城父の戦い
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城父の戦い | |
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戦争:楚攻略 | |
年月日:紀元前225年 | |
場所:城父 | |
結果:秦軍の大敗 | |
交戦勢力 | |
秦 | 楚 |
指導者・指揮官 | |
李信・蒙恬 | 項燕 |
城父の戦い(じょうほのたたかい)は、紀元前225年に楚軍が秦軍を大敗させた戦い。
概要[編集]
紀元前225年、秦は魏を滅ぼし、次の標的を楚とした。秦王政は楚の攻略に必要な兵数を尋ねると李信は20万人、王翦は60万人と答えた。秦王政は李信の策を採用し、李信・蒙恬に10万人ずつの兵を託し楚の討伐に向かわせた。
李信は平輿から、蒙恬は寝丘から攻め入り、寝丘の北の城父で合流する予定だった。両軍は勝利を重ねていて、特に李信は快進撃していた[1]。しかし、楚の項燕の奇襲により大敗し、2つの土城と7人の部隊長を失った[2]。
脚注[編集]
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