土岐頼布

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土岐頼布
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 安永4年12月4日1775年12月26日
死没 天保8年3月8日1837年4月12日
墓所 東京都品川区北品川東海寺春雨庵
官位 従五位下山城守美濃守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
上野沼田藩
氏族 土岐氏
父母 父:土岐定経、養父:土岐定富
兄弟 頼相、頼寛定吉、定富、定考、頼布井上正定継室、磯
正室:松平忠祇
西尾忠受正室
養子:頼潤

土岐 頼布(とき よりのぶ)は、江戸時代中期から後期にかけての大名上野国沼田藩7代藩主。沼田藩土岐家10代。官位従五位下山城守美濃守

生涯[編集]

3代藩主・土岐定経の七男として誕生。

父の死後、天明2年(1782年)から寛政2年(1790年)までの間に頼寛定吉定富と3人の兄が次々に家督を継いだがいずれも早世し、頼布がその跡を継いだ。

文化10年(1813年)3月19日、養嗣子の頼潤に家督を譲って隠居し、天保8年(1837年)3月8日に63歳で死去した。