垂水公正
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垂水 公正(たるみず きみまさ、1930年[1] - 2009年2月21日[2])は日本の官僚。
宮崎県出身[2]。広島市の旧制修道中学校(現修道中学校・修道高等学校)を経て[要出典]、東京大学法学部を卒業。1953年に大蔵省に入省。
在イギリス大使館書記官(1958年-1962年)、在ニューヨーク総領事館領事(1970年-1973年)、主計局調査課長、国際金融局外資課長を経て、1976年から関税局で企画課長、総務課長を歴任し、東京ラウンドの日本代表団として貿易交渉に携わった[3]。
東京税関長、関税局担当審議官、駐米日本大使館公使(1981年-1983年)、関税局長などを経て、1989年にアジア開発銀行総裁(第5代)へ就任。1993年まで務めた。
退任後、日本フォスター・プラン協会理事長を務める[4]。この理事長職は無給であったという[4]。
2006年、瑞宝中綬章を受章。
虚血性心不全のため[2]、2009年2月21日死去[2][4][5]。78歳没。
脚注[編集]
- ^ Web NDL Authorities
- ^ a b c d “垂水公正氏死去/元アジア開発銀行総裁”. 四国新聞. (2009年2月23日) 2018年4月15日閲覧。
- ^ 「関税と貿易」1979年2月
- ^ a b c “無給の理事長を十五年間務めた”. 中外日報. (2009年3月3日) 2016年7月25日閲覧。
- ^ 毎日新聞2009年2月23日
関連項目[編集]
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