城南劇場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
城南劇場
성남극장
Seongnam Theatre
広告に使用されたロゴ。
種類 事業場
市場情報 消滅
本社所在地 大韓民国の旗 大韓民国
ソウル特別市龍山区南営洞朝鮮語版83番地(漢江大路)
設立 1921年
業種 サービス業
事業内容 映画の興行
主要株主 株式會社城南劇場
関係する人物 松田正雄
石原磯三郎
上田友義
特記事項:略歴
1921年 京龍館として開館
1940年前後 城南映画劇場と改称
1950年前後 城南劇場と改称
2000年代 閉館
テンプレートを表示

城南劇場(じょうなんげきじょう、朝鮮語: 성남극장)は、かつて存在した大韓民国映画館である[1][2][3][4][5][6][7][8][9]。1921年(大正10年)、日本統治時代の朝鮮京城府龍山漢江通(現在の大韓民国ソウル特別市龍山区漢江大路)に京龍館(けいりゅうかん)として開館[1][2][3][4][5][6]、1940年(昭和15年)前後に城南映画劇場(じょうなんえいがげきじょう)と改称した[7][8]第二次世界大戦終了後は日本人による経営から離れ、城南劇場と改称した。

沿革[編集]

  • 1921年 - 京龍館として開館[1]
  • 1940年前後 - 城南映画劇場と改称[7][8]
  • 1950年前後 - 城南劇場と改称
  • 2000年代 - 閉館

データ[編集]

概要[編集]

同館の広告(京城日報1922年10月12日付)。

京龍館の時代[編集]

1921年(大正10年)、日本が統治していた時代の朝鮮の京城府練兵町83番地[1](現在の龍山区南營洞朝鮮語版83番地)、漢江通(現在の漢江大路)に面した練兵場跡地に、京龍館として開館した[1]。同年、同府内の永楽町(現在の苧洞)に中央館、翌年には仁寺洞に朝鮮劇場が相次いで開業し、同府内の映画館は合計8館になった[1]。当時の同館では輸入映画(洋画)を興行しており、1922年(大正11年)10月12日付の京城日報に掲載された同館の広告によれば、4日連続でシリアル名金』(監督・主演フランシス・フォード、脚本・主演グレイス・キュナード、アメリカ公開1915年6月21日、日本公開同年10月10日)を上映している(右写真)。同広告には「京龍座」と記されているが、ともに記載されている電話番号が同館のものと一致している[3][4][5]

1925年(大正14年)に発行された『日本映画年鑑 大正十三・四年』によれば、同年当時の同館の興行系統は東亜キネマであり、日本映画を上映していた[2]。1927年(昭和2年)に発行された『日本映画事業総覧 昭和二年版』によれば、大正末期当時の所有者は城南演芸会社、経営者は松田正雄、支配人は田中助次郎、観客定員数は記載なし、興行系統は東亜キネマに加えてマキノ・プロダクションの作品を上映していた[3]。松田正雄は同時期に同府内本町(現在の忠武路)に喜樂館を所有および経営していた人物である[3]

昭和に入ると、同館の経営は石原磯三郎に移っており、支配人は田中助次郎で変わらず、観客定員数は750名、興行系統は日活およびマキノ・プロダクションに変更になっている[4][5]。京城府内の映画館の数は、1932年(昭和7年)ころまで8館体制がつづいていた[2][3][4][5][6]

1940年(昭和15年)前後には城南映画劇場と改称、経営者も上田友義の個人経営に変わっている[7][8]。第二次世界大戦が始まり、戦時統制が敷かれ、1942年(昭和17年)、日本におけるすべての映画が同年2月1日に設立された社団法人映画配給社の配給になり、映画館の経営母体にかかわらずすべての映画館が紅系・白系の2系統に組み入れられるが、『映画年鑑 昭和十七年版』には同館の興行系統については記述されていない[7]

城南劇場の時代[編集]

1954年ころの城南劇場。『グレン・ミラー物語』(1954年)を上映中、『荒原の疾走』(1953年)が公開を控えている。

1945年(昭和20年)8月15日、第二次世界大戦が終了し、同年9月8日から1948年8月15日に大韓民国が建国されるまでの間は、在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁がこの地域を統治した。正確な時期は不明であるが、城南劇場と改称し、韓国民間の手で復興した。1954年ころには、 『グレン・ミラー物語』(監督アンソニー・マン、アメリカ公開1954年2月10日[10]、日本公開同年1月8日[11])、『荒原の疾走英語版』(監督ジョン・ファロー、アメリカ公開1953年7月17日[12]、日本公開同年12月29日[13])を同館で上映したことを示す写真が残っている(右写真)。1956年ころには、『ディミトリアスと闘士』(監督デルマー・デイヴィス、アメリカ公開1954年6月16日[14]、日本公開同年10月27日[15])を同館で公開(再映)している。

韓国映画も上映しており、1960年1月1日には、李承晩を描いた『独立協会の青年 李承晩』(監督申相玉、韓国公開1959年12月5日、日本未公開[16])を「新春特別プロ」として上映した際の広告が残っている。1960年代には『大女侠』(韓国語題심야의 결투、『深夜の決闘』の意、監督張徹、香港公開1968年4月3日、日本未公開[17])等の香港映画や『死火山』(原題사화산、監督コ・ヨンナム、韓国公開1969年3月8日、日本未公開[18])等の韓国映画を上映した[19]

2階席のある龍山区最古の映画館として、2001年以降も営業していたが、2009年までにはすでに閉館している[9]。建物は現存しており、1階にはアウトバック・ステーキハウスが入居している[9]

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b c d e f 京城における帝国キネマ演芸の興亡、笹川慶子、関西大学、2013年11月8日閲覧。
  2. ^ a b c d 年鑑[1925], p.479, 506.
  3. ^ a b c d e f g 総覧[1927], p.696.
  4. ^ a b c d e f g 総覧[1929], p.302.
  5. ^ a b c d e f g 総覧[1930], p.599.
  6. ^ a b c 昭和7年の映画館 朝鮮 41館、中原行夫の部屋(原典『キネマ旬報』1932年1月1日号)、2013年11月8日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h 年鑑[1942], p.10-109.
  8. ^ a b c d e f 年鑑[1943], p.504.
  9. ^ a b c d e 성남극장cinecine.co.kr, 아미컴 (朝鮮語)、2013年11月8日閲覧。
  10. ^ The Glenn Miller Story - インターネット・ムービー・データベース(英語), 2013年11月8日閲覧。
  11. ^ グレン・ミラー物語 - KINENOTE, 2013年11月8日閲覧。
  12. ^ Ride, Vaquero! - インターネット・ムービー・データベース(英語), 2013年11月8日閲覧。
  13. ^ 荒原の疾走 - allcinema, 2013年11月8日閲覧。
  14. ^ Demetrius and the Gladiators - インターネット・ムービー・データベース(英語), 2013年11月8日閲覧。
  15. ^ ディミトリアスと闘士 - allcinema, 2013年11月8日閲覧。
  16. ^ Dokribhyeobhwiwa cheongnyeon Lee Seung-man - インターネット・ムービー・データベース(英語), 2013年11月8日閲覧。
  17. ^ Jin yan zi - インターネット・ムービー・データベース(英語), 2013年11月8日閲覧。
  18. ^ Sahwasan - インターネット・ムービー・データベース(英語), 2013年11月8日閲覧。
  19. ^ 성남극장 1968、2013年11月8日閲覧。

参考文献[編集]

  • 『日本映画年鑑 大正十三・四年』、アサヒグラフ編輯局東京朝日新聞発行所、1925年発行
  • 『日本映画事業総覧 昭和二年版』、国際映画通信社、1927年発行
  • 『日本映画事業総覧 昭和三・四年版』、国際映画通信社、1929年発行
  • 『日本映画事業総覧 昭和五年版』、国際映画通信社、1930年発行
  • 『映画年鑑 昭和十七年版』、日本映画協会、1942年発行
  • 『映画年鑑 昭和十八年版』、日本映画協会、1943年発行
  • 『한국 영화사 연구』、한국영화사학회、새미、2003年2月20日

関連項目[編集]

画像外部リンク
城南劇場
1968年ころの撮影