在大阪・神戸ドイツ総領事館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
在大阪・神戸ドイツ総領事館
Deutsches Generalkonsulat in Osaka-Kobe
2018 Umeda Sky Building.jpg
在大阪・神戸ドイツ総領事館が入居する梅田スカイビル(2018年)
所在地 日本の旗 日本
住所 大阪府大阪市北区大淀中1-1-88 梅田スカイビル東棟35階3501
座標 北緯34度42分19秒 東経135度29分24.5秒 / 北緯34.70528度 東経135.490139度 / 34.70528; 135.490139座標: 北緯34度42分19秒 東経135度29分24.5秒 / 北緯34.70528度 東経135.490139度 / 34.70528; 135.490139
総領事 ヴェルナー・ケーラー
ウェブサイト japan.diplo.de/ja-ja/vertretungen/gk
在大阪・神戸ドイツ総領事館を示す案内表示(梅田スカイビル内)
在大阪・神戸ドイツ総領事館の管轄区域(緑)/駐日ドイツ大使館の管轄区域(赤)

在大阪・神戸ドイツ総領事館ドイツ語: Deutsches Generalkonsulat in Osaka-Kobe英語: Consulate-General of Germany in Osaka-Kobe)は、ドイツ日本大阪府大阪市に設置している総領事館である。

歴史[編集]

1874年神戸在兵庫・大阪ドイツ帝国領事館ドイツ語: Kaiserlich Deutsches Konsulat in Hyogo und Osaka[1])が設置される。1902年、当時神戸の重要性が急速に増していたことを鑑みて在神戸ドイツ帝国領事館に改称される。1914年8月23日、大日本帝国ドイツ帝国に対して宣戦布告して日独両国は戦争状態に突入、それに伴い神戸のドイツ領事館も閉鎖される。以後、ドイツ帝国が第一次世界大戦に敗戦して帝政が崩壊するまで、領事館が再開されることはなかった[2]

第一次世界大戦終結後の1922年在神戸ドイツ総領事館として再開。1930年には、在大阪ドイツ領事館が開設される。1934年、神戸の総領事館と大阪の領事館が合併する。1945年6月、神戸が大規模な空襲を受けて、ドイツ総領事館が完全に破壊された。同年8月[3]両国を筆頭とする連合軍の攻勢を支え切れなくなった大日本帝国が連合国に降伏。日独間の外交関係が途絶え、終戦後2年以内に在神戸ドイツ人の大半が本国へ送還された[2]

1949年5月23日、ドイツ連邦共和国西ドイツ)が成立する[4]1952年4月28日、サンフランシスコ平和条約の発効により日本国の主権が回復[5]1953年5月18日、在大阪・神戸ドイツ総領事館在大阪・神戸西ドイツ総領事館)が開設される。総領事館の業務の一環として、1955年京都ドイツ文化センター(現・ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川)が、1964年に大阪ドイツ文化センター(現・ゲーテ・インスティトゥート大阪)が設立された[2]

1995年1月17日、阪神・淡路大震災により神戸の総領事館が破壊される。同年7月、ドイツ連邦政府が総領事館を神戸から大阪へ移転することを決定。1997年10月23日、梅田スカイビル35階の事務所が正式に開館した[2]

所在地[編集]

〒531-6035 大阪府大阪市北区大淀中1-1-88 梅田スカイビル東棟35階3501[6]

総領事[編集]

氏名(日本語) 氏名(ドイツ語) 着任 退任 備考
ヨハネス・プライジンガードイツ語版 Johannes Preisinger 2004年 [7]
カール=アルプレヒト・リヒャルト・ヴォカレックドイツ語版(カール・ヴォカレック) Karl-Albrecht Richard Wokalek 2004年 2005年 [8]
ゲロルド・アメルングドイツ語版 Gerold Amelung 2006年2月 2009年7月 第4代成都総領事中国語版
アレクサンダー・オルブリッヒ Alexander Olbrich 2009年7月 2013年 [9]
インゴ=ハインツ・カールステンドイツ語版(インゴ・カールステン) Ingo-Heinz Karsten 2013年7月 2016年8月 [10]
ヴェルナー・ケーラー Werner Köhler 2016年9月 (現職) [11][12]

出典[編集]

関連項目[編集]