呉融

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呉 融(ご ゆう、生没年不詳)は、中国代末期の詩人は子華。本貫越州山陰県

経歴[編集]

呉翥(文簡先生)の子として生まれた。独学して語彙が豊富であった。龍紀元年(889年)、進士に及第した。韋昭度が西川を討伐したとき、呉融は従軍して掌書記をつとめた。侍御史に累進したが、事件に連座して辞職し、荊南に流浪して、成汭を頼った。長らく経って左補闕として召され、礼部郎中から翰林学士となり、中書舎人に任じられた。天覆元年(901年)、昭宗が復位すると、呉融は群臣に先だって祝賀を述べた。戸部侍郎に進んだ。昭宗が鳳翔に移されると、呉融は昭宗のもとを去って、閿郷に逗留した。まもなく召還されて、翰林承旨に転じ、在官のまま死去した。

伝記資料[編集]