坂井成政

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坂井 成政(さかい なりまさ、生年不詳 - 寛永2年4月3日1625年5月9日))は、江戸時代初期の旗本。通称は半左衛門。本姓は赤川氏坂井成利の子。兄に成高(善右衛門)。正室は新庄直忠の娘。子に成令。

父の成利は初め織田信長に仕え、坂井政尚と義兄弟の契りを結び、信長の命により坂井姓に改めた。その後織田信雄豊臣秀吉に仕え伊勢に2000石の領地を賜る。慶長5年(1600年)、領地において一揆が発生し、殲滅を焦って矢を受けて戦死した。

同年、成政は会津征伐下野小山の陣で山岡景友岡田善同などの口添えにより徳川家康に拝謁した。関ヶ原の戦いでは景友の陣に属して戦功あり、近江蒲生郡にて新たに500石を賜る。なお、父成利の遺領は相続していない。大坂の陣両陣では松平正綱に属して戦う。家康が没したのち、徳川秀忠に仕えて大番となり、寛永2年(1625年)に死去。家督は子の成令が継いだ。

法名は道英。墓所は江戸芝伊皿子の大円寺(現在は杉並区に移転)。

子孫はイラストレーターの坂井永年

参考文献[編集]