国鉄レ12000形貨車

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国鉄レ12000形貨車(こくてつレ12000がたかしゃ)は、1954年(昭和29年)から新製・改造で登場した日本国有鉄道(国鉄)の冷蔵車である。本項目では、レ12000形の前駆であるレ10000形についても説明する。

レ10000形[編集]

国鉄レ10000形貨車
基本情報
車種 冷蔵車
運用者 日本国有鉄道
所有者 日本国有鉄道
製造所 日本鋼管、日本海船渠工業、若松車輛、愛知富士産業飯野重工業国鉄鷹取工場浜松工場日本車輌製造本店・支店、川崎車輛日立製作所富士重工業新潟鐵工所近畿車輛
製造年 1950年(昭和25年) - 1953年(昭和28年)
製造数 543両
消滅 1959年(昭和34年)
主要諸元
車体色
軌間 1,067 mm
全長 8,200 mm
全幅 2,710 mm
全高 3,770 mm
荷重 12 t
実容積 25.6 m3
自重 14.9 t
換算両数 積車 2.2
換算両数 空車 1.4
走り装置 一段リンク式
車輪径 860 mm
軸距 4,200 mm
最高速度 65 km/h
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第二次世界大戦後、1946年(昭和21年)から1949年(昭和24年)まで合計1,083両の冷蔵車が製造されたが、進駐軍による専用車としての接収と旧型の冷蔵車の廃車進行、生鮮食料品の輸送需要増大などがあり、なお冷蔵車は不足していた。このため全く新しい冷蔵車の構想が進められ、1950年(昭和25年)にレ10000形が登場することになった。

レ10000形は、全長8,200mm、全幅2,710mm、全高3,770mm、荷重12tで、天井氷槽式を採用している。

天井氷槽式を識別する記番号として記号は、「レオテ」と標記された。「オテ」とは、「大型」の「天井氷槽式」の意味である。この標記は、1953年(昭和28年)5月28日通報により大きさを表す「」が廃止され「レ」と改正された。

断熱材は様々なものが用いられたが、戦後間もなくの時期の粗悪な代用断熱材とは異なり、それなりに考慮の払われた新型の断熱材であった。岩綿、アルセルボード[2]コルクなどが使われている。内部はステンレス製になり、また外板は国鉄新製冷蔵車として初めて製となった(改造鋼製車はレサ1形の例がある)。走行装置は一段リンク式で、最高速度は65km/hである。

1953年(昭和28年)までに、日本鋼管、日本海船渠工業、若松車輛、愛知富士産業飯野重工業国鉄鷹取工場浜松工場日本車輌製造本店・支店、川崎車輛日立製作所富士重工業新潟鐵工所近畿車輛で合計543両(レ10000 - レ10542)が製作された。戦時設計車のトキ900形の台枠やブレーキ装置を再利用して改造(実質的には新製)された車両も73両(レ10100 - レ10172)存在している。

レ12000形[編集]

国鉄レ12000形貨車
基本情報
車種 冷蔵車
運用者 日本国有鉄道
所有者 日本国有鉄道
製造所 日本車輌製造本支店、川崎車輛、日立製作所、近畿車輛、新潟鐵工所、新三菱重工業、飯野重工業
製造年 1954年(昭和29年) - 1960年(昭和35年)
製造数 1,300両
種車 レ10000形
改造年 1958年(昭和33年) - 1959年(昭和34年)
改造数 541両
消滅 1986年(昭和61年)
主要諸元
車体色
軌間 1,067 mm
全長 8,200 mm
全幅 2,710 mm
全高 3,770 mm
荷重 12 t
実容積 25.6 m3
自重 14.9 t
換算両数 積車 2.2
換算両数 空車 1.4
走り装置 二段リンク式
車輪径 860 mm
軸距 4,200 mm
最高速度 75 km/h
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1954年(昭和29年)からは、走行装置を二段リンク式に変更し、最高速度を75km/hに向上したレ12000形が登場した。車体は、レ10000形と全く同一である。

本形式は、1954年(昭和29年) - 1956年(昭和31年)に750両(レ12000 - レ12749)、1959年(昭和34年) - 1960年(昭和35年)に550両(レ13291 - レ13840)の1,300両が新製された。製造所は、日本車輌製造本支店、川崎車輛、日立製作所、近畿車輛、新潟鐵工所、新三菱重工業、飯野重工業である。

また、レ10000形として製造された車両も、1958年(昭和33年)、1959年(昭和34年)の両年に改造を受けて2段リンク化され、本形式に編入されている。レ10000 - レ10542を番号順にレ12750 - レ13290としているが、543両のレ10000形のうち、レ10340、レ10485の2両については、1954年9月26日の洞爺丸事故で海没しており改造されていない。この2両については車番は詰めて本形式への改番が行われている。本形式は、新製車、改造車合わせて1,841両を数え、これは国鉄冷蔵車の単一形式として最も多い車両数である。

整備改造工事[編集]

1961年(昭和36年)から本形式の整備改造工事が始まった。旧式の断熱材を使用していた車両を中心に、1962年(昭和37年)まではアルセルボード、1963年(昭和38年)以降はガラス綿といった新型断熱材への交換が進められた。

1966年(昭和41年)に鷹取工場で施工されたものの一部は、屋根上の氷投入口蓋や扉内部などに試験的にFRPが使用された。その後、1968年(昭和43年)から量産改造が実施されたが、そのうちの1両は屋根全体をFRPに交換した。これは自重の削減と保守の簡易化を狙ったものだが、コストの面から量産改造は見送られた。

本工事は、1970年(昭和45年)まで継続的に実施されたが、冷蔵車の需要減少もあり、約250両は整備改造を受けずに打ち切りとなった。

冷凍機取付試験[編集]

1963年(昭和38年)に、レ12959が大宮工場で改造されて、液体窒素冷却方式の実験車となっている。液体窒素のボンベを車端に設置し、配管を通じて気化した窒素を放出して冷却する仕組みである。実験では-20度を20時間維持する高い性能を見せたが、当時は冷凍魚は安価なドライアイスによる輸送が主流であり、結局試験だけに終わった。ただし、液体窒素冷却方式はその後UR5形冷蔵コンテナで実用化されている。

本形式は、国鉄の鮮魚輸送最盛時代に在籍していたため、高い保冷性能とあいまってよく利用された。1973年(昭和48年)から廃車が始まり、1979年(昭和54年)までにほぼ消滅した。書類上、最後の5両が廃車されたのは、1986年(昭和61年)である。

参考文献[編集]

  • RM LIBRARY 28 「国鉄冷蔵車の歴史(下)」 渡辺 一策 ISBN 4-87366-257-5
  • 『日本の貨車-技術発達史-』(貨車技術発達史編纂委員会編著、社団法人 日本鉄道車輌工業会刊、2008年)

脚注[編集]

  1. ^ 大沢秀寿「アルミニウムハクの利用に就て」、『軽金属』第1954巻第13号、(一般)社団法人 軽金属学会、1954年、 92-93頁、 doi:10.2464/jilm.1954.13_902018年9月5日閲覧。
  2. ^ 波付アルミ箔を竹やリボンで箔同士が接触しないように積層した断熱ボード[1]

関連項目[編集]