大久保忠重

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大久保忠重
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 享禄4年(1531年
死没 文禄4年2月14日1595年3月24日
別名 甚兵衛、八郎右衛門
戒名 常蓮
墓所 妙国寺(愛知県岡崎市
主君 松平広忠徳川家康
氏族 大久保氏
父母 大久保忠次
兄弟 忠重阿倍忠政、与市郎、忠成、昌長、荒川氏室、忠栄、忠休、勘助
長谷川氏の娘
忠弘、落合五平次の妻、気田政村の妻

大久保 忠重(おおくぼ ただしげ)は、戦国時代武将徳川氏の家臣。

生涯[編集]

三河国松平広忠徳川家康の二代に仕え、三河国内を転戦する。永禄6年(1563年三河一向一揆では伯父忠俊ら一門とともに上和田砦に籠もって戦う。元亀3年(1572年三方ヶ原の戦いに従軍。天正4年(1576年)犬居城の戦いでは従弟の大久保忠世の配下として先陣を切った。以後は忠世の麾下として遠江平定に功があった。

出典[編集]