垣花正

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かきはな ただし
垣花 正
プロフィール
愛称 カッキー
LFクールK
出身地 日本の旗 日本 沖縄県宮古島市
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1972-01-01) 1972年1月1日(49歳)
血液型 A型
最終学歴 早稲田大学社会科学部
所属事務所 ホリプロ
職歴 ニッポン放送1994年 - 2019年3月31日)
活動期間 1994年 - 現在
ジャンル バラエティ・生活情報
配偶者 西田裕美
担当番組・活動
出演中 垣花正 あなたとハッピー!
アッコのいいかげんに1000回
出演経歴垣花正のオールナイトニッポン
ゲルゲットショッキングセンター
垣花正のニュースわかんない!?
HOT'n HOT お気に入りに追加!
アナウンサー: テンプレート - カテゴリ

垣花 正(かきはな ただし、1972年1月1日 - ) はフリーアナウンサー。夫人は声優西田裕美。身長177cm。

来歴・人物[編集]

名前の由来は正月生まれであることから。愛称は「カッキー」。一時期「モアイ垣花」「たらこ屋の正ちゃん」「ニッポン放送の中継王」とも呼ばれていた。また、カッキラーマと言われるようになったのは昼番組を担当し始めた1998年頃から[1]

出生当時、沖縄が本土返還前であったことから「琉球生まれ」「帰国子女」と称している[2]

学生時代は欽ちゃん劇団に1期生として半年間所属し、芸能人のあさりどと同期で第1回公演に泥棒役で出演したが、ご法度とされる下ネタを行い退団したと語る。欽ちゃんファミリーの一員とされることもある。

『垣花正のオールナイトニッポン』を経て1995年11月から放送された『ゲルゲットショッキングセンター』のアシスタントを「LF COOL K」(通称クールK、LL Cool Jに由来)のマイクネームで担当。中高生などから絶大な支持を得て、1999年3月の番組終了後も1999年9月まで夜帯の番組で「LFクールK」のマイクネームを使い続けた。

2003年には、『垣花正のニュースわかんない!?』(平日夕方の長寿番組であった『鶴光の噂のゴールデンアワー』の後継番組)のパーソナリティに抜擢。この番組で森永卓郎と共演したことから、2005年4月以降は放送枠を平日の早朝に移したうえで、森永と共同で『森永卓郎 朝はニッポン一番ノリ!』『森永卓郎と垣花正の朝はニッポン一番ノリ!』のパーソナリティを務めた。2007年10月1日スタートの『垣花正のあなたとハッピー!』で、単独パーソナリティに復帰。その一方で、ニッポン放送が加盟するフジサンケイグループの幹事社・フジテレビをはじめ、在京民放テレビ局の番組にも随時出演していた。

また、和田アキ子冠番組である『アッコのいいかげんに1000回』には、2001年4月7日から第3代のアシスタントとして出演。2019年3月30日放送分で、ニッポン放送の退職と、和田が在籍するホリプロ所属のフリーアナウンサーへの転身を発表した[3]

実際には、2019年3月31日付でニッポン放送を退職した後に、翌4月1日からホリプロに所属。『垣花正のあなたとハッピー!』『アッコのいいかげんに1000回』など、ニッポン放送での番組出演を続ける一方で、同年9月30日から2021年3月25日まで『バラいろダンディ』(TOKYO MX)で月 - 木曜のMCを担当していた[4]。TOKYO MXでは、2021年4月から『バラいろダンディ』に代わって『5時に夢中』の全曜日でメインMCを務める。

なお、ニッポン放送時代には裏送り向けに制作されたプロ野球中継でベンチリポートを経験していたものの、スポーツアナウンサーとして本格的に活動する機会はなかった。しかし、同局への入社から27年が経過した2021年から、上記の生放送番組への出演と並行しながらDAZNでプロ野球中継の実況を担当。3月7日のオープン戦横浜DeNAベイスターズオリックス・バファローズ戦(横浜スタジアム)中継で実況デビューを果たした。4月10日からは、『プロ野球ニュース』(フジテレビONE)で試合結果のナレーションを担当。

エピソード[編集]

  • 沖縄県立宮古高等学校時代は「目立とう」の精神が旺盛で、本人曰く、みんなの集まりがある度に率先して前に出て服を全て脱ぎ捨て先生の物真似などをやったり笑わせるようなひょうきん者だったという[1]。一方で中学生の頃は、本人曰く「威張り過ぎて」クラスで2ヶ月くらい無視された経験があり、その反省から「どんな形でもいじられる方がうれしい」と考えるようになったと語っている[5]
  • 少年時代はラジオ好きで、雑誌『ラジオパラダイス』(三才ブックス)が愛読書の一つだった。有名人もまずラジオパーソナリティとして知ることが多かったという。ただ本人曰く「宮古島は情報が入って来にくい所だった」ということで、なめ猫おニャン子クラブだと混同して覚えていた。「猫に会員番号なんかないし、どう見ても人間の女の子の名前だな」と考えて、やっと気付いたとの事[6]
  • 高校1年生の夏休みの時に早稲田大学の自己推薦制度を見つけて知り、そこから試験の評点を上げる努力をしたり、生徒会活動でも頑張って評価を上げるため生徒会長も務めていた。受験勉強しながら推薦入試の準備もしていたことから「端から学力試験は捨てていた」とも話している[1]自己推薦入試で早稲田大学に入学。4年間大学の寮(田無市)にいた。
  • 大学4年の就職活動時は東京に残りたいがために両親に内緒で、ニッポン放送を受験。内定して東京に残る既成事実を作った。両親は沖縄に帰って来ることを望んでおり、本人も両親には沖縄に戻るつもりでいるふりをしていた[1]。なお、在京テレビ局の入社試験も受けたが、日本テレビは書類選考の時点で不合格となり(藤井貴彦が採用された)[7]フジテレビは最終選考まで残ったが、佐野瑞樹が採用され、垣花は不採用だった[6]
  • HOT'n HOT お気に入りに追加!』でゲストとして訪れた五木寛之が垣花を気に入って、五木が出演するTBSラジオの『五木寛之の夜』に出演を頼まれたことがあった。五木とはその後、2012年10月15日の『垣花正のあなたとハッピー!』で再び共演している[8]
  • 2007年10月1日、『あなたとハッピー!』の初回放送分のタイトルコールの前に、突然『HOT'n HOT お気に入りに追加!』でアシスタントとして共演していた声優の西田と結婚することを発表[9]。2007年12月に入籍し、翌年の2008年4月6日に結婚披露宴を執り行った。披露宴の司会は後輩である増田が担当した。
  • 2014年9月13日、『ニッポン放送開局60周年記念 カッキ―・欽ちゃんの夢列車ルンルン欽ちゃん裸踊りニッポン放送ハッピー歌謡祭』でかつての師匠だった萩本欽一とメイン司会を務める。
  • 横浜DeNAベイスターズの大ファン。

担当番組[編集]

現在[編集]

テレビ
ラジオ

※いずれもニッポン放送の制作で、同局のアナウンサー時代から出演。

過去[編集]

ニッポン放送アナウンサー時代[編集]

在職中に出演した他局の番組[編集]

フリーアナウンサーへの転身後[編集]

CM[編集]

その他[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d ラジオライフ(三才ブックス)2015年5月号 14〜17ページ「垣花正 DJ interview」より。
  2. ^ 戸田恵子も仰天! 垣花正アナは帰国子女だった?
  3. ^ ““カッキー”垣花正アナ、ニッポン放送からアッコ所属のホリプロへ”. サンケイスポーツ. (2019年4月1日). https://www.sanspo.com/geino/news/20190401/geo19040105030004-n1.html 2019年4月1日閲覧。 
  4. ^ バラいろダンディ、司会が垣花正と宮崎謙介氏に 30日から一新 デイリースポーツ 2019年9月10日
  5. ^ 垣花正アナ「いじられる方がうれしい」その裏に中学時代の経験…マツコ「だから頼んでもない自虐を」”. www.sponichi.co.jp. Sponichi Annex. 2021年4月26日閲覧。
  6. ^ a b 『なつかしラジオ大全』(三才ブックス)108〜109ページ「fromリスナーズ 垣花正インタビュー」より。
  7. ^ 垣花正アナ、日テレ藤井アナに私怨?「リベンジを」”. 日刊スポーツ (2021年3月23日). 2021年3月23日閲覧。
  8. ^ 2012年10月15日”. 垣花正のあなたとハッピー! 番組公式サイト (2012年10月15日). 2015年4月3日閲覧。
  9. ^ “2年越しの愛実った!ニッポン放送・垣花正アナが結婚を発表”. サンケイスポーツ. (2007年10月2日). オリジナルの2007年10月2日時点におけるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20071016052223/https://www.sanspo.com/geino/top/gt200710/gt2007100205.html 2020年6月1日閲覧。 
  10. ^ 当初は上柳昌彦が担当予定だったが、上柳が喉の不調により欠席したため代役として出演。

関連項目[編集]

上記に述べられた人物を除く。