大久保忠喜

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大久保 忠喜(おおくぼ ただよし、延享3年6月26日1746年8月12日) - 文化9年8月10日1812年9月15日))は、江戸時代中期から後期の大名。下野烏山藩の第4代藩主。烏山藩大久保家5代。

第2代藩主大久保忠胤の三男。正室は堀田正亮の娘。子に娘(大久保忠成正室)、娘(内藤政峻正室)、娘(成瀬正壽正室)、娘(大久保親知正室)。養子に大久保忠邦大久保忠成。官位は従五位山城守。

生年は延享2年(1745年)とも。明和6年(1769年)、先代藩主の兄忠卿が死去し、嗣子がなかったため末期養子となって家督を継承した。はじめ養子とした忠邦が早世したため、文化2年(1805年)に次いで養子とした家督を忠成に譲って隠居した。文化9年(1812年)、67歳で死去した。