土肥孝治

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瑞宝大綬章
土肥孝治
検事総長
任期
1996年平成8年)1月16日 – 1998年6月23日
任命者 第1次橋本内閣
前任者 吉永祐介
後任者 北島敬介
個人情報
生誕 (1933-07-12) 1933年7月12日(87歳)
大阪府大阪市船場
出身校 京都大学法学部
専業 弁護士


土肥 孝治(どひ たかはる、1933年昭和8年〉7月12日 - )は、日本弁護士、元検事総長。俗にいう「赤レンガ組」に対して、吉永祐介同様に「(捜査)現場派」であった。

略歴[編集]

7代続く船場老舗漆器店に生まれる。大阪第一師範男子部附属国民学校(現・大阪教育大学附属天王寺小学校)に入学。5年生の1944年昭和19年)7月に大阪府から学童縁故疎開要項が発表されたため、母と9月に石川県金沢市へ縁故疎開した。

太平洋戦争終戦後、石川県立金沢第一中学校旧制)2年生の時に大阪へ戻り、府立天王寺中学校に転入。在学中に学制改革男女共学化という転換期を経験し、新制高等学校となった大阪府立天王寺高等学校を卒業。京都大学に進み法学部卒業[1]、検事となる。

年譜[編集]

人物[編集]

母は船場の典型的な御寮さんだが、「僕を商売人にしたくなかったみたいで、とにかく勉強をして大学に(入ってほしい)-と厳しかった」ので、「小学校も天王寺師範の付属、今でいうエリート校やね」。父は婿養子番頭として店を切り盛りしていたが「温厚な人で、あまり勉強のことは言わなかった」。

疎開先の金沢一中から大阪に戻った頃から「早熟でマセていて」、戦後の急激に変化する世の中の「何となくリベラルな空気を感じてそれを謳歌していた気がするね」。

新聞記者小説家に憧れ、開高健も輩出の天王寺高校の部活動では新聞部に所属し新聞を作ったり、小田実も所属の文芸部に入り小説や詩を書いており、太宰治織田作之助坂口安吾からロシア文学まで愛読し「ほんま文学青年を気取ってたんやから笑うよな」。

卒業後の「将来なんかこれぽっちも考えたりしなかった。ただ、やっぱり授業は理系より文系が好きで日本史国語はよく勉強した」ので京都大学に進んだが、法学部を選んだ理由は「理系がさっぱりできなくて、これじゃ困ると親が家庭教師をつけ」たほどで、加えて「当時は法学部より経済学部の方が人気があって難しかった。易しい法学部を受けたら合格した。たまたまですよ」[6]

関西検察のドン」とされ、関西電力監査役を務めていていたが、同社の幹部が森山栄治高浜町助役から多額の金品を受け取っていた問題で、監査役が取締役会に報告していなかったことが2019年令和元年)9月に発覚し、日本監査役協会会長の岡田譲治は「おかしいと思う」と対応に疑問を呈した[7][8]。また、関西電力の調査でも善管注意義務違反を指摘されたが、損害賠償請求は見送られた[9]

著書[編集]

  • 『千虚、一実に如かず』(新風書房、2001年
  • 『続 千虚、一実に如かず』(新風書房、2002年)

脚注[編集]

[脚注の使い方]
先代:
土橋芳邦
学校法人大阪産業大学理事長
2014年 - 2016年
次代:
吉岡征四郎