大久保弘司

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大久保 弘司
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県田川市
生年月日 (1959-02-04) 1959年2月4日(60歳)
身長
体重
178 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1977年 ドラフト4位
初出場 1980年8月6日
最終出場 1986年7月17日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

大久保 弘司(おおくぼ ひろし、1959年2月4日 - )は、福岡県田川市出身の元プロ野球選手内野手)。右投げ右打ち。

来歴・人物[編集]

下関商業高では、1976年夏の甲子園県予選準々決勝に進むが、柳井高に延長10回惜敗。

1977年プロ野球ドラフト会議横浜大洋ホエールズから4位指名を受け入団[1]1980年に一軍に上がり、翌1981年には二塁手として23試合に先発出場。8月からは20試合に二番打者として起用され、基満男の後継を期待される。しかしその後は打撃面で伸びず、1985年に12試合に先発出場するものの、1987年限りで現役を引退。

二軍では、イースタン・リーグ記録のシーズン13死球を記録するなどガッツ溢れるプレイで期待された。当時の控え選手について、根性(練習)の大久保、野球センス(技術)の清水、頭脳の岩井と並び称された。

引退後は、大洋(横浜)の球団職員を務めていた[1]。のちに退職、一般企業での勤務、また2006年には社会人野球クラブチーム愛知工業大学OBクラブでのプレーを経て[2]、横浜球団にスカウトとして復職。2013年現在もスカウトを務めている[3]。また、プロ野球マスターズリーグ名古屋80D'sersにも所属していた。

俊足であり、オフの運動会では1500m走で2連覇。菅原文太の大ファンでニックネームは「文太」。野球用具にも文太と書いていた。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1980 大洋 20 20 19 1 3 0 0 0 3 2 0 0 0 0 1 0 0 6 1 .158 .200 .158 .358
1981 65 134 114 9 30 6 0 0 36 7 0 3 7 1 5 0 7 16 2 .263 .331 .316 .646
1982 59 55 41 5 9 2 0 0 11 4 1 0 3 1 4 0 6 8 1 .220 .365 .268 .634
1983 48 40 34 7 7 3 0 0 10 2 0 0 2 0 2 0 2 7 2 .206 .289 .294 .584
1985 55 62 53 8 12 0 0 2 18 5 0 0 2 1 4 0 2 9 0 .226 .300 .340 .640
1986 12 10 9 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 1 0 0 0 4 1 .000 .000 .000 .000
通算:6年 259 321 270 30 61 11 0 2 78 21 1 3 14 4 16 0 17 50 7 .226 .306 .289 .595

記録[編集]

背番号[編集]

  • 45 (1978年 - 1987年)

脚注[編集]

  1. ^ a b プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、99ページ
  2. ^ チーム情報 2006年 登録・変更情報”. 日本野球連盟. 2017年5月8日閲覧。
  3. ^ 週刊ベースボール2014年3月24日号 P21

関連項目[編集]