垂秀夫

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本来の表記は「埀秀夫」です。この記事に付けられた題名は技術的な制限または記事名の制約により不正確なものとなっています。

垂 秀夫(たるみ ひでお、1961年昭和36年〉5月23日 - )は、日本の外務官僚外交官2020年より、在中華人民共和国大使を務めている[1]

人物[編集]

外務省では、中国語研修を受けたいわゆるチャイナ・スクールである。中国共産党内に独自の人脈を築いていると評される[2]一方、いわゆるチャイナ・スクールにしては異例の対中強硬派と見られている[3]。外交官としての海外勤務は中国、香港、台湾の中華圏だけであることは、キャリア組としては極めて異例。とりわけ、2度にわたる台湾(日本台湾交流協会台北事務所)勤務は日台断交後初めてのケース。

2006年の第一次安倍政権発足時に、谷内正太郎事務次官の下、日中戦略的互恵関係の新構想の構築に深く関わったと言われている[4]。2008年、中国モンゴル課長に就任する直前、人民日報傘下の環球時報は垂をスパイと名指しするなど異例の経歴を踏んでいる[5][6]。また、在中国日本大使館で政務公使を務めていた2013年9月に忽然と姿を消してしまい、東京の本省に舞い戻ったが、これは、中国側よりスパイ活動を警戒され、外務省が急いで本国に戻したが故の失踪劇だったと指摘されている[5][6]

風景写真撮影が趣味で、「写真の日」記念写真展2015・環境大臣賞[7]など、多数の受賞作品がある。2018年には台湾総統府(台北市)で個展を開き、当時副総統だった陳建仁が鑑賞に訪れた[8]京都大学在学中は体育会ラグビー部高坂正堯ゼミに所属した。

経歴[編集]

1961年5月23日大阪府生まれ[9]大阪府立天王寺高等学校[10]を経て、1985年3月に京都大学法学部を卒業後、外務省に入省した。外務省入省後、1986年に南京大学に留学し、1988年にカリフォルニア大学サンディエゴ校留学[11]

六四天安門事件が発生した1989年に中国へ渡り、北京の在中華人共和国大使館にて二等書記官を務めた後、1990年に文化交流部文化第二課、1992年に経済協力局政策課、1994年に経済協力局調査計画課首席事務官を歴任し、1995年に再び在中国日本大使館勤務となり、一等書記官(経済部)、1997年に一等書記官(政治部)を務めた。

1999年には香港に渡り在香港総領事館領事(政務部長)、次いで2001年には台湾日本台湾交流協会台北事務所に総務部長として出向。

2003年アジア大洋州局北東アジア課企画官兼日韓経済調整室長[11]2004年国際情報統括官付国際情報官(第三国際情報官室担当)、2007年2月にアジア大洋州局南部アジア部南東アジア第一課長、2008年8月にアジア大洋州局中国・モンゴル課長を歴任した。2011年年9月に再び在中華人民共和国大使館へと戻り、公使(政務公使)を務める。

2013年11月より外務省大臣官房、2013年12月に外務省大臣官房総務課長、2015年10月に外務省大臣官房審議官兼アジア大洋州局・アジア大洋州局南部アジア部、2016年8月に再び日本台湾交流協会台北事務所に出向し[9]2018年7月20日外務省領事局[12]2019年7月2日外務省大臣官房長に就任[13]

2020年7月15日、新たな駐中華人民共和国特命全権大使に起用される方向であると報じられ[14]、中国側よりアグレマンが出るかどうか危ぶまれたが、同年9月16日付で発令された[15]。同年11月26日に北京へ到着し、翌12月9日まで新型コロナウイルス対策のため隔離[16]

2020年12月11日、北京の日本国大使館で記者会見を開いた。この記者会見で垂大使は、日中関係について「主張すべき点はしっかりと主張し、協力できることは積極的に協力することが重要で、是々非々で建設的な関係を築いていきたい」と強調した上で、沖縄県石垣市に属する尖閣諸島を標的とした中国の領海侵犯について「国際法的にも歴史的にも日本の主権であり、今後しっかりと中国側に働きかけていくことに尽きる」と述べ、中国に媚び諂わず尖閣諸島が日本固有の領土であることを公の場で明言した[16][17]

同期[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 垂秀夫大使 着任挨拶 | 在中国日本国大使館
  2. ^ 中国大使に垂氏起用で政府調整 「チャイナスクール」出身:時事ドットコム” (日本語). 時事ドットコム. 2020年7月15日閲覧。
  3. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2020年7月15日). “中国大使に垂氏を起用へ 政府方針” (日本語). 産経ニュース. 2020年7月15日閲覧。
  4. ^ 馬立誠 (2013-01-22) (中国語). 仇恨沒有未來——中日關係新思維. 香港中和出版有限公司. ISBN 978-988-8200-16-0. https://books.google.co.jp/books?id=fSesAAAAQBAJ&pg=PT99&lpg=PT99&dq=%22%E5%9E%82%E7%A7%80%E5%A4%AB%22+-%22%E6%B8%8B%E5%9E%82%22%E3%80%80%E9%A6%AC%E7%AB%8B%E8%AA%A0&source=bl&ots=nfbZYtZ_2D&sig=ACfU3U3IWR5FykMS523-Nz-2ETjmcEw5EA&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwibkqGC2PfqAhUgyYsBHUE5DqUQ6AEwEnoECAsQAQ#v=onepage&q=%22%E5%9E%82%E7%A7%80%E5%A4%AB%22%20-%22%E6%B8%8B%E5%9E%82%22%E3%80%80%E9%A6%AC%E7%AB%8B%E8%AA%A0&f=false 
  5. ^ a b 次期中国大使に垂氏抜擢報道 リークの目的は「対中挑発」|日刊ゲンダイDIGITAL”. 日刊ゲンダイDIGITAL. 2020年8月1日閲覧。
  6. ^ a b “日本の次期駐中国大使内定報道に北京がザワつく理由”. JBPRESS. 日本ビジネスプレス. (2020年7月17日). https://news.yahoo.co.jp/articles/316b9b440825bd57d36b1bfb2d8f62b659939bd3 2020年7月30日閲覧。 
  7. ^ 東京写真月間2015:「写真の日」記念写真展2015”. www.psj.or.jp. 2020年7月31日閲覧。
  8. ^ 陳建仁 Chen Chien-Jen” (繁体字中国語). www.facebook.com. 2020年7月31日閲覧。
  9. ^ a b "垂秀夫 外務省領事局長の略歴書" (PDF). 2020年7月4日閲覧
  10. ^ 大阪府立天王寺高等学校120周年記念式典”. 2020年7月31日閲覧。
  11. ^ a b "垂 秀夫". 経済産業研究所. 2020年7月22日閲覧
  12. ^ "外務省経済局長に山上氏". 日本経済新聞. 2020年7月22日閲覧
  13. ^ "官房長に垂秀夫氏 外務省". 日本経済新聞. 2020年7月22日閲覧
  14. ^ 日本放送協会. “中国大使に外務省 垂秀夫官房長を起用で調整へ”. NHKニュース. 2020年7月31日閲覧。
  15. ^ 垂中国大使を閣議決定 ドイツは柳氏(写真=共同)” (日本語). 日本経済新聞 電子版. 2020年9月19日閲覧。
  16. ^ a b 対中関係は「是々非々」 垂駐中国大使が着任会見: 時事ドットコム
  17. ^ 新中国大使 垂秀夫氏「是々非々で建設的な関係を」 | NHKニュース