唐括定哥

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唐括 定哥(とうかつ ていか、? - 1154年1月14日)は、の廃帝海陵王の妃嬪。

経歴[編集]

唐括定哥は初め、皇族の烏帯の正妻であった。定哥は好色淫奔で多くの男と密通し、迪古乃(のちの海陵王)とも通じていた。一方、烏帯は熙宗を弑逆して海陵王を擁立する企てに加担した。

天徳4年(1152年)7月、海陵王は「お前が夫を殺すなら、私はお前を皇后に立てよう」と烏帯の殺害をもちかけた。定哥は驚き、ひとたびは拒んだが、海陵王は「お前がやらなければ、お前の子供たちもろとも処刑する」と脅した。定哥はやむなく、烏帯を謀殺した。

烏帯の葬儀の後、定哥は後宮に入って娘子に封ぜられ、海陵王の寵愛を受けた。翌貞元元年(1153年)4月、貴妃に封ぜられた。しかし海陵王はその後、漁色にふけって定哥をかえりみなかった。定哥は屋敷の屋根の上に立って、立ち寄った海陵王を罵ったが、海陵王は見向きもせずにさっさと立ち去った、という出来事もあった。その後、定哥は昔の家僕と通じた。侍女の貴哥(のちの莘国夫人)は海陵王に密報した。同年12月22日(西暦で1154年)、定哥は賜死となった。

定哥の妹の唐括石哥も海陵王に奪取され、麗妃となった。

子女[編集]

  • 兀答補
  • 女子

いずれも烏帯の子女

伝記資料[編集]