垂井ひろし

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垂井 ひろし(たるい ひろし、1961年-)は、日本イラストレーター画家東京都出身。

概略[編集]

墨画の技法を取入れた独特の描画法で疾走するF1マシンやGTマシンなどモータースポーツ・イラストを描き、レーシングカーの空気感や生の醍醐味を表現する。鈴鹿サーキットをはじめ京都知恩院など全国各地で「墨のF1アート展」を精力的に展開していることで知られている。近年は専ら三重県鈴鹿市の伝統工芸品鈴鹿墨を用いて作品制作をしている。2010年より墨画ライブアートと称して大型作品の実演も行なっている。

元々は、サッカーや大相撲力士などスポーツ選手の似顔絵を描くイラストレーターからスタートし、近年は「現代版大首絵」と称し、軽妙洒脱な似顔絵イラストも得意としている。また、幼少時より日本史三国志など歴史にも造詣が深く、歴史雑学モノの表紙や挿絵のイラストも数多く手掛けている。雅号は雪嶺。

日本出版美術家連盟理事
日本美術著作権連合理事

経歴[編集]

  • 1984年 東京造形大学デザイン科を卒業。大学卒業後は出版社、編集プロダクション、デザイン事務所などに勤務。
  • 1994年、フリーのイラストレーターとして活動開始。
  • 1995年、墨画家鈴木缶羊に師事、墨画を学びはじめる。
  • 1998年、サッカー日本代表が初めて本大会に出場したW杯フランス大会、日本代表オフィシャルグッズの代表選手似顔絵マフラータオル、Tシャツのイラストレーターとして起用される。
  • 1990年代末ころより墨画の技法を取入れたモータースポーツ・イラストを描きはじめる。
  • 2002年、サッカーW杯日韓大会開催期間中、読売新聞紙面にて1コマ漫画を発表。
  • 2004年、毎年恒例となる鈴鹿サーキットでの「墨のF1」個展が始まる。

主な活動[編集]

個展など[編集]

  • 2002年 東京、ホンダ本社ビル、ウェルカムプラザ青山『墨のCART・垂井ひろしイラスト展』
  • 2003年 オランダ Zandvoortにて 『Art Work Exhibition at Marlboro Masters』
  • 2004年 東京、ホンダ本社ビル、ウェルカムプラザ青山『墨のF1・垂井ひろしイラスト展』
  • 2004年 F1日本GP 鈴鹿サーキット『墨のF1・垂井ひろしイラスト展 〜琢磨の軌跡〜』
  • 2005年 F1日本GP 鈴鹿サーキット『墨のF1・琢磨と鈴鹿、垂井ひろしイラスト展』
  • 2006年 F1日本GP 鈴鹿サーキット『墨のF1・垂井ひろしイラスト展』
  • 2007年 東京渋谷、Gallery LE DECO『墨のF1・垂井ひろしイラスト展 in Tokyo』
  • 2007年 ツインリンクもてぎ Hondaコレクションホール『墨のINDY &F1・垂井ひろしイラスト展 at INDY JAPAN』
  • 2007年 東京池袋、アムラックス東京『墨のF1・垂井ひろしイラスト展』
  • 2007年 京都、知恩院 和順会館『墨のF1・垂井ひろしイラスト展 at 知恩院』
  • 2007年 鈴鹿サーキット(2009 SUZUKA AGAIN)『墨のF1・垂井ひろしイラスト展』
  • 2008年 京都、知恩院 和順会館『墨のF1・垂井ひろしイラスト展 at 知恩院』
  • 2008年 大阪、アリオ八尾トヨタオートモール『墨のクルマイラスト展』
  • 2009年 京都、ぎゃらりぃ西利『鈴鹿墨展+墨のF1アート垂井ひろし展 at 祇園』
  • 2009年 東京六本木、 F1 PIT STOP CAFE『墨のF1アート垂井ひろし展 at F1 PIT STOP CAFE』
  • 2009年 F1日本GP 鈴鹿サーキットにて『墨のF1アート垂井ひろし展』
  • 2010年 鈴鹿サーキットゆうえんち『墨のF1アート展・垂井ひろし鈴鹿墨かきぞめライブ』
  • 2010年 イオンモール鈴鹿ベルシティ『墨のF1アート垂井ひろし展』&墨画ライブ
  • 2010年 F1日本GP 鈴鹿サーキット『墨ぐらんぷり垂井ひろし展』&墨画ライブ
  • 2011年 イオンモール鈴鹿ベルシティ『墨のF1アート垂井ひろし展』&墨画ライブ
  • 2012年 幕張メッセ、東京オートサロン・オープニングセレモニーにて墨画パフォーマンス
  • 2012年 イオンモール鈴鹿にて『墨のF1アート展』『F1ドライバーズ顔展1987〜』&墨画ライブ
  • 2012年 京都、知恩院 和順会館にて『墨ぐらんぷり展』『F1ドライバーズ顔展1987〜』
  • 2012年 第1回 富士山マラソン(旧河口湖日刊スポーツマラソン)前夜祭にて墨画ライブ
  • 2013年 幕張メッセ、東京オートサロン・オープニングセレモニーにて墨画パフォーマンス
  • 2013年 東京新宿、Coffee & Gallery ゑいじう『墨ぐらんぷり垂井ひろし展』
  • 2013年 イオンモール鈴鹿ベルシティ『墨のF1アート垂井ひろし展』&墨画ライブ
  • 2013年 東京日本橋、伊場仙まちがど展示館『The 歌舞伎役者絵展』
  • 2014年 幕張メッセ、東京オートサロン・オープニングセレモニーにて墨画パフォーマンス
  • 2014年 東京新宿、Coffee & Gallery ゑいじう『墨ぐらんぷり垂井ひろし展』
  • 2014年 富士スピードウェイ、FIA世界耐久選手権、歓迎レセプションにて墨画パフォーマンス
  • 2015年 幕張メッセ、東京オートサロン・オープニングセレモニーにて墨画パフォーマンス
  • 2015年 ロシア・モスクワ、JAPAN FES "HINODE"にて墨画パフォーマンス
  • 2015年 東京新宿、Coffee & Gallery ゑいじう『墨ぐらんぷり垂井ひろし展』
  • 2016年 グランドハイアット東京、Excellence Porsche 発表会にて墨画パフォーマンス
  • 2016年 東京新宿、Coffee & Gallery ゑいじう『墨ぐらんぷり垂井ひろし展』

グループ展参加多数。

自動車系雑誌連載[編集]

  • 1994年〜2001年 『F1グランプリ特集』(ソニーマガジンズ)
  • 1996年〜1997年 『CAR STAGE』(ソニーマガジンズ)
  • 1999〜2002年 『オートスポーツ』(三栄書房)
  • 2000年 『GPX』(山海堂)
  • 2001〜 02年 『Racing On』(ニューズ出版)
  • 2001〜04年 『アズエフ』(三栄書房)
  • 2001〜04年 『F1速報』(ニューズ出版)
  • 2002〜04年 『af The STAGE』(交通タイムス社)
  • 2003年 『F1der』(三栄書房)
  • 2004〜06年 『GT-Rマガジン』(交通タイムス社)
  • 2004〜06年 『GENROQ』(三栄書房)
  • 2008年〜2009年 『CARトップ』(交通タイムス社)

サッカー雑誌連載[編集]

  • 1995〜97年 『Jサッカーグランプリ』(ソニーマガジンズ)
  • 2002〜06年 『Footival』(ソニーマガジンズ)

受賞歴[編集]

  • 2016年 二科展 デザイン部 入選
  • 2017年 二科展 デザイン部 入選(賞次点)
  • 2017年 極美つくば展 つくば美術館長賞
  • 2017年 極美展 アートジャーナル賞
  • 2018年 二科展 デザイン部マルチグラフィック特選賞

音楽活動[編集]

音楽活動については本人の公式サイトのプロフィールで一切触れられていないのであまり知られていないが、イラストレーターとしての活動より長い。
作詞・作曲・ボーカルを手がけるが、楽器は一貫してベースにこだわっている。

中学生でビートルズを知り、楽器の練習をはじめる。
1978年、ロンドンパンクやニューヨークのラモーンズの強い影響を受け「喝!タルイバンド」結成。
最初はサイドギター担当だったが、後にベースに転向。
バンド活動開始当初から長い間「たるい正太郎」を名乗っていたが、2010年頃からイラストレーターと同じ「垂井ひろし」と名乗っている。
学園祭でのライブの他、吉祥寺マイナー、六本木S-KENスタジオで東京ロッカーズ周辺のバンド(鳥井賀句バンド、ノンバンドなど)とギグ。
1981年、ベース担当の片岡理が病気により脱退。垂井がベースに転向。 (後に片岡はスラッヂのギタリストとして音楽活動に復帰)
1982年、アスピリンレコードよりシングル「ダンスそうじき/赤い花咲く緑の丘に」リリース。
1982年末、Vo.として杏子が加入、翌83年8月脱退しBARBEE BOYSに参加[1]
現在まで続く3人Vo.のトリオ編成(たるい正太郎B 嘉多山信G 杉山靖幸D)となる。
1987年、ザ・バンカース!に改名。
同年、ビデオクリップ集「VIDEO BANK '87」をリリース。
1991年〜94年、ベーシストとして片桐麻美(EPIC SONY)のレコーディングやツアーに参加。
1999年、ザ・バンカース!より脱退、イラストレーターに専念。
2001年、垂井ひろしB 嘉多山信G 杉山靖幸Dのトリオで、喝!タルイバンド活動再開。

エピソード[編集]

東京都立武蔵丘高等学校時代は美術工芸部に在籍、当時若者に人気だったTV番組「銀座NOW!」の洋楽ミュージシャンの似顔絵コーナーに投稿し、グランプリ等複数回受賞[2]

1984年、喝!タルイバンド、NHK YMF東京大会(NHKホール)で金賞(グランプリ)獲得し東京代表になったが、全国大会には進めず[3]

1985年、86年、ヤマハ池袋店の予選会からEastWestに出場。86年は中野サンプラザで行われた決勝大会に駒を進め入賞。同じ池袋店の予選会から出場したバンドにJUN SKY WALKER(S)がいたが、彼らは2年とも決勝大会には進めなかった[4]

1987年から喝!タルイバンドはザ・バンカース!に改名したが、新バンド名は当時何度か競演したザ・コレクターズのリーダー加藤ひさしのアイディアによる。

1988年、BARBEE BOYS全盛期に『杏子 with ザ・バンカース!』として、汐留PITでライブを行い、喝!タルイバンド時代のオリジナル曲などを演奏。

1989年、ザ・バンカース!、TBSイカ天に出場。イカ天キングへの挑戦権、在宅審査員賞を獲得するも、イカ天キングのフライングキッズに完敗。

同年、某レコード会社よりメジャーデビュー予定の「カスタネッツ」のメンバーとして再度イカ天に出場。完奏できず、審査員伊藤銀次より酷評されるも、たるい正太郎個人は吉田建より評価されベストプレーヤー賞を受賞。その1ヶ月後カスタネッツより脱退。

モータースポーツ関連の仕事のきっかけは、音楽関係の仕事で知り合ったソニーミュージックのプロデューサーからソニーマガジンズ月刊「F1グランプリ特集(現Grand Prix Special」編集部を紹介され、1994年の後半から6年に渡る連載が始まった。

90年代末頃より墨画の技法を取入れたレーシングカー・イラストを描きはじめ、99年からはじまった「オートスポーツ」での連載でその技法によるイラストを描き始め、墨のF1の原形になった。

2002年10月、今はなき東京恵比寿のMr.クラフトにて、カメラマンの松本浩明と『F1佐藤琢磨イラスト&写真展』を開催。佐藤琢磨選手本人もお忍びで会場に訪れた。

2007年10月頃、Video Bank 87の1曲「君はファミコンボーイ」がメンバー、関係者に無断でYouTubeにアップロードされ、秋葉系ブロガーたちの間で「謎のバンド、伝説になるかも」と話題になる。現在この動画は削除されている。

2009年1月12日付け朝日新聞朝刊、2面「ひと」欄にて墨のF1イラストレーターとして紹介される。

脚注欄[編集]

  1. ^ バービーボーイズ・アーカイブDVD『蜂大全』)
  2. ^ 『JAMAGAZIN』2008年10月号(社)自動車工業会
  3. ^ フラワーラジオ『F1 LOVE JOURNEY』2009年9月18日放送で垂井ひろし本人が語った。
  4. ^ フラワーラジオ『F1 LOVE JOURNEY』2009年9月18日放送で垂井ひろし本人が語った。