土屋雅敬

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土屋 雅敬
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 広島県広島市
生年月日 1924年10月8日(92歳)
身長
体重
168 cm
64 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手 外野手
プロ入り 1950年
初出場 1950年3月11日[1]
最終出場 1956年10月7日[2]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

土屋 雅敬(つちや まさたか、 1924年10月8日 - )は、広島県広島市出身のプロ野球選手内野手外野手)。登録名、1950年~1952年・五郎、1953年1955年・伍郎、1956年1957年・雅敬。

来歴・人物[編集]

1942年広島商業エースで4番として「幻の甲子園大会」出場。この大会は戦局の悪化で主催の朝日新聞が降り、文部省と大日本学徒体育振興会の主催で、従来の夏の大会と同じ形で甲子園で行われた。ただし朝日新聞の主催でない為、公式記録に入れてもらっていない。広商は準決勝まで勝ち進んだが、平安中学に逆転負けした。優勝は徳島商業。この年の広商は、土屋も含めて投手力が弱く準々決勝、対仙台一中戦で四死球を27個を出した。然し相手の仙台一中も18個で、合計45個とは、そつの無い野球でその名を轟かす広商からすれば、あまり表に出て欲しくない過去かも知れない。この試合の球審を務めた天知俊一が高めを一切、取らなかったのも原因の一つと言われる。そういう事もあってこの試合のスコアは、28対10である。7回裏に1イニングで17点取っている。甲子園での最多得点記録というと、1985年PL学園×東海大山形の合計36点が有名で最多記録だが、この大会が公式に認められるような事が有れば、この広商×仙台一中がこれをも凌ぐ。その他の出場チームの選手には、南海の名選手・名参謀だった蔭山和夫、蔭山の市岡中学ノーヒットノーランで破った富樫淳(平安中学、のち阪神、平安高校監督)、早稲田大学の名監督・石井藤吉郎(水戸商業)、毎日オリオンズの“火の玉”投手荒巻淳(大分商業)らのちの名選手・名指導者が出場している。

土屋は法政大学に進学し野手に転向。1947年秋、東京六大学リーグ首位打者を獲得。コロムビアを経て、1950年の国鉄スワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)の結成に参加、俊足・巧打の1番打者として活躍した。翌年1951年、52盗塁で盗塁王を獲得。1953年、4月9日の対・名古屋ドラゴンズ戦では1試合5盗塁をマークした。デビュー当時の金田正一の親友だった。1955年広島東洋カープに移籍。1957年引退。その後は中国放送解説者を勤めた。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1950 国鉄 110 348 307 47 88 13 2 3 114 26 16 9 3 -- 37 -- 1 20 7 .287 .365 .371 .737
1951 75 304 265 52 80 9 0 2 95 26 52 8 8 -- 30 -- 1 15 2 .302 .375 .358 .733
1952 119 395 345 40 76 8 5 0 94 27 29 12 8 -- 42 -- 0 26 5 .220 .305 .272 .577
1953 99 287 261 37 71 7 0 0 78 14 27 14 4 -- 21 -- 1 19 2 .272 .329 .299 .627
1954 53 85 76 3 8 2 0 0 10 4 4 3 1 1 7 -- 0 14 3 .105 .181 .132 .312
1955 広島 70 158 133 13 31 4 0 2 41 9 11 2 2 0 21 0 2 10 1 .233 .346 .308 .654
1956 76 91 79 11 18 2 0 0 20 2 1 1 0 0 10 0 2 8 2 .228 .330 .253 .583
通算:7年 602 1668 1466 203 372 45 7 7 452 108 140 49 26 1 168 0 7 112 22 .254 .333 .308 .642
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル[編集]

背番号[編集]

  • 9 (1950年)
  • 24 (1951年 - 1953年)
  • 2 (1954年)
  • 11 (1955年 - 1957年)

登録名[編集]

  • 土屋 五郎 (つちや ごろう、1950年 - 1952年)
  • 土屋 伍郎 (つちや ごろう、1953年 - 1955年)
  • 土屋 雅敬 (つちや まさたか、1956年 - 1957年)

参考文献[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]