土居宗珊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

土居 宗珊(どい そうざん、生年不詳 - 永禄12年(1569年)、又は元亀3年(1572年))は、土佐一条氏筆頭家老。通称は近江守家忠。 旧姓は一条家忠。土佐今城氏の祖。

略歴[編集]

子息は土居安房守家通。後の今城伊豆守通興で、中村城、為松城(現・四万十市郷土資料館)の隣、今城、旧西土佐村の北ノ川城城主。

土佐一条氏の筆頭家老で内政、外交を取り仕切る智勇兼備の名将であった。一条氏に守護神・土居宗珊ありといわれ、宗珊がいれば、一条氏には手を出せないと他国にも聞こえる程であった。

伊予国の名将で西園寺十五将の伊予大森城主・土居清良とは義兄弟。清良の姉を見初めて伊予土居氏へ養子に入ったとされている。宗珊は土佐一条氏初代当主関白一条教房の子息で、 2代目当主一条房家の実弟。それ故に、筆頭家老の地位を得たと伝わる。

長宗我部元親の侵攻に遭って弱体化してゆく主家を必死に支えたが、主君・5代目当主一条兼定の手によって処刑された。『土佐物語』には兼定の素行について諫言したところを逆に上意討ちにされたと伝わり、一方『四国軍記』には宗珊が度々、元親からの調略を受けており、またその事を元親側があえて流布したため、疑心暗鬼となった兼定により誅殺されたと伝わる。一説には兼定の名を騙る長宗我部氏側の何者かにより暗殺されたと伝わる。この大事件の背景には、平田村(現・高知県宿毛市平田町)の絶世の美女と伝わるお雪(高知県宿毛市平田町に供養塔)と兼定との不思議な恋話や、以前より、長宗我部氏に内応していた一条氏の一部の家臣たちの数々の陰謀が絡んでいるともされているが、詳細は不明である。