外交

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Ger van Elk, Symmetry of Diplomacy, 1975, Groninger Museum.
支倉常長日本外交官(1615年)

外交(がいこう、英語: diplomacy)とは、国家間の国際関係における交渉のことで、関連するさまざまな政治活動を指す。一般に、外交官首相などの国家の代表と、外国の代表とが国際社会における問題に対応している。

外交戦略に基づき立案される政策外交政策、または実際に二国間ないし多国間で行われる具体的な国家間交渉を外交交渉という。

定義[編集]

外交という言葉は外国との交際に関わるさまざまな政治的活動の総称であるが、その内容には二つの意味に大きく分類することができると考えられている。ハロルド・ニコルソンの『外交』によれば、それは「外交交渉」という技術的側面と、「外交政策」という政治的側面である。外交という言葉は両者の全く性質が異なる概念を包括しており、使い分けられるべきものである[1]

今日、外交とは国家間の政府外交のみならず民間外交、議員外交、あるいはNGOなどによるトラックII外交など、多様な主体が行う国際交流ないし交渉をさすが、そもそも外交とは、国家が国益の最大化を図るために行う諸活動のことを指すものであり、国際社会一般、あるいは国際法において正当な外交の主体とは主権国家であり、すなわちその国を代表する政府が担うことを基本としている。

また外交は古来から秘密裏に行われてきており、また現代においてもその交渉の過程については秘密裏に行うことが認められている。これは交渉過程が明らかになることによって外交交渉の運用そのものが制限されることを避けるためであり、国際的に認められている外交上の慣習である。

外交は本来、政府間の交渉のことを指すが、昨今では一議員やNGO関係者が外国要人などと会談する、いわゆる民間外交や議員外交も盛んになっている。このような外交の場はセカンドトラックと呼ばれるが、これを外交と呼ぶかどうかについては疑問を持つ専門家もいる。

外交における諸活動[編集]

外交における諸活動とは、一般的には国家による国際社会の軍事経済・政治など諸問題に関する交渉活動である。

多くの国が、政府に外交を担当する組織を(日本の場合外務省)設け、また自国と関係の深い国に大使館領事館などの在外公館を設置し外交官を常駐させて、上記の活動を担当している。

外交そのものに独自の政治的役割があるわけではなく、本質的には他の分野との関係性の上に成立する手段的な存在である。

現代の外交においては現実主義的な国益と国際法の観点からの国際利益の両者の追求が求められるため、その理念は基本的に二重構造となる。ゆえに、どうしても交渉においては理想と現実の妥協が大きな課題となる。

歴史[編集]

古代[編集]

6世紀梁朝元帝(蕭繹)の職貢図の模写。左から且末、白題(匈奴部族)、胡蜜丹、呵跋檀、周古柯、鄧至、狼牙修、亀茲百済波斯滑/嚈噠からの使者。
カデシュの戦いの休戦条約を記した粘土板(大小2点のうち小さいもの) イスタンブール考古学博物館内オリエント博物館にて撮影 (紀元前1274年)

外交自体は異なる二つの政治勢力が接点を持った場合必然的に発生するものであり、例えば手紙を持たせた使者を交換することや、戦場において停戦の交渉を行うために軍隊の指揮官が対面することなどの限定的、補助的な手段としての外交は古代から存在している。現存する外交文書のうち最も古いものはエジプトで発見されたアマルナ文書であり、これは紀元前14世紀エジプト第18王朝アメンホテプ4世のもとに、ミタンニバビロニアなどの周辺諸国から届いた粘土板の外交文書である。紀元前13世紀中盤には、エジプト第19王朝ヒッタイト帝国の間で世界最古の平和条約が締結された[2]

近代にいたるまでは、世界の各地域ごとにそれぞれの外交関係が構築されていた。東アジアにおいては、圧倒的な力を持つ中国大陸の諸王朝が周辺国への冊封を行い、名目的な君臣関係を結ぶ、いわゆる冊封体制が築かれていた。

近代[編集]

現代へと続く外交慣行は、15世紀末のヨーロッパに起源があるとされている。この時期、イタリアの都市国家群において、各国に外交使節を常駐させるようになった[3][4]。外交を専門的に取り扱う部署を設けて、現代のように運用するようになったのはフランスのリシュリューが1624年に外務省を開設したのちのことである[5]1644年から1648年にかけて三十年戦争の講和会議であるウェストファリア講和会議が行われたが、これはヨーロッパではじめての列国会議であり[6]、以後大戦争の際に大規模な国際会議が開催される先駆けとなった。18世紀にはヨーロッパの外交言語がラテン語からフランス語へと移行し、以後20世紀中期に英語にとってかわられるまでフランス語は外交言語の地位にありつづけた[7]

1814年から1815年にかけて、ナポレオン戦争の戦後処理を目的として開催されたウィーン会議は、列強間の勢力均衡を軸としたウィーン体制をヨーロッパに築き上げ、1870年までヨーロッパに比較的平和な期間をもたらすとともに、以後列国間で国際会議を随時行うことで平和を維持する方針がつくられた[8]。しかしこの方針は19世紀後半の帝国主義時代に機能しなくなり、2つのブロックに分断されたヨーロッパに国家対立を仲裁できるだけの勢力は存在しなくなって、1914年第一次世界大戦が勃発することで破局を迎えた[9]

一方、産業革命を迎えたヨーロッパ諸国の国力は他地域を圧倒するようになり、それまで欧州の外交秩序の外にいたアジアやアフリカの諸国もこの体制に組み込まれることとなった。オスマン帝国16世紀からフランスをはじめとする西洋諸国にカピチュレーションを与えていたが、18世紀に入ると力関係の逆転によってこれが不平等条約化し、カピチュレーションに含まれる治外法権が乱用されるようになった[10]。この治外法権は他国にも適用されるようになり、欧州から見て小国や非文明国とみなされた国家では、法令の未整備を理由としてしばしば治外法権や領事裁判権が押し付けられるようになった。この時期の外交の中心はパリであり、第二次世界大戦においてドイツに占領されるまでその地位にあった[11]

現代[編集]

1864年ジュネーヴ条約の原本

ヨーロッパにおいて、絶対王政時代から第一次世界大戦終結までは、外交は貴族や国王などの一部の特権階級による宮廷外交が主流であった。各国の大使は母国から独立した大きな権限を保有しており、嘘や謀略を張り巡らし、軍事協定なども秘密にしたため秘密外交とも呼ばれ、2国間外交を基本とした。こうした外交は旧外交と呼ばれる[12]

しかし民主化が進むにしたがって外交の担い手は徐々に貴族から職業外交官へと移行していき、秘密外交の基礎となる共通の階級という前提が崩れていった[13]。ついでロシア革命によって成立したソビエト政権が1917年11月8日に「平和に関する布告」を発し、ロシア帝国時代に結ばれていた秘密条約を公開して、旧来の外交を否定した。さらにこれを受けてアメリカのウッドロウ・ウィルソン大統領が1918年1月に「十四か条の平和原則」を発して、やはり秘密外交の廃止を訴えた[14]

こうして外交革命と呼ばれる転換が起き、秘密外交は廃止され、第一次世界大戦後には、列国間の調整機関として国際連盟が設立されるなど、国際協調主義、軍事力行使禁止の原則などが打ちたてられて、選挙を通じた民主的統制に基づく外交が行われるようになった。この転換後の外交形態は新外交と呼ばれる[15]。しかしこの新外交体制は機能不全が目立ち、外交の民主的統制は各国の排外的な空気に振り回され、ナショナリズム民族自決ファシズムの台頭などに何ら手を打つことができず、第二次世界大戦の勃発によって外交秩序は崩壊した[16]

第二次世界大戦によって世界中が大きな損害を被ると、連盟の反省を踏まえて1945年国際連合が設立され、外交の秩序がふたたび構築された。戦後の外交はアメリカ合衆国とソヴィエト連邦の2大国間の対立、すなわち冷戦下で行われることとなったが、いっぽうで国際機関の激増によって多国間外交の重要性が高まり、また交通・通信手段の改善によって政府首脳や本国の機関が現地駐留の大使館を飛び越えて交渉を行うことも多くなった[17]。ソヴィエト連邦の崩壊によって冷戦は終結したが、情報技術の進展によって一般市民も外国の情報を容易に大量に入手できるようになり、非政府組織多国籍企業なども外交に影響力を及ぼすようになった[18]

外交の基本要素[編集]

ペリーと日本委員語を介しての交渉の様子。黒船来航(場所不明)

外交と軍事[編集]

カール・フォン・クラウゼヴィッツは有名な『戦争論』において「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」とし、戦争を外交の一種とみなしたが、軍事と外交は密接な関係にあり、歴史上多くの戦争は外交と連動して行われている[19]。その内容は利害調整のための討論から、降伏勧告までさまざまである。

現代においては兵器の高額化や軍隊の大規模化、大量破壊兵器などの開発によって戦争のコストやリスクが飛躍的に高まっており、戦争に繋がる事件が発生しても、その戦争の発展を抑制しできるだけ交渉により解決しようとする傾向が強まっている。

しかし現代においても軍事力は非常に外交上重要な要素を占めており、軍事演習や部隊配備による軍事プレゼンスは外交交渉に大きく影響しており、また実際に戦端が開かれれば軍事力の有無が国際関係を大きく変化させ、軍事的優位が外交的優位に繋がることもある。降伏勧告に関する外交交渉はこの典型例であり、軍事力によって相手国の生存を脅かすことは直接的な交渉材料となりうる。

またこのような軍事力を組み込んだ外交戦略として軍事戦略がある。20世紀には核兵器が開発され、核戦略が重要な外交の基礎のひとつにもなった。

また、1992年には冷戦終結後世界各地で増加しつつあった地域紛争を予防するための予防外交という概念が国連のブトロス・ブトロス=ガーリ事務総長によって提唱され、これを受けて国際連合保護軍マケドニア共和国に派遣され、また国際連合平和維持活動が大規模化・強化された。これによってマケドニアでは国際連合予防展開軍へ改組されたのち紛争の予防に成功したものの、ソマリア内戦UNOSOM II)やボスニア・ヘルツェゴビナ紛争UNPROFOR)では紛争の抑止に失敗し、国際連合ルワンダ支援団(UNAMIR)でもルワンダ虐殺を阻止することはできなかった[20]

外交と経済[編集]

経済上の利害は国益に直結するため、貿易の歴史において重要な外交課題となってきた。近年においても、グローバル化の急速な進展によって外交上非常に重要な議題となっている。またその内容もエネルギー保障・海洋資源・食料保障など多岐にわたる。例えば貿易収支悪化の是正のための関税引き上げ、貿易相手国に対する輸出の自主規制、内需拡大の要求などがある。経済支援や経済封鎖も外交上非常に大きな要素であり、相手国の経済を発展させることにより間接的に敵対勢力に対する包囲網を構築することや、見返りとして軍事的な支援を受けることもしばしば行われる。先進国政府が発展途上国政府に対し支出する政府開発援助は経済支援の一種であり、先進国が途上国政府に対し影響力を及ぼすための重要な手段となっている。

特定の資源を保有する国が資源輸出と外交的要求をセットにすることもある(資源ナショナリズム)。とくにエネルギー資源については世界経済の動向を左右するだけに、これを巡る外交的な駆け引きも国際関係上非常に重大なものになりつつある。

外交と情報活動[編集]

日々変化する国際情勢に対応するために、情報の収集、分析は外交には不可欠である。相手国のあらゆる分野の現状を把握することにより、外交交渉において相手国の外交官の言葉の背景や真意を推測することができ、有利に交渉を進める上で優位に立つことができる。ほとんどの外務省は在外公館の大使駐在武官からの報告、マスメディアの報道、各国から提供される情報、情報機関から提供される情報などから、統一的に情報を収集し、分析を行っている。またシンポジウムなどにおける自国の国家戦略の広報や文化交流も外交における重要な役割の一つである。一方で機密情報の流出を防ぐ防諜も外交においては重要な情報活動の一部である。外交交渉時の秘密保持は常に好ましい対応であると考えられている。ただし、外交の民主的統制、および秘密外交の禁止の観点から、外交交渉の結果はすぐに公開されることとなる[21]

外交と国益[編集]

外交はその国の利益すなわち国益と不可分である。国益は、国家が政策を決定する基準ともされ[22][23]ハンス・モーゲンソウは、国家の外交政策は純粋な国益に基づいて決定されるべきであるとしている。

ソフトパワー[編集]

軍事力や経済力以外にも、音楽文学映画などをはじめとする大衆文化やその国の政策、政治的価値観などに他国からの共感と好意を得ることで自国のイメージを向上させ、外交を有利に進めることも重視されつつある。これは軍事・経済力のようなハードパワーに対比して、ソフトパワーと総称される。こうしたソフトパワーを得るために、他国の市民に対し自国の広報を行うことをパブリック・ディプロマシーと呼び、重要な外交の一手段となっている[24]

イデオロギーと外交[編集]

各種のイデオロギーを掲げた国家が、それに基づいた外交を行うこともある。冷戦時には東西両陣営がそれぞれ共産主義資本主義を掲げて外交戦を繰り広げた。1950年代には植民地の独立が本格化するが、特に東側はこの動きを外交的に支援していた。一方1970年代後半以降、アメリカは人権民主化などを外交で積極的に主張するようになっていたが、冷戦の終結した1990年代以降、欧米や日本もこうした人権外交を主張するようになっていった。とくに政府開発援助は人権外交や民主化支援と組み合わされることが多く、この分野での改善が事実上援助の前提となっている[25]

外交儀礼[編集]

外交において敬称席次マナーなどに見られる国際儀礼(プロトコル、外交儀礼)は些細のように見えても、文化的、政治的な緊張を緩和させ、外交交渉をスムーズに進めるために、外交官に心得る事が要求されている。例えば国旗に関しては、国民国家の象徴であり、破損したものや汚れたものを使用してはいけない。この他にも各種国際儀礼が存在する。

外交官の席次に関しては、それまでのヨーロッパ内での慣習をもとに1815年のウィーン会議において外交席次規則が明文化され、1818年にはアーヘンにおいて弁理公使に関する附則が付け加えられる形で完成した。この席次規則は150年ほど継続し、1961年外交関係に関するウィーン条約および領事関係に関するウィーン条約が制定されたことで現行の規則となった[26]

外交使節[編集]

新しい国家が誕生した際、他国はその国家の承認を行い、ここで2国間の外交関係がスタートする。特段の事情がない限り国家承認はその国家の成立と同時に行われるが、何らかの事情があって国家承認が行われない場合であっても、外交関係が結ばれる場合もある。(たとえば日本政府は朝鮮民主主義人民共和国中華民国を国家承認してはいないが、さまざまな形での外交は行われている)。

各国はそれぞれ他国に大使館領事館などの在外公館を設け、特命全権大使大使)などの外交官を常駐させて接受国との間の外交上の問題を処理させる。この常駐外交使節団のほかに、特定の問題が勃発した時に、その問題の交渉や処理のみを目的とする特別使節団が送られる場合がある[27]。こうした在外公館や外交官には、公館の不可侵や刑事裁判権の免除などといった外交特権外交関係に関するウィーン条約によって認められている。ただし外交使節の長の派遣には接受国の同意(アグレマン)が必要であり、接受国が派遣される外交官を好ましくないと思った場合、および在任中に問題が発生した場合には、ペルソナ・ノン・グラータを発動してその外交官の受け入れを拒否することができる[28]。また、1国に必ず1つの在外公館が設けられているわけではなく、対象国と派遣国の間の関係がそれほど密ではない場合、近隣諸国に存在する在外公館に対象国を兼轄させることは珍しくない。19世紀には大使は限られた大国間で交換されていたにすぎず、通常の国家間では全権公使が交換されており、小国に対しては弁理公使や代理公使が送られるといったように、国家の格によって明確な序列が定められていた。しかし20世紀に入ると徐々に大使の交換が増加しはじめ、1960年代にはほとんどの国家で交換される外交官の最高位は大使になり、公使は大使館の次席外交官を指すようになった[29]。なお、イギリス連邦構成国間においては、特命全権大使の代わりに高等弁務官が交換されるが、称号および信任状の奉呈以外はほぼ大使と同一のものとして扱われる[30]

また、大使館および大使と領事館および領事は役割が異なり、大使が接受国との間の外交を担当するのに対し、領事は接受国の担当地域内において自国の国民や企業の保護などの行政事務を行うもので、本来的には派遣国の行政機関の延長である。つまり領事は外交使節団に含まれないため、外交関係が断絶しても領事を置き続けることは可能である[31]。ただし、ペルソナ・ノン・グラータは領事にも発動可能であり、領事関係に関するウィーン条約によって外交特権も定められているものの使節よりも限られた範囲のものとなる[32]

多国間外交[編集]

上記のような2国間外交のみならず、国際会議や国際機関などで多くの国家が集まり共通の議題について外交を行う、いわゆる多国間外交も盛んに行われている。多国間外交は19世紀の列国間の会議外交に淵源を持つが、第一次世界大戦の勃発とともに協商国側で定期的な会議が頻繁になり、大戦終結後も対象を広げて重要な外交の手段となっていった[33]。第二次世界大戦後には国際機関の数は激増し、多国間外交はより重要となっていった[34]。こうした多国間外交の場として最も大きなものは国際連合であるが、このほかにも世界銀行世界保健機構などといった専門分野を持つ国際機関や、東南アジア諸国連合ヨーロッパ連合などの地域協力機構、主要国首脳会議などの国際会議など、さまざまな多国間外交の場が存在する。

外交官以外による外交[編集]

首脳外交[編集]

職掌としての外務省・外交官以外にも、さまざまな立場から外交が行われている。各国政府のトップが直接会うことで外交を行う、いわゆる首脳外交もその一つである。こうした首脳外交は、ナポレオン後のヨーロッパの体制を定めるために列国の首脳が一堂に会した1815年のウィーン会議を嚆矢とする[35]。20世紀に入ると交通・通信手段の改善によって首脳会談のコストが下がり、頻繁に行われるようになっていった[36]。最も重要なのは1975年に開始された主要国首脳会議であり、このほかにもAPEC首脳会議などさまざまな首脳会議が開催されている。こうした首脳会談、特に定期化した首脳会談においては裏方である外交官や官僚たちによって事前の折衝がほぼ終了しており、トップによる直接対話というメリットが薄れているという指摘もあるが、冷戦終結をもたらした1989年マルタ会談のように、大きな成果をもたらすこともある[37]。また、直接面会するだけではなく、2か国の首脳間の直通電話回線(ホットライン)を設置して緊急時に対話を行うこともある[38]

議員外交など[編集]

議員による議員外交や、地方公共団体の長あるいは議員による外交活動もさかんにおこなわれている。欧州(とくに欧州連合とりわけストラスブール)は議員外交が盛んな場所として知られており、欧州各国の密接な政治結合は行政府による公的外交以外にも各国議会の議員団が展開する公的・準公的外交による調整や人的ネットワークに依存するところがある。

ほか、ロビー活動も活発に行われる。

人材交流・民間外交[編集]

各国の行政機関における行政官の人材交流も盛んであり、各職掌・省庁ごとに研究員や調査官などの名目で行政官同士の人事交流がおこなわれることがある。軍事面では駐在武官の伝統があり、主要国の大使館には大使館付きの駐在武官が派遣され、軍事面での外交調整における実務面での調整や人的ネットワークづくりに従事している。財務省、あるいは各国中央銀行など公的機関の人材交流もさかんにおこなわれている。人事交流は相手先国の研究所や大学に研究者として派遣する名目でおこなわれることも多い。

各国の外交[編集]

アメリカの外交[編集]

イギリスの外交[編集]

中国の外交[編集]

日本の外交[編集]

日本においては、日本国憲法第73条により内閣が外交関係を処理すると規定しており、実際の対外的事務は外務省設置法により、外務大臣を長とする外務省が所掌する。

日本では、「日本は外交が下手」という言説がよくある[注釈 1]

日本における議員外交[編集]

日本でも国会議員の海外視察などを通じ議員外交が展開されているが、鈴木宗男元議員の対露外交や山崎拓元議員の北朝鮮外交などのいわゆる「二元外交」が問題視されたことがある。国会議員は改選のたびに議員としての地位が不安定となるため、2009年の衆議院選挙のように大規模な現職議員の落選が発生すると、従来の議員外交のネットワーク・コネクションが大量に失われるという弊害がある。

日本における人材交流・民間外交[編集]

国交のさかんでない第三国においては現地で活動している日系人や日系企業、NGOなどが外交活動の足がかりになることがあり民間外交と呼ばれることがある。貿易振興機構や観光協会のような行政法人、外国語学校、あるいはブラジル日本文化福祉協会、サンパウロ日伯援護協会、ブラジル都道府県人会連合会などといった日系日本人会、あるいは日中友好協会、日中文化交流協会などといった民族団体などが重要な役割を果たすことがある。

脚注[編集]

注釈[編集]

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  1. ^ 論じた例:辻雅之 (2006年6月5日). “日本の外交、やっぱり「三流」?”. ビジネス・学習. All About. 2011年11月24日閲覧。

出典[編集]

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  2. ^ 「国際政治学をつかむ」p166 有斐閣 2009年11月30日初版第1刷
  3. ^ 「国際政治学をつかむ」p166 有斐閣 2009年11月30日初版第1刷
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参考文献[編集]

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読書案内[編集]

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関連項目[編集]