国会図書館デジタルコレクション コマ234
  6. ^ 公文備考 昭和10年 E 教育、演習、検閲 巻2:第108号の76 9.12.26 博覧会場に於て観覧せしむへき潜水艦に関する件』 アジア歴史資料センター Ref.C05034199900 「吳鎭第一〇八號ノ七六 昭和九年十二月二十六日 呉鎭守府司令長官 海軍大臣殿 博覽會場ニ於テ觀覽セシムヘキ潛水艦ニ關スル件報告 吳市主催國防と產業博覽會開會中左記ノ通潛水艦ヲ同會場附近海岸ニ繋留シ一般ノ觀覽ヲ許可致ベク候 記 一、期間 自昭和十年三月二十七日 至同年五月十日 四十五日間 二、潛水艦名 吳防備隊付屬 呂號第五十三潛水艦 (終)」
  7. ^ 昭和13年6月1日付、内令第421号。
  8. ^ 昭和15年1月~5月:4月(1)』 アジア歴史資料センター Ref.C12070387400 「官房第一六五五號 當分ノ間除籍艦船ヲ左ノ通假稱シ部內限之ヲ使用ス 昭和十五年四月一日 海軍大臣 假稱名 舊稱名 …廢潛第十一號 舊呂號第五十三潛水艦…」
  9. ^ 『日本海軍の潜水艦』28頁。
  10. ^ 『官報』第2493号、大正9年11月22日。
  11. ^ a b 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
  12. ^ 『官報』第2572号、大正10年3月2日。
  13. ^ 『官報』第2583号、大正10年3月15日。
  14. ^ 『官報』第2676号、大正10年7月2日。
  15. ^ 『官報』第3385号、大正12年12月4日。
  16. ^ a b 『官報』第3710号、大正14年1月7日。
  17. ^ 『官報』第4053号、大正15年3月2日。
  18. ^ 『官報』第266号、昭和2年11月16日。
  19. ^ 『官報』第523号、昭和3年9月21日。
  20. ^ 『官報』第523号(昭和3年9月21日)では「兼」と記載されたが、『官報』第524号(昭和3年9月22日)で誤植として訂正された。
  21. ^ 『官報』第854号、昭和4年11月2日。
  22. ^ 『官報』第975号、昭和5年4月2日。
  23. ^ 『官報』第1275号、昭和6年4月2日。
  24. ^ 『官報』第1478号、昭和6年12月2日。
  25. ^ a b 『官報』第1861号、昭和8年3月15日。
  26. ^ 『官報』第1875号、昭和8年4月4日。

参考文献[編集]

  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』光人社、1990年。ISBN 4-7698-0462-8
  • 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集20巻』潜水艦伊号・呂号・波号・特殊潜航艇他、光人社、1998年。
  • 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 勝目純也『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』大日本絵画、2010年。
  • アジア歴史資料センター(公式)防衛省防衛研究所
    • 『大正14年 公文備考 巻34 艦船:呂号第53潜水艦汽船光喜丸と触衝』。Ref.C08051398900。
    • 『昭和8年 達 完:10月』。Ref.C12070097400。
    • 『公文備考 昭和10年 E 教育、演習、検閲 巻2:第108号の76 9.12.26 博覧会場に於て観覧せしむへき潜水艦に関する件』。Ref.C05034199900。
    • 『昭和15年1月~5月:4月(1)』。Ref.C12070387400。
  • 官報