塩屋町 (高松市)

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塩屋町
しおやまち
—  町丁  —
塩屋町の位置(高松市中心部内)
塩屋町
塩屋町
塩屋町の位置(高松市内)
塩屋町
塩屋町
塩屋町の位置(香川県内)
塩屋町
塩屋町
座標: 北緯34度20分31秒 東経134度3分18秒 / 北緯34.34194度 東経134.05500度 / 34.34194; 134.05500
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 Flag of Kagawa Prefecture.svg 香川県
市町村 Flag of Takamatsu, Kagawa.svg 高松市
地区(上位) 本庁地区
地区(下位) 高松
新設 江戸時代
面積
 - 計 0.0407078km2 (0mi2)
最高部 2.1m (7ft)
最低部 1.5m (5ft)
人口 (2010年10月1日現在)[1]
 - 計 197人
等時帯 JST (UTC+9)
郵便番号 760-0047
市外局番 087
ナンバープレート 香川

塩屋町(しおやまち)は、香川県高松市中心部の町丁郵便番号は760-0047。住居表示に関する法律に基づく住居表示は実施されていない[2]

地理[編集]

高松市役所より0.8km、高松市中心部の都心に位置し、旧長尾街道の一部である県道160号高松港栗林公園線を挟んで両側に広がる両側町である。北は大工町、南は出晴のことでん志度線の鉄道敷北側付近にある市道亀井町2号線までで、この部分での旧長尾街道は南北の町筋となっているため、合わせて当町も南北に長くなっている。町内は基本的にマンションや企業の事務所が入るビルが立地しているが、それらが建て替えられる以前は旧街道の町筋に発達したという特性上古い商店や民家が立地しており、現代でもそれらがビルやマンションと混在している。町内に鉄道駅は存在しないが、北・東・南の三方にある片原町駅今橋駅瓦町駅駅勢圏となっているほか、南部を国道11号が横断しており、交通の便は開けている。

2010年国勢調査による人口は197人(男86人/女111人)、世帯数は85世帯、面積は4万0707.8m2、人口密度は4839.4人/km2[1]。公立小学校中学校校区は全域が高松第一小学校・中学校(小中一貫)に属している[3]

町内における都市計画法に基づく用途地域は全域が商業地域で、容積率は国道11号沿いが500%、それ以外が400%である[4]

当町が広がる県道160号高松港栗林公園線は、内町常磐橋を起点とした高松五街道の一つ旧長尾街道の一部である。旧長尾街道・志度街道は常磐橋(現丸亀町ドーム)から片原町を東進し、通町で旧志度街道と分岐して南進して当町に至る。当町からは出晴(八坂神社北側)で現在の県道160号とは離れて南東に下り、玉川(杣場川の上流)にぶつかると多賀神社前から再び南進してクランク状に東進と南進を経た後に御坊川で現代の長尾街道と合流して長尾へ至る。

隣接する町丁[編集]

歴史[編集]

町名は製塩業が多くあったことに由来する[5]

かつての高松城城下町の1町で、江戸時代は一丁目〜三丁目が存在した。北側の通町から伸びる町筋沿いに発達し、寛永古地図では当町は「通町筋」に包括され、井口町と新通町に当たる地域が「塩やき町」と記載されている。「政要録」によれば松平頼重の入部以降は城下町の東端を当町及び今橋とすることが記されている。寛政元年(1789年頃)の「御領分明細記」によると当町には一丁目と二丁目があり、同年の「高松城下絵図」によれば二丁目とその南端には水路が記されている。天保元年(1830年頃)には二丁目の南端が三丁目がに改称された。また、江戸時代の町筋には袋屋勘四郎(後藤漆谷)の老松園や菊屋逸三といった豪商の邸宅や商家が軒を連ねていた。当町の南端は城下町への出入口で出晴と呼ばれ、当町側には番所と大木戸があった。ここは当時より3つの道と2つの水路が交差する交通の要衝で、付近には祇園社(現八坂神社)も鎮座した。

明治時代に入ると自由民権運動結社「博文社」のメンバーである中野滝次郎の木屋(清酒醸造業)や、井上甚太郎の高松立志社の拠点が当町に位置した。1876年明治9年)に啓蒙小学校、1884年(明治17年)には高松第二小学校が設置される。明治5年ごろ八坂神社境内に芝居小屋ができ[6]、同7年には出晴に春長楽、明治中期には歌舞伎座歓楽座も位置した[7]1890年(明治23年)2月15日にはそれまで城下町各町の集合体であった高松の区域を以って市制を施行して高松市が成立し、塩屋町はその一部となった。

1898年(明治31年)、讃岐馬車合資会社が当町の出晴-長尾(現さぬき市長尾)間16kmに乗合馬車を走らせ、1912年明治45年)4月30日には高松電気軌道(現・ことでん長尾線)が開通し、その起点駅として現・瓦町駅志度線のりば付近に出晴駅が開業した[注 1]。その後、1913年 (大正2年) 10月15日には東讃電気軌道(現・ことでん志度線)が今橋駅から順延され、同じく起点駅として現在の長尾線より北側のことでん瓦町変電所付近に出晴駅が開業した。こうして当町最南端の出晴は農村部と高松とを結ぶ交通の要衝としてその名が知られるようになった。その後、志度線はさらに順延され1915年(大正4年)4月22日には公園前、1917年(大正6年)5月20日にはその先に志度線直通の市内線が開通し高松駅前まで到達。それに加え1927年(昭和2年)4月22日に琴平電鉄(現・ことでん琴平線)が栗林公園駅から順延し現・瓦町駅が開業すると志度線との乗換駅として人の流れはそちらへ移り、当町の出晴駅付近は寂れた。

1945年昭和20年)7月4日未明にはアメリカ軍による無差別絨毯爆撃高松空襲」を受け、焼失率100%で町内全てが灰燼に帰した。この影響で当町にあった出晴駅は同月30日に廃止され、現・瓦町駅に統合されている。空襲で壊滅的な被害を受けた高松市中心部では大部分で土地区画整理事業戦災復興土地区画整理事業)が施行され、塩屋町でも第一工区二次として区画整理の対象となり、町内の多くの街路が拡張・改良された。この区画整理事業の完工となる換地処分公告は1964年(昭和39年)1月25日である。その翌日付で地番整理が施行されたことにより、一部が末広町福田町塩上町一丁目〜三丁目及び御坊町へ編入され、同時に御坊町、野方町、福田町及び塩上町の一部を編入した[8]

主要施設[編集]

掲載順は地番の順序による

  • クワヤ病院
  • 香川県洋菓子協会
  • 専門学校穴吹動物看護カレッジ
  • 高松北警察署塩屋町交番
  • セントラル第2ビル
  • 高松歯科口腔外科クリニック
  • 小野本社/手芸センター・ドリーム本店
  • 高松塩屋町郵便局
  • 岡部循環器内科医院

脚注[編集]

  1. ^ 現在、長尾線は花園駅を出た後は西へカーブして琴平線と合流後、南方向から瓦町駅へ入るルートをとるが、戦前の現・瓦町駅-花園駅間の経路は現在と異なり、花園駅を出た後はカーブを経ずにそのまま北進し、八坂神社の南東付近で西方向へカーブした後、志度線に合流する形で東方向から瓦町駅に入るルートをとっており、末期には志度線への乗り入れも行われていた。戦後の1951年(昭和26年)12月26日に長尾線は当町を通らない現在の経路に変更され現在に至る。

参考文献[編集]

  1. ^ a b 平成22年国勢調査、小地域集計、37香川県”. 総務省統計局(e-Stat) (2012年12月11日). 2014年8月11日閲覧。
  2. ^ 住居表示について”. 高松市都市計画課. 2014年8月11日閲覧。
  3. ^ 高松市小・中学校区一覧表 (PDF)”. 高松市学校教育課 (2010年5月1日). 2014年8月11日閲覧。
  4. ^ 都市計画マップ 用途地域 塩屋町付近”. 高松市広聴広報課. 2014年8月11日閲覧。
  5. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会 『角川日本地名大辞典37 香川県』 角川書店、1985年9月、387頁。ISBN 978-4-04-001370-1。
  6. ^ 高松市史編集室著 『高松市史年表 市制七十周年記念』 高松市役所、1960年2月。
  7. ^ 高松市史編集室著 『新修高松市史 Ⅰ』 高松市役所、1964年
  8. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会 『角川日本地名大辞典37 香川県』 角川書店、1985年9月、388頁。ISBN 978-4-04-001370-1。

関連項目[編集]